ああ的外れ
毒舌注意です。
具体的にはわからないけど、何かが「足りない」という感覚って、現れ方が人によって違うと思います。
すみれいどの場合は、胸の辺りに何か詰まっている感覚がありました。
常時あるわけではなくて、どちらかと言うとポジティブなことがあった時に、突っかかる感じがたまにあることが気になる、ぐらいの感覚でした。
どうしてもなんとかしたい!とまではいかないけど、不完全燃焼という表現が近いかもしれません。
その詰まりというか滞りのことを、マインドブロックとかトラウマとかインナーチャイルドとかいう、名前をつけてもいいんです。
その詰まりや滞りを、どうにかしようとしてもいいんです。
詰まりや滞りがどうにかなって、さらさら流れていくなら結構なことです。
いろーんなメソッドやノウハウがありますので、ドンピシャで出会えたらいいですね。
幸せだったら、なんでもありです。
でも、メソッドやノウハウがありすぎて出会えなかったり、一時的にさらさら流れていくようになっても、また行き詰まりを感じてメソッドやノウハウに頼ったり、次はあれを試してみようかな?とジプシーになったりすることもあります。
もちろん、その都度何かや誰かを、頼ってもいいんです。
すみれいどは、それでは根本解決になっていないなと思ったんですね。
心理学やスピリチュアルをチラッとかじりましたが、それらが悪いという意味ではなくて、入り口だなーと思ったんですね。
どこから入っても行き先は同じだと思ったので、本当に求めていることを追求しようと思いました。
キッカケは、やりたいことがなくなってしまったから、です。
それまでは、ガシガシやりたいことをやってきて、望む結果が出たり出なかったりしましたけど、やりたいことがないってやばーい!めっちゃ暇やーん!と、焦りましたし虚無りました🤣
虚無感を何かでごまかさなかった当時の自分を褒めてやりたいのですが🤣虚無感って一体何か?を突き詰めてみようと思ったんです。
やりたいことがない!やばーい!ということは、やりたいことをやることが幸せだ!という観念が、反応しているということです。
やりたいことをやっている自分は良くて、反対はダメだという観念って、一体どこから来るのか?
これまでの「やりたいことをやってきた自分」というステータスを失うことが、怖いのではないか?
ステータスを失うのが怖いのは、自分の存在意義を、失いたくないということではないか?
存在意義を手放したくないと思っているのは、誰なのか?
存在意義を得たいのは、なぜなのか?
みたいに、巻き戻して確かめていったんですね。
うーんマニアック🤣
結論としては、何かを為すことで生き残ることを担保しようとする魔物の囁きに、してやられているだけだと思ったんですよ。
もちろん、そんなつもりはないんですよ。
でも、取引って多くの物語で登場する、悪魔のやり口なんです🤣
愛されるためにオレと取引しろよ!と。
真っ当な商取引などが、ダメと言っているのではありませんよ。
冒頭の話に戻ると。
ポジティブなことがあった時に感じた、詰まりのようなものの正体は、「良いことがあってもいつか終わってしまうので、また次の何か良いことを求める堂々巡りが始まること」への、拒絶だったんだろうと思います。
詰まりのようなものは、気づいたらコルク栓がスポッと抜けていたという感じで、なくなっていました。
悲しいことをなくす必要も、嬉しいことを追う必要も、嬉しいことをキープしようとする必要もないってことが、腑に落ちたんだと思います。
これは、日常生活で何もしなくていいということでもないし、仕事をしなくてもいいということでもありません。
より良い何か、幸せになるための何か、今ここにない何かを得るために、愛されるために、魔物と取引する必要はない、ということです。
「お前そのままじゃ愛されないぞ?愛されるために何かを差し出せ!」という魔物の囁きは、自動的受動的反応的に起きているだけ、ということです。
いやだと思ったり、くっそ腹立つ!と思ったり、悲しくて涙が出ちゃうことは、これからもあり得ます。
でも、それは反応なんです。
反応なのに、自分の所有物だと信じているから、どうにかしないといけないものとして捉えるだけです。
そうではなくて、悲しいなぁと思ったら、悲しいなぁをそれ以上追わないということです。
追って掴んでどうにかしようとすることが、当たり前になるように、育ってきているということを自覚する、という感じです。
例えば「この前、風邪ひいてさぁ」と話し始めたら「大丈夫?」と即座に言葉が出る人がいます。
この前風邪をひいてさぁ、と言っている人は、今元気なんです。
なのに、大丈夫?と声をかけることが、いかに的外れか?ということです。
辛いことがあったら寄り添ってあげなくてはならない、という観念に反応しているわけです。
そのように育ったからです。
処世術として、優しい人は愛されると学んだということです。
そして、優しく振る舞う自分に酔っているんです。
その人ではなくて、魔物がです。
でも、話し手はその続きを話したいんです。
本当に寄り添いたいのであれば、その場での適切な態度は、話の続きを待つことなのでは?と思います。