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優しさの作り方が気になった話。
こんばんは、スミレです。
私はもう夏休みが終わり、今週からまた授業が始まりました。久々にシルバーの指輪作りに取り掛かり、今週からついに宝石も触りだすということで、楽しみすぎて常時ハイテンションでした。
まあクラスメイトとは大して会話もせず、心の中だけで叫び散らしていたわけですがね。人見知りは長期休暇を経たくらいじゃ治らないのです……。
さて、私スミレ、2回目の親知らずの抜歯から生還したばかりでございまして。前回は『親知らずを抜いたら、言葉が心に沁みた話。』で書いた通り、コミニュケーションの凄さを体感しました。
今回は、「優しさ」について思うところがあったので、記事に書いてみようと思います。
2回目の抜歯は、台風が接近していた日の予約だったため、「抜きたてホヤホヤの時に雨に降られちゃキツいでしょう」ということで父が車で送ってくれました。マジ感謝です。
父は運送業の人間で、2024問題の影響か普通にお盆休みをもらえたみたいでして。まあ今年の夏は実家には帰りませんでしたけど、この話はまた別の機会に。
ともあれ父の運転で楽々と病院に到着し、早速親知らずを抜いてもらうことに。
前回とは別の先生で、「この人ベテランだ」とすぐに察したくらい、凄い先生でした。
私が病院に着いてから、抜歯してもらって、薬局で処方箋を受け取る……全部合わせて一時間も使いませんでした。父は「もっと時間かかると思ってた」と驚いていました。うん、私もそう思ってたよ。
あと、今回抜いた親知らずは歯茎に完全に埋もれている状態だったので、歯茎を切る作業も追加されていたはずなんです。でも先生ったら超余裕の様子で「あ、意外と大きい歯だったね」「でも根っこが完成し切ってなくって、めっちゃ抜きやすいや」と発言していたり。
あとあと、抜き終わって、傷口を縫ってもらったんですけれど、前回の先生は2針、今回は1針で済みました。縫ってもらう必要がある抜歯をあまり経験していないせいもあるんでしょうけれど、てっきり何針も縫うもんだと思って勝手にビビってたんすよ私。
(ついでに言うと、ベテランゆえなのか、目隠しタオルは無しの器具丸見えで私がビビったり、麻酔の注入がそれはそれは容赦無かったりしました。よう耐えた。)
で、私が「この先生、マジで凄いな」と思ったのが以下の会話文。
先生
「糸取るから来週にも来てもらうけど、何時くらいに予約しようか?」
私
「あー、じゃあ午後の3時くらいでお願いしてもいいですか?」
先生
「オッケー。一応3時の予約にするけど、別に4時でも5時でもいいよ、空いてるし」
私
「え、あ、ありがとうございます」
あの、そんなこと言われたの初めてなんですけど。予約の時間よりずっと遅くなってもいい、それ込みで予約を完了しとく、なんて。
多分、「学校の授業があるので、予約を別の日にしたいです」って電話したことが先生にも伝わっていたのでしょうかね。その時電話対応してくれたのは看護師さんでしたけれど。
ちなみに抜糸の予約をした日は午前中だけの授業なので、学校から病院まで直で行けば午後3時はむしろちょうどいいんですよね。というかそれを狙って自分から時間を指定したから目論見通りなんですけど。
だから余計びっくり。患者に遅刻されたら先生たちも困るだろうに、2時間の遅刻をあらかじめ許すなんて。……あ、一応言っておきますけど私はちゃんと時間通りに行くつもりですよ、迷惑はかけたくありませんから。
でも、別にその先生が時間にルーズってわけでもなさそうなんですよ。
親知らずが綺麗に抜けたあと、私が薬局に行って炎症を抑える薬と抗生物質を手元に用意して、また先生のところに戻ってその場で飲んだり家で飲む分の指導をしてもらったり、という流れがあったんですけどね。
薬局へ向かう時に、
先生
「もう動ける?フラフラするとか気分悪いとかない?」
私
「ないです、大丈夫です」
先生
「よしじゃあ早速行動しよう」
って感じで送り出されまして。
「早速行動しよう」って。そんなの普段からキビキビ行動するよう意識してなきゃ出てこなくない?ここでもベテラン先生の凄さを見た(聞いた?)私。
ふとこう思ったんです。「遅れてもいいよ」と「早速行動しよう」が両立してるの、なんでなんだろう、と。
ついでに思い出したのは、病院前に停まるバスに乗った時のこと。運転手さんは「お時間かかっても構いません、ドアが開いてから席をお立ちください」とアナウンスしていました。バスにもダイヤがあるのに、お時間はかかってもいいなんて。
どっちも逆じゃないですか。遅れてもいい・時間かかってもいい、そしてすぐ行動しよう・ダイヤに沿おう。でも同一人物がその両方をやってのけているって不思議です。
なんというか、前者は「気遣いとか優しさがあって、でものんびりしすぎかも」って感じかして、後者は「周りが困らないようにちゃんとしている、でも容赦ないかも」って感じというか。
真逆で、いいとこどりは難しそうで。そのハードルをしれっと飛び越えている人たち。カッケェ、そして不思議。
私なりに考えてみた結果、あれは考え抜かれた末の優しさだったのかな、と。
抜歯してくれた先生で言えば、患者の普段の生活(私で例えると、平日の学校)を考慮して「もしかしたら授業が長引くとかあるかもな→遅れても気にしないよ」ってことだったのではないか。そして「抜歯直後だけど体調は平気そうだな→じゃあ次の行動を示してあげねば」ってことだったのではないか。
バスの運転手さんで言えば、「病院の予約があるからこのバスに乗る人もいるだろう→ダイヤ通りに運行して時間に間に合わせてあげたい」ってことだったのではないか。そして「体調が悪くてバスの揺れに耐えられないかもしれない→時間かかってもいいから安全に降りてね」ってことだったのかもしれない。
あくまで私の想像でしかありませんが、私がこんな風に想像するに至ったのは、あの人たちは責任持ってその言動をしていたことが確かに窺えたからです。
ヘラヘラとした調子で時間を守らなくていいなんて説かれても、私は「大人として大丈夫なのか」と思ったかもしれません。
イライラとした調子でダイヤを守れと説かれても、私は「一辺倒でなんだかなぁ」と思ったかもしれません。
そんなノリで遅刻を許されたり免れたりしても、なんだかモヤモヤしてしまいそうです。
なんというか、考えなし・無責任なところから本当の優しさは生まれないんだな、とひとつ悟った気分です。
私がなるなら、そっちがいい。自分の中でちゃんと考えて、それが向かう先をリードでちゃんと引っ張って、結果的に優しさとして昇華される。それはきっと自分も周りも安心できると思うから。
……う〜ん、書いてみたはいいけれど、上手くまとめられてるかしら。これで伝わるかしら。
言語化は楽しくて難しいですから。いつか「私のために」自分の中身を言葉としてアウトプットするんじゃなくて、「読み手が確実に何かを得られるように」アウトプットしてみたいもんです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。