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第一回 友達ってなんだっけ?「共同体」「絆」を問い直す

すごく暑さがじりじり照りつけ、昼間とかは全く外にいられない状態になってきました。皆さんも辛い日中灼熱の太陽の中歩いている方、お仕事されている方も多いじゃないかなと思いますが、水分補給など栄養をつけて、なるべく休みながら熱中症対策していきたいものですね。

前回は児童文学について大学の学び直しみたいなのをまとめさせていただきました。少し一つ一つが長い文章になってしまったのは否めません。

が、大学の授業を学び直しということで講義が一つの講義1時間半あるのが10講義ぐらいあったものを、3回以内で、1回20分30分にまとめてみたものでございました。

では今回は、私の専門が「宗教学」というもので、(「宗教学」って何?ってところもちょっといずれ話したいですが、ちょっとその前に、)今回テーマを決めようかなと思います。

資料はもちろん大学の授業のもとにしたものを資料に振り返ることが前提です。が、例えば「友達って必要なの?」とか「友達って何? 」みたいなテーマを例えば投じてみた場合、その答えは人それぞれ、必要な人、必要じゃない人いて当然ですよね。「私は友達がいるから生きれる」っていう人もいれば「私は友達がなくて一人で悠々自適に過ごせる」っていう人もいると思うのでそこにそのどっちが正解不正解っていうことを言うんじゃなく。

そもそも「友達」っていうものの「概念」の前に人と人との「絆」っていうものはなんだろう?

ということを、今一度問い直してみるっことを、試みとしてしてみようかなと思います。

これは宗教学の資料からで、使う資料は岩波書店から出てる岩波講座の宗教学の「絆 〜共同性を問いただす」という章からちょっとピックアップしてみます。

なので、全く私の意見というものではなく、私が学んだことをまとめながら、さらに深掘りしていこうかな。という試みなんですね。

例えばですね「共同体」っていうことについてなんですが、「絆」とか「共同体」っていうものってそもそも何か。っていうことなんですよね。

そもそも「絆〜共同性を問いただす」の池上良正さんという方が仰ってる、「はじめになぜ絆を問うのか」という箇所を引用させてください。

次のような途方もない問いから始めよう。すべての人が1個の自立的でかけがえのない人格として、基本的な生存の権利を認められ、なおかつ他者の広くは地球上の全人類の同種の人格や権利を阻害抑圧しないような倫理観を確保しつつ、多数とともに日々の生活に深い充足感と意味と問い合わせるような社会に仕組をつくることは、果たして実現可能だろうか。現代人に二者択一のアンケートとしてこの質問を投げかけたら、よほどの楽観論者でない限り回答は「いいえ」であろう。長い人類史の中でそんなユートピアで実現できたことは一度もなかったし、これから先もできるわけがない。しかし、このように問い続けることには意義があり、大切なことだと思うか、という質問に聞き換えると「はい」の比率はかなり高まるのではないか。

と。要は、問いかけに対して考察することがいかに大事ということを、はじめに書かれてあります。

その上で、絆っていうものを深掘りしていく試みで、友人が必要かとか必要じゃないかの前に、そもそも「共同体って何だったのかな」とか、「絆って何なんだろうな」ってことを考えていきます。

「宗教学」を元に、それだけではなく「社会学」とかいろんな学問を少しずつかいつまんだ上で考えていきたいと思います。

今日は簡単に共同体というものをWikipediaで調べてみると、どういうものが出てくるかについて紹介したいと思います。

 共同体とは、同じ地域に移住して利害を伴いし政治経済風俗などにおいて深く結びついている人々の集まり社会のこと。(地域共同体)って書いてあります。組織の名称と一部として用いられることがある。例えば欧州共同体など。日本語では※地域共同体が地域社会を意味し得るため現実国際的な連帯やインターネット上の集まりなども共同体あるいはコミュニティ(community)そういうふうに呼ばれます。

 地域の共同体であることよりも地域住民の総合性を強調する場合地域コミュニティとカタカナ表記する場合も多い。

 次が結構キーワードなんですが、ドイツ語で※ゲマインシャフトと※ゲゼルシャフトというものがあります。まずこのゲマンシャフトとゲゼルシャフトって何かを説明します。

 ゲマインシャフトとは「共同体」を意味する語なんですね。地縁、血縁、友情などより自然発生した有機的な社会集団のことを指します。

共同体組織とか共同社会とかこれです。ドイツの社会学者フェルンディナンド・テンニースという人が名付けました。ゲゼルシャフトこっちも「利益社会」の概念として提唱したものであります。なのでゲゼルシャフトとゲマンャフトは対概した言葉ですね。

近代以降の社会や組織の性格を考える上で広く受け入れられている言葉です。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトもう少し深掘りしてみますと、テンニースという人が人間社会を近代化するとともに地縁・血縁・友情で深くしみついた人自然派生的なゲマインシャフト共同体組織とは別に、利益とか機能を第一に追求するゲゼルシャフト、「機能体組織」とか「利益組織」が人為的に形成されていくと考えたということです。

 ドイツ語ではゲマンシャフトは「共同体」というものを意味しますが、ゲゼルシャフトは「社会」を意味するので、ゲマンシャフトとゲゼルシャフトの違いは難しいと考えがちかもしれませんが、簡単に言うと、ゲマインシャフトの方が結びつきが強いんです。

ゲマインシャフトは、自然発生的につながってますから薄くなって希薄になったようでも、結びつきが強いものと見られますね。

でもゲゼルシャフトはそこに利害関係とか利益主義なものの共同体で近現代に発生した共同体でございまして表面的にすごく結びつきが強く見えてもその結びつきが薄いんじゃないか、っていうものが定義としてあります。

宗教学の本から調べてみると言い方を変えて、「コミュニティ」と「アソシエーション」や「機械的連帯」と「有機的連帯」みたいな言い方もするそうです。多くの研究者によってですね類語論として理論化されている体系だって理論化されているものですね。

共同体の希薄化が進んでいるとしても、何らかの血縁とか地縁関係が全く離れて生きられるという人は今日でも稀であるだろうということがこの本でも言われています。

友達を一切持たないっていうことは、(友達の定義にもよりますけれど)、本来、人は「共同体からは逃れられない」のが、人間の本質なんじゃないか、っていうことです。

で、何がしかの共同体の性質に人間個人個人は結びつけられている、絆があると考えていいということですね。

今日はここまでで、少しずつこのテーマを深ぼりしていきます。

ありがとうございました。

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