子ども時代にゲームを禁止された者の末路


今はすっかり立派な(?)ゲーマーとなっている私は、子どものころゲーム禁止だった。

理由ははっきりとわからない。
はっきりと分からないので、わたしは親に抵抗していた。
親と言っても、父は基本放任主義だったので母に対して、である。

母とは子どものころから折り合いが悪い。
なんというか、母は感情論で話をするが私は理論派なので、母がヒステリーを起こしたり泣き出したりするのが心底めんどくさいと子供の頃から思っている。
「ゲーム禁止」
という決まりに対しても、母は 【なぜゲームをしてはならないのか】をきちんと説明してくれなかった。
「ゲーム脳になるからダメ!」とはよくいっていたが、子供にわかるように「ゲーム脳とはなんぞや」「ゲーム脳になると何が困るのか」という説明をしていないため、私は「またなんか訳分からんこと言ってらァ」くらいにしか思わなかった。
「ゲーム脳ってなに?」と聞いてみても、「いいから口答えしない!」と激怒されて、なんだコイツ状態である。

幸いにも私が生物学上「女」に生まれたため、ゲームを持っていないという理由で話についていけないとか一緒に遊べないということは無かった。遊ぶ=なんかかわいいもの集めに雑貨屋さん行くとか漫画を読んだり描いたりとか、そういうのがメインだった。
しかしそんな中でもゲームを持っているおうちの子は、子供のやりたいことを尊重されているので、親との関係も良好でうらやましかった。


ゲームはダメだ悪だと言われていると、逆にやりたくなるのが私の性格だ。
ゲームを持っている友だちの家で熱心にプレイしたり、時々超心広い友だちが「貸してあげる〜」とか言うので持って帰ってこっそりプレイしたりした。
この時よくやっていたのはスマブラだったと記憶している。あとはスーパーマリオ64やマリオパーティーも。PlayStationのサルゲッチュやキングダムハーツ等もやった。
私はどっぷりとゲーム沼にハマった。
自宅にはないけれど。

ある日、叔父の家に遊びに行ったらスーパーファミコンを発見した。
思わず「いいなー!」と興奮して眺めていたら、叔父が「全然使ってないけんあげるよ〜」と言って、なんと一式プレゼントしてくれた。

この時にもらったのが、ストリートファイターやダビスタ、スーパードンキーコングだ。

もう、のめりにのめり込んだ。ドンキーはちゃんと最終ステージクリアまでやった。楽しくて楽しくて、心から叔父に感謝した。
しかし、母は忌々しきゲームが家にやってきてとても嫌そうにしていた。
嫌そうなのも分かっていたので、母がいるときにはしないようにしていた。もちろん学校の勉強もちゃんとやっていた。基本的には習い事で忙しくしていたので、週末に1〜2時間出来ればいい方かな?という感じだった。

しかし。

ある日学校から帰宅すると、スーパーファミコンがないのである。

「ゲームは?」と母に聞くと、「捨てた」と。


いつかこうなる気がしていた。だって母はそういう人だから。


ゲームだけじゃない。集めていた漫画も、頑張って作った工作も、勝手に捨てる人だ。
だから母が嫌いだ。この時も、今も。

私の楽しかった日々は突然終わりを告げた。


この時の出来事がショッキングで、わたしは大人になってもゲームを触らなかった。
しかし、夫が結婚を機に地元を離れ孤独になっていた私についにコントローラーを握らせたのである。そのときに始めたのがフォートナイトだ。


私は驚いた。
友だちと家に集合してゲームやるんじゃないんだ!!遠隔でできるんだ!!(オンラインのこと)、コントローラーが無線で繋がっている!!ボイスチャット?!それだとゲームの音聞こえ......るー!!!!
浦島太郎状態であった。

それからというもの私は平気で毎日6時間とかゲームした。夫は「よかったねえ☺️」と見守ってくれた。
子供のころに出来なかった夢のような時間を、思う存分に噛み締め、今ではすっかりゲーム廃人だ。
子どもの寝かしつけを全力で頑張り、ゲームしている。

子どものころの「やりたい」に、親の理想や都合で理由を説明せず「ダメ」と言うのは、悲しきモンスターを生み出す原因になると思う。
無理に排除しようとするのも、信頼関係が崩壊するであろう。

私は子どもがいるが、彼がゲームをやりたいと言い出したら、
①やるべきことはきちんとやる
②暴言を吐かない
③課金は許可をとる
以上3つの決まりを守ってもらった上で楽しんでもらおうと思っている。

私はゲームは悪では無いと思うのだ。
一生懸命攻略を考えて調べて実行する。勉強と同じではないか。
一緒にプレイする友人へ、気持ちの伝え方を考える。立派な社会勉強だ。

ゲームを悪いものとするのか、良いものとするのか。
それはまわりの大人にかかっている。