コメディという「体技」

(Facebookに書いたものを記録のためにこちらにもコピーしておく)

 気晴らしに小林信彦「決定版 日本の喜劇人」を多分再度読書。再度読んで思ったのは、コメディには「動き」で見せるやり方が一つの柱としてある、ということを小林信彦が何度も書いている点(前回はあまり気にしていなかった)。エノケンはその系統だし、欽ちゃんも元々はそうだ、という。それは「パロディ」とは違う、とも書いている。

 マスコミュニケーションの研究はテレビに対してとても冷淡だが、それはマスコミュニケーションの研究が元来ジャーナリズム研究、つまり言説の分析からきているからだろう。最近思うのは、テレビや、場合によってはラジオの影響の最も特徴的な部分は非言説部分の画像や音声にあり、それをマスメディアの研究者は研究する術がなかったし、興味もなかったからなのでは。だが、テレビ、そして動画(や音声メディア)の影響力の一番強いところはおそらくこのテキストではない部分ではないか。ここに今関心を持っているのは感性工学系統の研究者(私も)。「テレビの影響力」について、物語部分からアプローチするのもアリだろうが、そうではないところ(gut feeling部分)がおそらく影響力の本質的な源泉で、ここがうまく拾えたら面白いと思うのだが。

 今読んでいるところには石井均(私は全然知らない)という人が出てくるが、こんなふうに書いている。

 「(曾我廼家)十五の飄々とした芸風は、走りまくる(といっても、私には、かなり物足りなかった)石井均の芸風と百八十度違うと言っていい」(p.138)
(石井均を買っていた長部日出雄は彼を訪ねて)「きみの芝居は、からだの中にあるテンポが生命だ。それをなくしたら何もない」(同)

 オリンピックの時に、アスリートを眺めるのは観客側にその身体感覚があり、それをなぞっているのかも、と考えたが、この種のコメディもそういった身体性がありそうに思う(コメディの作り手にとってはそれはひょっとすると常識なのかもしれない)。そして大泉さんやかの番組には、確かにこの種のテンポはある。直接的に体を動かす表現についてはなさそうだが、鈴井さんや安田さんのお芝居にはあると思う。

 そういうものを「見る」快感は心理的に必ずあると思うが、それが何なのかは私にはまだよくわからない。

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