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【長編小説】 フォーリング・ベイビーズ 1〜4
(長めの連載小説です)(エンタメ好きな方向けです)
フォーリングベイビーズ
オープニング
その夜はとても冷え込んでいた。
冬の波が寄せては返り、その音で赤ん坊たちの泣き声が消されていた。
だから赤ん坊達の何人が救出されたのか不明だ。
なかには、凍える時間に死んでしまった赤ん坊もいたから、正確な数がわからない。
数がわからない原因は波にもある。
いったいその浜辺から何人の赤ん坊が波に拐われたのかはわからない。
けれど朝になり、釣り人がその浜辺で泣く大量の赤ん坊達を発見し、大量の救急車やパトカーが到着し、病院まで運んだマイカー達が現れ、救出された。
今から17年前のことだ。
拉致被害者達が赤ん坊となって帰ってきたと推測する街中の噂も現れたし、いや、きっと行方不明にになっていた子どもたちの生まれ変わりだ、と言う人もいた。
この子供達は天使なんじゃないだろうか、と言う人もいた。
けれどこの事件は政府内でも極秘として扱われ、マスコミの間でも確証がとれず小さな記事が出ただけだし、街の人のなかでもいつのまにか噂としてしか捉えられなくなった。
なぜならあまりにも突拍子のないことであり、謎すぎて、赤ん坊達を助けた救助員たちも、警官も、街の人たちも、あれは、夢だったんじゃないか、と思うようになっていった。
それもその筈である。
どうして大量の赤ん坊達が砂浜で泣いていたのかわからない。
しかも新生児だ。
どの赤ん坊にも怪我がないことから、ひょっとして空からゆっくりと降ってきたんじゃないか、と憶測がなされた。
だから、彼らは「フォーリングベイビーズ」と呼ばれた。
誰も信じられなかったのだろう。
空から1000人の赤ん坊が降ってきたなんて。
ある日、空から1000人の赤ん坊が降ってきた。
これは秘密の物語だ。
1
キリは夕暮れの部屋の片隅で窓から入り込む光をぼんやり眺めていた。
季節は夏の終わり。音は何もない。部屋は昼の暑さを思えば少し涼しくなってきた。
キリはじっと淡い光を見つめている。膝を抱え、壁にもたれながら、光の淡さを見つめていた。
このまま夜になんかするものか。
そう思い、電灯は点けなかった。部屋の中にある各所の光だけが小さく点っている。テレビの電源の光、コンポの電源、電子レンジの電源、液晶の時計の光‥。
キリは17歳だ。
世界を夜になんかするものか。
すっかり夜になるとキリはようやく立ち上がり部屋から出て繁華街に向かった。
小さな街なので繁華街と言ってもシャッター商店街だ。営業している店はほとんどなく、ポツリポツリと明かりはあるもののあとはシャッターが下りている。
そこをふらりと歩いていた。すると背後から足音が聞こえ、キリの手が急に繋がれた。隣を見ると見知らぬ女子高校生が制服姿でいる。
変わったことに彼女は赤いマフラーを巻いている。
誰だろう、この人?
「黙って、このままカップルのフリして歩いて。お願い」
彼女は小声で言った。
キリは頷き、その言葉に従った。
繋いだ手の温度が異常に冷たい。冷たい手がキリの接触への嫌悪を和らげた。
「誰?」
と、小声で問うと、黙って、と返された。
「後ろ見ちゃダメ」
言われた通り振り返らなかった。背後から数台のバイクの音がしたかと思うと、赤いマフラーの彼女は言った。
「あなた、足は早い?」
「早いよ」
「じゃ、せーの、で走って。逃げるわよ」
「わかった」
彼女はバイクの音のアクセルのモーターがふかされたと同時に叫んだ。
「走れ!」
二人はシャッター商店街を全速力で走り始めた。
近づいてくるバイク音。2台? 赤いマフラーの彼女と脇道に入る。真っ暗な細い道を走る。細い道を選んでジグザグに走る。
するとそれを予測していたもう一台のバイクが現れた。
二人は背後から来たバイクにも追いつかれ挟まれてしまった。
彼女は偶然隣にある家の玄関を激しく叩いた。
「暴漢に襲われています! 誰かいませんか?!」
しかし空き家なのだろう。返事はなかった。
「君、何やったの?」
「盗みよ」
「何を?」
「あいつらのお金」
バイクの連中が降りて来て、彼女を襲い始めた。
レイプ?
レイプが始まろうとしている。道端に押さえ込まれる赤いマフラーの彼女。
「助けて!」
キリは3人の男に殴りかかった。キリは運動神経がズバ抜けていいので、なんのことはなく3人の男は立ち去った。何か暴言を残したが、キリの耳には入らない。
なぜなら上半身を胸まで肌けた彼女が転がって犬のように唸っている。怒っているのだろう。涙を流すのではなく。強いな。
キリは彼女の服を元に戻しながら、ふと気づいた。
「ヘソ」がない─。
あるべき場所にヘソがなかったのだった。
彼女は言った。
「あんまり見ないで」
「ヘソがない」
「生まれつき。私にはヘソがない。親から生まれたんじゃないの」
「だとしたら‥君もあの時の赤ん坊なの?」
「あなたは? どうしてそんなことに詳しいの?」
17年前に空から浜辺に降って来た赤ん坊には同様にヘソがない。体温も普通の人より低い。それぞれの施設や里親の元で育っている。
キリは言った。
「君はフォーリン?」
「そうよ。あなたは?」
「僕もフォーリン。フォーリングベイビーズだ」
「嘘」
キリはお腹を見せた。ヘソがなかったのだった。
「僕だけかと思ってた」
「同じだね」
「私の名前は遠野ハル。17歳」
「僕の名前は葛城キリ。17歳」
赤いマフラーのハルと孤独な少年キリはそうやって出会った。
ハルはポケットから財布を出して微笑んだ。
「あのクズたちの財布」
「悪い兄妹だな。君は」
ハルは微笑みウインクした。
「負けたくないの。普通の世界に。この気持ちわかる?」
「わかる。僕たちはフォーリングベイビーズだ」
僕たちはフォーリングベイビーズだ。
2
いつからだったのだろう?
キリが自分が普通ではないことを自覚し始めたのは。
最初は自分は何かの病気だと思い込んでいた。ヘソがないこともそうだが、第二成長期がなかった。
キリには精通と呼ばれるものがなかった。射精したことがない。女性を見てもおぼえるは違和感だけ。
女性との接触への嫌悪感をいつも抱いている。
しかし幼なじみはいる。近所に住むフェミニンと呼ばれる少年だ。
フェミニンとはあだ名で、女の子っぽい男の子をアメリカでは、そう呼ばれるらしい。そのあだ名は自分で決めた。
フェミニンも17歳。金髪で、バスケット部で快活な少年だ。でも二人は幼なじみで、笑い合ったりはしないが共に育ってきた。
時々フェミニンの部屋に行ったり、彼が無断でキリの部屋に入ってきたり。
この日もフェミニンは携帯電話でグラビアアイドルの写真を検索して、キリに投げてきた。
キリは携帯電話のセクシーなアイドルを見ると、ベッドに寝そべるフェミニンに投げ返した。
二人とも高校の制服姿だ。
「興味ねーよ」
「俺の推しなんだよ。トウマヒロミ。清純派だったのに急にグラビア。ショックだと思わん?」
「脱いだところで、人の体は人の体だよ」
「それが秘密がある。彼女が突然水着になったか」
「よくあることだろ」
「これはおかしいんだ。この画像よくみろよ。これはメッセージだ」
また携帯電話がキリに投げられた。キリは画面のトウマヒロミのグラビアを見る。
「どこが?」
「ヘソだよ」
「ヘソ? あるじゃん」
「加工だよ。ヘソは加工されている。これはグラフィック加工されているよ。間違いない」
「トウマヒロミは何歳?」
「17歳だよ」
フェミニンはキリの育ての親の夕飯を食べて帰っていった。帰り際、フェミニンは言った。
「言いにくいけどよ、お前たち、なんのために降ってきたんだろう? お前から見たら、違和感こそ普通で、普通こそ違和感なわけじゃない。そもそも何やらせたいの? 神様は? 俺はフォーリンじゃないけどな」
「ぶっつぶしてやろうとは思ってないよ」
玄関のドアが閉まる。育ての母親が何か言ったが、キリは適当に返事して二階の自分の部屋に戻った。
部屋に戻り、しばらく天井を見上げ、携帯電話のGoogleで、「トウマヒロミ」を検索する。
トウマヒロミのTwitterに気になるハッシュタグを見つけた。
「#フォーリン」
フォーリン?
ハッシュタグを開く。
ひとつだけ書き込みがある。「赤いマフラー」とハンドルネームが付いている。
え? あの赤いマフラーの少女? 遠野ハルなのか、これは。
【あなたもフォーリン? 私も低体温で苦しんでる。いつも夏なのに赤いマフラーなの。笑。あなたは知ってる? 私達は実は17歳までしか生きられないってことを。私達はみんな同じ誕生日。もうすぐその時は訪れる。世界への復讐が始まるの。
集まりましょう。美しきフォーリングベイビーズ。ヒロミ、目覚めよう】
ん?
17歳までしか生きられない?
キリはその言葉を繰り返し、次に赤いマフラーの遠野ハルのことを考えた。
そうやって、ハルの凶暴さの片鱗を見てしまった。
ハル、君は何をしようというんだ?
携帯電話の書き込みが増えていく。更新する。
「俺もフォーリン」
「私もフォーリン」
「17歳に何が起きるの?」
「集まりましょう」
キリは自分たちだけが違うという違和感すら答えを出せない。違う、ということがわかるだけで、それが何かの答えを運んでくるとは思えない。
そう、フォーリングベイビーズは17歳までしか生きられない。
3
雨の日のことだった。
キリは学校帰り、駅を降りて歩いていた。
ひどい雨だった。キリはいつものように透明な雨合羽を着ていた。
バス停まで歩いている時、ふと視線を感じ振り返ってみた。
大雨なので、最初はよくわからなかったが、駅までの道に赤い傘をさした少女がいた。
少女はキリをじっと見つめている。
まだ14歳くらいの少女。
不思議なその強い視線はまっすぐにキリに向けられている。
言葉はない。
肌が白い長い髪をした美しくて儚なげな姿。瞬きもしない。赤い傘が何かの暗号のように思える。
キリは誰だか見覚えはない。中学の制服を着ている。
誰だろう?
そしてなぜ僕なんかを見つめ続けるのだろう?
言葉もなく赤い傘の少女は駅へ向けて立ち去った。
14歳だ。
キリには彼女が14歳だということがわかる。14歳と言うのは木の年輪みたいに13歳とも違うし、15歳とも違うのだ。
謎の14歳の少女。
さて、今日は行くべき場所がある。キリはバスに乗ってその街へ向かう。
日が暮れた頃、まだ営業時間前のバー「エス」への階段を下りた。
薄暗い。店員は誰もいないのに、遠野ハルだけはいた。一番奥のボックス席で携帯電話を見ている。
ハルがキリに気づいた。自分の隣に座るように合図した。キリは隣に座った。
「何飲む? ビール?」
「まだ未成年だよ。僕たち」
「ここでは私達はお酒を飲んでるわ。私はビール。あなたは?」
「ソーダ水」
古びたバーだ。壁も煉瓦造りだし、ひび割れている。換気が悪いのか空気がこもっている。暗いために各所に置かれた間接照明のオレンジ色の光だけが明かりだ。
またハルは赤いマフラーをしている。今日は私服だ。カーキ色のサマーセーターとベージュのスカートを着ていた。黒いブーツ。キリは胸の膨らみを見て、違和感が走る。
ハルは女の子だもんな。
当たり前。当たり前。
「ねえ、キリ。彼女いるの?」
「いるわけないよ。ハルは?」
「いるわけない。恋愛感情なんてあるわけない」
「ないよ」
「人を好きになる根源は性欲よ。性欲の根源は種族繁栄よ。生殖機能のないフォーリンにはもともと異性を好きになる意味がない。男は射精しないし、女には生理がない」
「付き合う、なんて、契約みたいなもので、恋人同士って決めたら、関係が制約されていくものね。決まり事が多くなるだけで僕はウザったいな」
「それを聞きたかったの。私達はそういうんじゃない」
「だよ。兄妹だよ」
ハルは店のカウンターのなかに入ってビールとソーダ水持ってきた。キリがソーダ水を飲むとジンも混ぜられていた。
「これお酒じゃん」
「ソーダ水にジンを混ぜるとジンリッキー」
「僕たち未成年だよ」
「いいの。飲みなよ。楽しくなるわよ。それにここでは、お酒飲まないと仲間になれない人たちばかりだから、練習しときなよ」
「嫌だよ」
「じゃキリ君、舌出して」
キリは言う通り舌を出した。そこへハルは自分の舌を出してつけた。
一瞬の接触。
舌の先と舌の先。
キリはそれが嫌でジンリッキーをぐいっと飲んだ。
「何それ」
「何も意味はないわ。奪っただけ。お金みたいに」
キリは胸がドキドキしていた。
これって何?
わからない。ハルはそんな気持ちないもの。キリはどちらかというと手を繋ぐ方が嫌悪感が走る。
しかしすぐに酔うよな。このジンというお酒は。
「ハルはここでバイトしてるの?」
「いいえ。ここのマスターが私の育ての親。だから私の家みたいなもの」
「へえ」
「今日は休業日だから、誰も来ないわよ。仲間も」
なんとなくどんな客たちが来るかはキリも予想ができた。まだ胸が痛む。
「キリ君、トウマヒロミは知ってる?」
「うん」
「東京の人。グラビアアイドル」
「彼女の周りには今、いろんなことが起きている」
「いろんなこと?」
「殺人予告とか。事務所の解雇とか。彼女もフォーリン。それで排除されようとしている。彼女は新しい事務所をつくる気でいる」
「ネットで知ったの?」
「Twitterでヒロミから返事が来た。LINEで繋がった」
「へえ。なんて?」
「【私達は地球上のいらないのかもしれない】」
「不要?」
「地球は時々、人口が増えすぎると新型の粛清をする。スペイン風邪では、昔2400万人が死んだ。温暖化する地球への粛清なんだ、という人もいる。だからインフルエンザとかもウイルスも新型が出続ける。彼女、事務所の社長に言われたらしい。フォーリンはやがて破壊行動をする異分子、だって」
「破壊衝動なんて僕にはないよ。人を殺したり、傷つけるのは違うよ。どんなに違和感があっても」
「そうかしら?」
ハルはバックから薬を取り出して、ビールで飲んだ。
「安定剤」
「お酒と精神安定剤を一緒に飲んだらダメだよ。ハル」
「わかったわ。ファーストキスのお相手さん。さあ、そろそろ待ち合わせよ。行くわよ。キリ」
いらない?
僕は不要な異分子なのか?
けれどそれは違う。
ハルが何かしようというのなら、僕は止めてみせよう。僕がなんとか手を差し伸べよう。どちらかというと僕は彼女のためにもそうしたい。
バー「エス」からすぐのところにその廃工場はあった。雑草ばかりで建物は朽ちている。
辺りはもう夜。
やがてそこへバイクの音が近づいてきた。
キリとハルの前に一台のオフロードバイクが回り込み、急停車した。フルフェイスのメットを取ると顔が見えた。
歳は17歳ではないだろう。二十代後半で、無精髭の生えた髪の真っ白い男だった。細身で黒いライダーズスーツを着ている。背が高い。
オフロードバイクのヘッドライトが点いたままで、眩しい。
しかしこんなオフロードバイクなんて見たことがない。
「こんばんわ。君が、赤いマフラーの遠野ハル?」
「そう。あなたもフォーリン? 17歳じゃないじゃない」
「俺もフォーリン。フォーリンから心臓を移植してもらった。フォーリンは早死にする例も多いんだよ。だから俺の心臓はフォーリンから譲り受けてる」
「臓器提供を受けてるのね」
「そうだよ。仲間だよ。認めてくれる?」
「OK。こちらはキリ。フォーリングベイビーのキリ」
キリは紹介されると軽く手をあげた。臓器提供‥。
「俺の名前は、ヒューイ」
そうやってフォーリングベイビーズは、臓器提供された者も、支持者も、仲間になって増えていく。
その頃、トウマヒロミのいる東京では、ひとつの事件が起ころうとしていた。
キリは自分の舌にまだ違和感を感じている少年だった。
4
ヒューイの乗ってきたオフロードバイクは「フューチャリスモ」とエンブレムがある。
「フューチャリスモ?」
キリはバー「エス」の入り口の前でそのボディーに刻印されたエンブレムに触れ、撫でてみた。
冷たい‥‥。
「どうしたの? キリ? そのバイクがどうかした?」
ハルが「エス」の階段から現れ、チカチカする街灯の下で、片手にジンリッキーを飲みながら、訊ねた。
「見たことないバイクだよ」
「ただのフューチャリスモだよ? 私たちにとっては‥‥ただのバイク‥‥店おいで、キリ? 何かヒューイが企んでるし、オッサンといるのはちょっと‥‥」
「カッコいい人じゃん。銀髪だし‥‥」
「だからよ」
ハルはキリに耳打ちした。
「性欲あんじゃない? お尻とか触られたり嫌なんだ‥‥」
キリとハルはバー「エス」へ入っていく。
残されたフューチャリスモが街灯にチカチカ光る。
キリは思う。
「フューチャリスモ。。。乗れるさ」
XXX
デジタルの世界へダイヴ。
精神と肉体は0か1の数値に変換されて、個人の存在は粉々になる。
電子の微粒子となってその世界に浮かぶ。
太古の生命の誕生のように、電子の海のなかで微生物となってそこを漂う。
自分の手も、足も、身体も、微粒子のざわめきとなって分解され、心はここにあるというよりは、そこも、ここも、どこもかしこもが自分なのだ。
全ては溶解され、混ざり合い、そして凝固する。
具現化する。
そうならなければヴァーチャル・ワールドというものも成立しない。
※
プッシュ・ザ・ボタン。
するとテープは再生される。
最初の画面は砂嵐。
あたかもバクテリアの集合体が蠢いているような、その青みがかったモニターの光と音が延々と続く。
その電子信号が作り出したカオスの画面は実は何も意味を持たないイノセントな存在。
そのはずなのにしばらく見ているとその奇妙な映像体験自体が深層心理にダイレクトに影響を及ぼし始める。
憂鬱、混乱、静けさ、激情、虚無感、そんな全てがそこにあり、心に小さな石が投げ込まれるように緩やかに感情の波が起こる。
本来はそれはただの信号。
それなのに初めからそこに含まれていたように意味を見い出してしまう。
意味を附与してしまう。
そんな経験はこの世界ではよくあることなのかもしれない。
人の命に何かの理由をつけたがる多くの識者のように。
やがてその映像の深みへとゆっくりと降りていく。
その緩やかな階段はどこまでも下へと続いている。
その奥にあるのは深いイノセントな世界である。
そこに足を踏み入れる。
階段のつきあたりにひとつの扉がある。
そのドアを開いてなかへと入っていく。
そこは電子の微粒子だけで作られた完全なデジタル・ワールドだ。
※
少女の顔が画面いっぱいに映し出されている。
その瞳は涙に濡れ、目の下には疲労のための暗い隈がある。
髪は雨に濡れたみたいに真っ直ぐ下へと伸び、毛先が水分を含んで微妙にカールしている。
カラーバランスが取れていないため、画面はひどく暗く、そして粒子が粗い。
全体に苔のような深いグリーンのオブラートがかけられているように見える。
まるで水の中の映像のようだ。
深い海底よりの交信みたい。
唇は分厚く、赤い。
口の端にうっ血した跡があり、微かに出血が見て取れる。
肌は白くステンレスのようにつるんとして、その細胞の若さを主張している。
鼻はデジタルの微粒子に荒れ、グリーンに変色し、前衛絵画のように押し潰されている。
濡れた前髪の向こうには強力に見開かれた少女の濡れた瞳があり、真っ直ぐにこちらを捉えている。
それは全てを理解し終えたような聖者の視線に思える。
少女は微笑わない。表情が魔法で吸い取られたように、じっとカメラを見据えたままだ。
しかし息遣いだけはダイレクトに聞こえてきて、その呼吸の揺らぎに恐怖と緊張が感じ取れる。
唇が微かに動いた。
まず小動物の鳴き声のような溜め息が洩れる。
そしてまるで砂漠で喋っているみたいな乾いた声で少女は語り始める。
アタシノナマエハXXX‥‥タスケテクダサイ。
DVDを見終えると、ミカはしばらく言葉が出なかった。
しかし画面のなかの少女が自分の娘であることだけはわかった。
或いは似ているだけかもしれない。そう思おうとするのだけれど、テープに記録されているある種の冷たさが自分の娘だということを物語っている。
夕暮れのリビングのソファーに彼女は腰掛けている。
その隣には犬のベーベルが横になり、眠そうに毛繕いをしている。
部屋に設置されている加湿機が微かな音を発てている。
ベーベルの背中を撫ぜながら、彼女は放心してしまった精神を取り戻そうと試みる。
しかし反対に鼓動が速くなり、息も荒くなる。
手が細かく震え始める。身体中の血の気が引いてしまった。
誘拐?
窓から射し込んでくる夕陽が何かに反射して天井に奇妙な模様を浮かび上がらせている。
XXX
バー「エス」での会話はいつもつまらない。
だからヒューイはキリに耳打ちした。
「なあ、あのバイク乗らねーか?」
「フューチャリスモ?」
「キリにあのバイクをプレゼントするよ。乗れればの話だけど‥‥」
ヒューイはあのバイクがある特殊なバイクであることを知っている。
だからキリにそんなことを言ったのだ。
キリはバー「エス」の前でその変わった形のオフロードバイクに跨りった。
クラッチを入れようとしたがない。
「ヒューイさん、クラッチは?」
「ない‥‥」
「じゃあ、動くわけないさ」
「さあて‥‥」
朝靄が辺りにかかっている。そのなかでバイクのエンジンが急にかかった。鳴り響くエンジン音‥‥。
バー「エス」の階段から慌てて赤いマフラーをしたハルが駆け出てきた。
「エンジンがかかった! いけーーっ! キリ!」
「でもクラッチがない!」
キリは思い切って、叫ぶ。
「動け! フューチャリスモ!」
途端に、どこか内部でギアが入る音がする。まったくスイッチは存在しない。
ハルが微笑む。
「‥‥動け‥‥フューチャリスモ」
キリは突然、風の中にいた。フューチャリスモが高速で走り始めたのだ。風を切る。夏が吹き飛ぶ。空が弾ける。
動くはずのないオフロードバイク。
フューチャリスモ。
それはフォーリンにしか動かせない。
5
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小説「フォーリングベイビーズ」イメージソング「anne 」