あなたは人生の岐路に立たされた時、自分と向き合うことができますか?

「やっと最後の科目か…」
3ヶ月間の運転士研修最終日。
4日間にも及ぶ筆記試験も残すところ1科目

「始め」

試験官の号令がかかる。
苦楽を共にした仲間との最後の戦い。
1科目でも点数が足りなければ不合格。
2度と運転士になるチャンスはない。
私たちは緊張した手で鉛筆を握った




「大きくなったら電車の運転士さんになりたい!」
電車が好きな私は、気づいた時にはそんな夢を持っていた。


大学入学の際、実家を出て一人暮らしを始めたが、2時間以内には家に帰ることができる距離だった。何の用事もないのに週末は実家で過ごす事も多かった。

私は地元が好きだ。家の周りは田んぼと牛舎しかなかったが、私を育ててくれた街と人を愛していた。きっと地元中心に就職活動をすると思っていた。

ある時、大学の女性講師からこんな事を言われた。
「君は鉄道会社希望だったよね?何で九州や北海道とかの会社は希望企業に入れてないの?」

「できれば地元の東海地方で働きたいっていうのがありますね…。」

「ねぇ!鉄道会社なめてる?鉄道会社に入りたい!って大学生が全国に数えきれないほどいるのよ!?受けれるところは全部受けないと受からないわよ?私ね福岡出身なんだけど、九州って良いところよ〜。鉄道会社本気で受けるなら北海道でも九州でも足で稼ぎなさい?」


『やりたい仕事、夢があるなら地域は絞っちゃだめよ?』


夢か…

電車の運転士にはなりたかったが、地元を離れることは考えていなかった。

私の夢はそう簡単に叶うものではない。鉄道会社には入社したかったが、大人になってから鉄道会社の狭き門に気づき愕然とした。夢は想いだけではどうにもならないこともある。きっと運も必要だ。
もし鉄道会社に行けなかった時は文字通り『ご縁がなかった』と諦めるつもりでいた。


しかし私は彼女に言われたあの一言が、喉の奥に突き刺さった魚の骨のように四六時中私に問い続けた。


本気で電車の運転士になりたかったんじゃないのか
鉄道会社を諦めて地元で全く関係のない仕事をして自分の人生に納得できるのか
やりたい事をやるために地元から離れる勇気が私にあるのか

彼女の溌剌とした口調は私の将来に対する甘い考えを見抜き急所を突き刺していた。まだ就職活動が始まってないにも関わらず人生を左右する選択を唐突に与えられたようだった。

とても21歳の自分には抱えきれない迷いという名の魔物が足音もなく現れた。



その週末、実家に帰り母親の作る晩ごはんを食べながら何気なく聞いた。

「俺って実家離れてもええの?例えば就職で東京とか、まぁ極端な話…福岡…とか?」

私は長男で継ぐものこそ無かったが、家を離れて良いかどうか大学生ながら心配だった。


すると母は私の神妙な顔つきを見て声を出して大笑いした。

「何で笑ってんの!もうすぐ就活始まるんやで!?」

母は何がおかしかったのか、理解できなかった。

「どうせ止めても無駄やろ!」

母は笑って答えた。父も隣で何も言わず笑っていた。

両親は全て悟っていた。
私が本当はどうしても電車の運転士になりたいこと
それが例え地元から離れていても関係がないこと
そしてその日がきたら息子を送り出さなければいけないこと

「そっか」

自分の本心に気づけていなかったのは私自身だった。
自分がどうしてもやりたい仕事があることを改めて気付かされた。

自分の夢が叶わなくても『言い訳を作って』逃げようとしていたんだ。



私は鉄道会社へ就職するため、戦うことにした。全国の鉄道業界志望者とそして自分に対する甘い考えと。

就職活動開始と共に私は全国の鉄道会社を訪ねた。東京や大阪はもちろん福岡などの地方にも足を運んだ。



そして就職活動が本格化し2ヶ月が経った。私は東京で面接を受けるため新幹線に乗っていた。今日は梅雨の晴れ間か…。左手には富士山が綺麗に見えた。音楽を聴きながら2時間後に始まる面接の準備をしていた私の元にある会社から電話が来た。私は席を離れデッキへと向かった。携帯の画面には地元からはほど遠く、私にとって縁もゆかりもない九州の鉄道会社名が表示されていた。

今日までに地元や地元から近いエリアの鉄道会社からは所謂お祈りメールや電話が来ており、もはや鉄道会社に就職することさえ出来ないかもしれないというマインドになっていた。地元ならともかく、あえて東海地方の人間を九州の会社が採用してくれるはずがない。また不採用通知の電話か。

やはり夢は夢。子供の頃からの夢なんて自分に叶えることなんて出来ない。地元にある鉄道とは全く関係のない会社からは内定を頂いているし、きっと地元で一生を過ごすのだろう。

電話口で挨拶を済ませた後、採用担当の社員が勿体ぶらずに私に告げた。

「最終面接の内容を踏まえて4月からうちに来てほしいんですが…」

あらゆる負の感情が全て抜けきったように頭が真っ白になった。

「はい!是非お願いします!!」

頭で考える前に声がでた。
新幹線の走行音に負けない大きな声がデッキ中に響き渡った。







「『やけん』だって〜!!」
電話越しに妹の笑い声が聞こえた。
来月実家に帰るため家族にその計画について話していた。

「5年もこっちにおるんやけ!しょうがないやろ!」
家族と話しているにも関わらず自然と九州の言葉が出てくる。

「もう休憩終わるけ!またかけるけん!切るよ!」

「『かけるけん』だって〜!!」

「切るで!!」


あれから5年も経つのか。
地元の人間と話すと自分が九州にいる事を自覚させられる。5年前に言われた女性講師の一言が私の人生をがらりと変えた。ただこれも何かの『ご縁』なのかもしれない。

目の前に見える信号が赤から緑に変わった。

「発車いたします。閉まるドアにご注意ください」
車掌がドアを閉めブザーを鳴らした。

「戸閉メよし 出発進行 制限なし」

私は白の手袋を纏った左手でハンドルを握った。

#一歩踏みだした先に

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