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アンチ、誹謗中傷、SNSと向き合う

今回は、唐突にというか
私の頭の中を放出したくて、書いている。

タイトルにある通りなんだけど、今日はSNSについて私の考え方というか、感じ方について書こうと思う。

というのも最近こういった質問をいただくから。

・誹謗中傷についてどう思っていますか?
・アンチや誹謗中傷が嫌ならSNSやるなという意見をどう思われますか?

私自身YouTubeやTikTok、このnoteで発信をしているし、雑誌や新聞、テレビなどメディアにも過去露出しているので、SNSとは無縁ではなく、むしろ切っても切れない関係である。

これまで、言われのない悪口や誹謗中傷、アンチコメントもいただいてきている。

そんな私が考える誹謗中傷やアンチ、そもそも「SNS」への向き合い方についてお話する。


▼言葉の意味を正確に理解しよう

SNSをやっていてまず思うのが、言葉を正確に理解しておくことが重要だということ。

どういう事かというと

誹謗中傷
アンチ
否定意見
反対意見
批判
批評

こういった言葉たちは全部意味合いが違う。

それぞれの言葉の意味は調べればわかることなので、ここでは書かないけれど、その言葉の意味を理解したうえで発言をするべきかなって思っている。

例えば誹謗中傷の言葉なのに、これは反対意見を述べただけだ!と言うのも違うし、1つの否定派意見なのに悪口だと騒ぎ立てるのもちょっと違うから。

言葉の意味を理解して使えないって、あなたは赤ちゃんなのかと言われても仕方なくなってしまう。自分が損をするだけなのだ。


▼精神的に強い人がSNSをやるの?

こういった意見を目にする。実際、私も言われたことがある。

私はどちらかというと
自分のことを中傷されるより、「アンチや誹謗中傷が嫌ならSNSやるな」という言葉のほうが傷ついた。

なぜかというと

そもそもSNSとは?という事を考えれば、筋が通らない意見だし、多くの人材の可能性を潰してしまう可能性がある言葉だと思っているから。

SNSとはシンプルに
ソーシャルネットワーキングサービス(Social Networking Service)の略で、登録された利用者同士が交流できるWebサイトサービスのこと

そんな事言われなくても、あなたもご存知のこと。

つまり、SNSとは誰が使ってもいい自由度の高い公の場である。

SNSがあるおかげで、立場や地位、生い立ちなど関係なく誰もが自由に発信をすることが出来る、可能性を秘めている素晴らしいツールの1つである。実際、私もSNSがあったから活動を広く出来ている。

それなのに

SNSをやるなら

誹謗中傷されることを覚悟しなきゃいけない
アンチに傷つけられるは当たり前

そういった前提があるのは、おかしなことではないだろうか。

SNSは精神的に強い人間がやるものなのだろうか?
アンチが嫌だと思う人は弱い人なのだろうか?
誹謗中傷を受けて傷つくのは弱いのだろうか?
言われのない悪口を書かれても我慢するのがSNSなのだろうか?

私はそう思わない。

SNSは誰もが利用できる、ある意味平等なスタートラインで始まるサービスだと思う。精神的に耐えられる人や、傷つかないと思われる人がするものでもないし、もっと言えばあなたと同じ人間である。

精神的に耐えられる?
傷つかない?
傷ついてもどうにかできる?

そんなわけないよ。

私たち人間には感情がある。言葉を通して感情を感じる、立派な生物なのだ。傷つく。傷つかない人なんていない。


▼私が言われて悲しい事

それは

藤崎さんみたいにSNSやったら、やっぱりある程度は誹謗中傷を覚悟しないといけないですよね?

これだ。

そんな事ないよ、と私は言うことが出来ない。
それが1番悲しい。

一定数誹謗中傷があるのは現実だし、そんな事ないよ!と大手を振って言えるほどキレイな世の中ではない。

でも、これから何か自分でやりたい!自分で社会に価値のある事を届けたい!と思っている素晴らしい人材が、SNSを使う事を躊躇する要因の1つが誹謗中傷なのであれば、それは本当に悲しいことだと思う。

それが1番、私が悲しいなって最近感じること。


今回は私の頭の中をつらつらと書いたんだけど、読んでみてもし少しでもいいなと思った方はいいねしてもらえたら嬉しいな。

あなたなりの考えや意見があったらコメント欄から教えてね。






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