巻き戻し〜その1
人生を楽しんでいる人は、読まない方がいいやつです🤣
もっと良い人生をクリエイトしていきたい!人にも、不向きです。
それがダメなわけではなくて、ここではその話はしていないです、ということです。
「自分らしく生きる」って、素敵な印象のあるフレーズだと思うんですね。
「誰もが自分らしく生きることのできる社会を!」とか言われたら、まず反対する人はいないと思うのですが、そもそも自分らしさって一体どういうこと?
「自分らしく生きるためにはどうしたらいいか?」と思うのは、大抵自分にとって「うまくいかない」時で、「どうしたらいいか?」という考えが始まるように思います。
前にも書きましたが、問いを立てる時はHOWではなくて、WHYがおすすめです。
どうやって?は、HOWの問いです。
自分らしく生きたい!→どうやって?と、自動的受動的反応的に回り始める思考です。
WHYの問いは
「なぜ自分らしく生きたいのか?」
で、自動的受動的反応的に回り始める思考を断ち切るというか、一旦立ち止まるというか、巻き戻す感じです。
HOWは方法論、WHYは「そもそも、なんで?」と確かめるということです。
そもそも「自分らしく生きたい」という思いすら、どこかでインプットした情報だったりしませんか?
前提として「自分らしく生きたい」と思うということは、「今はそうではない」ということ。
どんな願望でも理想でも「こうなりたい!」のは、今はそうではないということ。
つまり「足りない」が前提にあるということ。
どうしたら自分らしく生きられるのか?どうしたら満たせるのか?の方法を探すよりも前に、なぜ「足りない」のか?を突き止める方がいいと思います。
「足りない」のは錯覚なんです。
錯覚から覚めれば、自分らしく生きようとしなくても、自然になるようになっていくんです。
ああなりたい!あれさえあれば!あれさえなければ!…と、条件によって左右される人生の舵取りについて惑う「自分」が厄介なんです。
生き延びるための戦いに、無自覚にログインしているんです。
その戦いモードの「自分」が、ここでたまに書く「井戸の魔物」なんです。
枯れない源泉と分離していない井戸が、魔物にまやかされて、分離しているように思い込まされているだけ。
魔物によって、humanとしてbeingと切り離されたかのように錯覚している状態で、生き延びるためには「自分らしさ」という武器を入手する必要がある!と思わされるという感じなのではないかな?と。
すみれいどは、なぜ戦争をする必要があるのか?戦おうとする「はたらき」がなぜ起こるのか?が、うっすら子ども時代から気になっていました。
極まったのが2020年です。
命をコントロールできる、コントロールすべきもの、と思っている人が結構いる!というのは、衝撃的でした。
ちょ!待てよ!とキムタク発動でした🤣
フツーにコントロールできませんけど?
死因は何であれ、肉体は死にますけど?と。
長くなったので、続きは改めて❤️
写真は、養老の滝。