普通の人が、世間一般が、多数の人が、考える理想の死に方を知りたい。

誰にも気づかれないように死にたい
そう潜在的に思っている。と思う
全然死にたいとか、そんなこと、たぶんしばらくそんなに思ってないと思うし、そんな非生産的なこと、思わないようにしてる
最後にいつ死にたいと思ったのかなんて忘れてしまった。
けど長年考えてたせいで潜在的に染み付いている
"誰にも気づかれないように死にたい"
というこの考えをやめたい。
理由は"誰にも気づかれずに死ぬ未来"に無意識的に向かっている気がするから
引き寄せの法則みたいな感じで、
"誰にも気づかれずに死ぬ未来"
を引き寄せている気がする
孤独に向かっている
なぜ、誰にも気づかれずに死にたいなんて、考えなくなったのに、
潜在的に自分の中に残ってるのかは
それに代わる考えがないからだと思う。
"誰にも気づかれずに死ぬ"
これに代わる考えが自分の中にないし、分からない。
新しく、理想の死に方が見つかれば変われる気がする。その死に方に向かって新しく生きれる気がする。
普通の、こんなことを思わずに生きてこれた人の、理想の死に方ってなんだろう。
そもそも"死"のことなんて考えないのかな。
わたしは"誰にも気づかれずに死にたい"この考えからアップデートされた考えになりたい。

そもそもなぜ"誰にも気づかれずに死にたい"なんて思うようになったのか
高校生のとき、死にたいって思ったとき、自分が自殺して、誰かが泣くのが許せなかった。例えば親が泣くのが許せなかった。
悲しませたくない、なんて感情は一切ない。
生きているうちに何もしてくれかった癖に、私が生きる理由になれなかった癖に、否定しかしなかった癖に。
ふざけんな。
私が死ぬまで追い詰めたやつらが泣いてんじゃねえ、同情してんじゃねえ、勝手に憶測してんじゃねえ
自分が自殺して葬式で泣いてる知り合いたちを想像してそう思った。
家族も地元の人間も嫌な奴ばかりだった。でも自分が死んだら泣いたり悲しんだりすることは大体想像できていた。気持ち悪かった。
自分の存在自体を消したくなった。

最近の話なんだけど、
転職先が職場の人間には必ずマイナンバーカードを作ってもらうという変わった場所だった。理由は何かあったとき、身元がわかるからだーとか助けられるからだーみたいな、
先日マイナンバーカードを申請したんだけど、すごく嫌な気分になった。
マイナンバーカードがあることによって自分の存在が認知されるような、証明されるような、知られてしまうような。
そんな気持ち悪さがあった
それで私は、やっぱりまだ潜在的に
"誰にも気づかれずに死にたい"
この考えが残ってるんだな、と思った。

誰か1人でも
私の葬式に来て欲しい
私の死を知って欲しい
そう思える相手がいたら変われるのかな。
この考えの癖は

すみを

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