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お仕置きのある家庭に生まれて

自己紹介の記事も書いているので先にこちらを読むことをお勧めします。

前回投稿してから私の想像を超える閲覧数とフォローをいただき、
驚くとともにあの内容でも特に公開停止などの処置にもならずある程度この辺りの分野は問題なく書けそうということが分かりました。

宗教的な内容やお仕置きは話せば話すほど恐らく読む方の表情を歪ませてしまうと思います。
私自身、親と縁を切り日本に戻ってきて再スタートのつもりなので、
今回は流石に幼少期から高校まで全ての経験は書けないので、
「お仕置き」にフォーカスを当てて、中学〜高校1年手前まで辺りのお話を書いていこうと思います。

幼少期に関しては記憶があやふやなところがあるのと、
小学校の頃まで書くと6年分と長くなるので今回は割愛します。
また読んでいただける方が多ければ次回も書こうと思います。

また読みたいと思っていただけたら、この記事に目印としてスキを付けていただくのと、私のこのnoteのアカウントとX(Twitter)の@sumire_love17 をフォローしていただけると助かります。

前回も予告いたしましたが見る方によってはお仕置きとはいえ
かなり引いてしまう内容です。
私自身、大人になって色んな方のスパのプレイやコミュニケーションをとる中で自分が受けてきたお仕置きがいかに壮絶だったかは肌で感じています。

なのでこのnoteがどれくらいの文量になるか分かりませんが、
お仕置きをピックアップする場面は限定公開になりますので、それでも読みたいという方のみ愛読下さい。
厳しいお尻叩きに耐性無い方はオススメしません。
実際に私の身に起こっていたことを文字に起こすのでその辺りご了承の上、読み進めてください。

宗教が常に身近にある家に生まれて

どこまで具体名を挙げていいのか分からないので、
前回同様名称は伏せます。
皆さんの中でご想像が付いてる方もいらっしゃるかもしれませんが、
基本的に私の人生の中で受けてきたお仕置きの話がメインになりますので。

私自身、縁を切った身ですのでもう彼らの存在を意識する意味もありませんし危惧することもありません。
ですが今も世間を見渡すと二世として苦しんでいる人がいるのも事実です。

私は一定期間日本を離れていたこと、親とは縁を切ったこと、宗教とも身を断った現状なのでこうして書けますが、
今も苦しんでる方にスパンキングが好きという理由で絡むようなことはしないであげてください。
私のようにそれが性癖になってしまった人もいるかもしれませんが、
多くは辛い過去として心に深く傷が刻まれています。

実際に私も母から幾度となくお仕置きを受けてきました。
理由は様々です。
前提にあるのは「教えに反する行為を犯した時」
数え切れないくらいお仕置きはされたので一度一度の理由は覚えていません。

遡れば本当に小さなことが火種でした。

彼ら(母とは縁を切っているので母も含みます)は自分たちの信じるものに対し絶対的な忠誠心を持っています。
私はある種の洗○だと思います。

これはSNSを使うようになり外部の情報を目にするようになって分かったことですが、ほとんどが私も経験したことでした。

集まりの際に子供のお尻を痛めつける道具選びに皆で精を出す。これを果たして親の愛情と言えるでしょうか?
興味も無い話を長々聞かされ寝てしまうこと、態度が悪くなること(それだって向こうの判断です)
これって本当にこちらに非があるのでしょうか?

今なら力で対抗できなくもありませんが当時は子供です。

そんな無力な子供相手にムチを振り上げる大人が結果的には私の母だった。
自分の親とは?と聞かれたらこの一言に尽きます。

私は縁を切る前に母と面と向かって一度会話をしました。
子が親に対してチャンスを与えるという表現は間違っていると思いますが、
当時のことを謝ってほしかった。というのが正直なところです。
謝られても許すことはできません。

それでも私にとっては唯一の母なので。

でも彼女は一貫してあの教えの中で起こったことと当時のことを
否定しませんでした。
否定できなかったのか、しなかったのか
今となっては分かりません。

ここで全て書くと約18年分くらいの量になるので、
今回のみでは書き切れませんが、ストレスの連続でした。

私がお尻叩きを性癖に感じた頃の話は前回の無料記事に書いているので、
そちら読んでください。

あの当時、お尻を叩かれることが性癖になったことと
母が私にしたお仕置きは切っても切れない関係です。
誰がどう見てもあの異常なお仕置きが私の心を壊し性壁に繋がったことは明白です。

それを性癖として認識しプレイをするまで私は葛藤しました。
これを好きになるということは母にされたお仕置きまで受け入れてしまうということではないかと。

そんな自問自答を繰り返す中で私の中でハッキリとした線引きを作りました。
母にされたお仕置きは決して許してはいけない。
でもその結果これが性癖になってしまったなら隠すことなく自分を受け入れようと。そう思いました。

なので、この先の文章で私が中学時代に受けたお仕置きの1つを書きます。
全てを書くと多大な時間が掛かるのと、note的にこれが通るのかも分からないので。
もし全て書いて一気に公開停止にされるのも嫌なので。

普段禁止されていたこと

お仕置きの本題に入る前にここに触れておきます。

他のお家は分かりませんしもっと厳しい家庭もあったとは思いますが、
基本的に普通の人が学生時代に楽しめること、当たり前にすることが遠ざけられます。
クラスである時だけ私1人だけ参加してはいけないイベントが存在し(内容は察してください)
もしそれに背き母にバレたら当然お仕置きです。

集会が終わり歳の近い子達と話しているだけでも、それが度を超えている(ワイワイしている)と母が思えば帰宅し即お仕置きです。

見てはいけないテレビを見たらお仕置き。
〇〇を歌ったらお仕置き。

学校でイジメられるマニュアルみたいですよね。

クラスメイトと違う行動を強いられクラスからは浮き、
ここで意地を張れば家に帰ってお仕置き。

あと、当たり前ですが
世間でいう悪いこと(イタズラとか)もお仕置きの対象でした。
なので理不尽なルールを強いられる上に普通に悪さをしてもお仕置きという
まあよく大人になるまで私は耐えられたなと思います。

それらのルールに反するとお仕置き。正直私はこの教えに一ミリも賛同していないので恐らく宗教よりも母に洗○されていたんだと思います。
母が言うから受け入れるしかない。
どんなに厳しいお仕置きでも逃げ場も無いし、私の人生はこういうものなんだと。

側から見れば異常な光景ですよね。
私は大柄ではありませんがそれでも小学校高学年、中学と上がっていっても
母の膝に乗せられお尻を叩かれ、
日によってはムチ(電気コード)で躾けられる。

逃げたらいいのでは?って思う方。
その考えはきっと正常です。でも物心が付いた時から
当たり前にそれが存在する世界に生まれると逃げる選択肢は取れないんです。
仮に今、私があの当時に戻ってもお仕置きを受けると思います。
自分の足で駆けこめる逃げ場が無かったので極論を言えば警察に行けば良かったのかもしれませんが、私もこれは何とも言えません。
少なくとも当時の私では100%耐えるしかありませんでした。

お仕置きについて

ここからは当時私がされたお仕置きの話を書いていきます。

記憶が鮮明なのもあり中学時代の一例を書きますが、
今回は平手の例と平手ブラシ両方を使われた例を書きます。
スパンキング界隈的に言うとOTK。
私もプレイだとよくするお仕置き姿勢です。

今回書くのは、
中学生の頃に
母の膝の上で平手でお仕置きされた時のこと。
母の膝の上で平手、ブラシでお仕置きされた時のこと。
この2通りです。

ムチ(電気コード)に関してはもし機会があれば次回にします。
(内容が更に過激になるので)

ここからは内容が酷くなるので限定に変えます。
読みたい方だけ読んでください。

母の膝の上で平手でお仕置きされた時

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