神から受けた苦い盃
二ヶ月ほど前に、Twitterで次のような呟きをしました。
私は生れる時、神から男としての性の盃を受けました。
その受けた盃、全部飲み干しておいて、その盃を神に突き返してしまった。
それは神の怒りを買うのも当然で、神は全力で阻止してくる。
でも、間違った盃は、神に返すほかない。
神に嫌われながら、
自分で自分の命を吹き消すこともできずに、今日も歩いています。
そのようなツイートを、憑きものがついたかのように叫びました。
そしたら、フォロワーさんから次のようなリプライがありました。
坏(つき)返す
その坏(つき)さへも己(おのれ)なれ
飲み乾してこそ
異酒(ことさけ)も入(い)る
突き返そうとしている盃は己自身、突き返すことはできない。
だがしかし、飲み乾したからこそ、空になった盃に異酒を注ぐこともでき、違う生き方もできるだろうという意味になる。
「神様、一献飲みましたよ」
「空いた盃、次、注いでください」
「いいですか、今度は間違わないでくださいよ」
神から受けた盃が違うと思ったら、今のその盃を飲み乾してみるとよい。
もしかしたら、新しい何かが見えてくるかもしれない。
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