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おかげさま

おかげさまで!ありがとうございます!というのは、お世話になった時や感謝の意を表現する時に使う言葉ですが、本来は神仏などの見えない力のことを、おかげさまと言うそうです。
おかげさまがわからないと、心のシャッターをガラガラ閉じがちなのかもな?と思います。
幸せに生きたいのに、シャッターを閉じて郵便物を入れる穴を指で開いて、チラッと外を見て…張り込み中のデカかよ🤣と思います。

何度も書きますが、他人様の生き方をあーだこーだ言えるほど、立派な人格はあいにく兼ね揃えておりません。
ただ書きたいだけの、やや毒舌注意の随筆です。

心のシャッターを開けるのが怖いのに、怖くないよ!シャッター開けて出ておいで!と言うのもズレてる気がしています。
シャッターを閉じていたい時は、閉じておけばいいと思うんですよね。
閉ざしたくなる時は、誰しもあり得ますし、それがダメなのではないです
開けよう!という腹が括れるまでは、半開きにしたりデカしたり、して大丈夫なんです。
おかげさまを得るために、シャッターを開けるのも、ズレていますしね。
おかげさまを得るために、神社仏閣パワースポットに行くことも、ズレてるんですよ。
行ってはいけないのではなくて、おかげさまへの畏敬の念がないまま行く人と、行かないけど畏敬の念がある人とでは、雲泥の差があるのは当然ですよね?ということです。

よく、感謝が足りない人はうまくいかない!と言いますが、うまくいかせるために感謝するのもズレてると思います。
脳内から快楽物質が出ることを喜びとしてしまうなら、ありがとう!おかげさまで!としていれば、機嫌よく生きることぐらいはできるかもしれません。
それに伴って現象が好ましいものに変わるという、理屈は理解できますけれど。
自分を愛するとか、自分を大切にというのも、辛い思いがなくてご機嫌さんなことを、つまり脳内快楽物質が出ることを、愛だとしてしまうと、脳を喜ばせるだけになってしまいます。
自分の機嫌が良ければそれでいい!ということなら、それはそれでいいんですよー。

機嫌がいいことが悪いのではもちろんないけれど、機嫌の良さをキープしようとする作為が、おかげさまを見えなくさせているんだと思うんですよね。
例えば、あいつムカつく!という思いがあれば、それを否定しないことだと思うんですよね。
相当な人格者でなければ、他者と関わってムカつくことがあることは、別にフツーだと思います。
いわゆるネガティブな思いにバツをつけることで、さらに拗れるというか。
ムカつかせた他者を責めるのも違うし、ムカついた自分を責めるのでもなくて。
ムカついた時はムカついて、OKなんです。
ムカつく前には、何かの情報や他者の言動があった訳ですよね。
それを受けて反応的に思考がムカつく!となっているだけです。
売り言葉に買い言葉で、炎上させることを推奨しているのではないですよ。
ですが、怒りが悪感情だと決めつけて、作為的にご機嫌さんでコーティングする必要もないのでは?ということです。

怒りだと判断するのも、怒りは悪いと判断するのも、機嫌がいいと運気が上がるとか、波動が現象に影響するとか、そのような情報を得て判断をするのも、脳のはたらきですよね。
自分を守るために怒りが出るのは、ある意味仕方なく、人体の生命維持のために、正常に機能しているとも言えます。
駄菓子菓子。
それも、脳が人体を制御している司令官だと信じているから、です。

冒頭で「張り込み中のデカかよ!」と書きましたが、自己愛ゆえの過剰な防御が起きるのは、おかげさまが脳にはわからないから、なのかもなーと思います。
自分だけの力で生きているモードというか、ですね。
おかげさまなんですけどね、ホント。
とにかく今ここに、このような姿形で現れていることが、おかげさまだなー奇跡だなーというのがわかると、心の底から感謝が溢れるのではないかな?と思います。
「こうすれば感謝が溢れますよ!」と、誰かに教えてもらうものでもないんですよねー。
ネガティブなことがゼロになることが幸せだ!生きることが幸せで死ぬことが不幸だ!という前提がある以上、サバゲーにログインしてしまうんです。
ログイン中の人生物語を良くすることを教えているのと、ログアウトしてみよう!という方向の話とが、スピ業界でカオスになっている気がするんですよね。

どちらかが間違いと言いたいのではなくて、どちらをご所望ですか?どちらの話をしていますか?ということです。
『マトリックス』の赤いピルと青いピル、みたいな感じですね😁

写真は、今年何回目か?に咲いたバラ。

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