『生きる』未来のためにできること
5時22分起床。キッチンへ直行。健康のために始めた食生活、インドのおかゆ「キッチャリー」を1日分まとめて作る為に、綺麗に洗われた鍋を手に取る。ヒンヤリと指先から伝わる心地よい冷たさで一層引き立つ、朝からうだるような暑さ。夏も本番だ。
わたしには障害がある。4回入院をし、毎度3-4ヶ月の入院になる。病名は伏せておく。
さて、最近わたしは朝活と名付けた大学の授業の「学び直し」を日課にしている。大学か、、、懐かしい。重たいファイルを手に眠い目をこする。さて、本日の「学び直し」はどれにしようか。嗚呼、至福の時間だ。これがわたしの幸せだ。
大学は志望校には行けなかった。わたしは高校で障害を患い、休みつつなんとか卒業した。何百日という長い日々を家でやり過ごした日々が蘇る。テレビではトリノオリンピックが映り、わたしは夜通し具合が悪い中茫然と画面を観たっけ。先の見えない「真っ暗」な朝と夜をひっそり生きた。卒業後一年休み、母の送迎で叶った「必死」な大学受験。が、体調不良で受験中の大学を途中退席することが続く。受験資格、失効。残された唯一の救いは、センター試験の「英語」だった。そして、晴れて受かった大学が3校あった。合格通知。それはそれは嬉しかった。「社会復帰できるなんて!!このわたしが!」
毎日、我武者羅に大学に通った。片道2時間以上の往復。電車は満員、乗り換えも何度もある通学だったが、4年間、無遅刻無欠席で卒業を迎えた。でも目指していた「首席」は無理だった。素晴らしい学友に恵まれた大学生活だった。
大学卒業後13年経った今も障がい者であるわたしは、福祉施設に通っていて、仕事には就けない。だが強く確信していることがある。それは発病時から自分に言い聞かせている思い。「希望がある限り生きられる。死ぬその瞬間まで」
今朝、スマホのスクリーンの向こうで、『夜と霧』のヴィクトル•フランクルが語っていた。「死ぬことは怖くない。怖いのは命があるのに生きなかったことだ」また彼は「人が生きた事実は永遠に保存される」という言葉も残した。
良い時悪い時も一瞬一瞬を感じきる。生きている喜びを、感覚を、細胞に刻み込む。この困難な時代に、わたしができることは何か。未来のために微弱でも最大限の行動をし、生涯学ぶ。「不安」と同居しながらも、静かに、強欲に天寿を全うしたい。
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