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私の人生にサッカーがあって、本当によかった

あの時、サッカーは心の栄養だった


中学2年生のとき、学校生活が楽しくなくなった。
仲が良いと思っていた友達数人から突然距離を置かれ、ひとりで過ごす時間が増えた。今まで友好に築いていると思い込んでいた人間関係が一気に壊れ、学校の中での居場所がないと感じるようになった。

その友達とは、クラスも部活も一緒だった。学年の総人数が90人にも満たない、学年全員を小学生のころから知っている小さな中学校だったことから、学年内のコミュニティは成熟しきっていて。だから新たな友達を作ることもできなかった。ひとりで過ごす学校での時間は本を読んだりして、なんとか1日をやり過ごしていた記憶がある。



そんな中学2年生だった私だが、唯一心の底から楽しいと思えたのは、サッカーを観ている瞬間だった。
小学生の頃からサッカーが好きで週末はサッカーを観ることが習慣づいていたが、思えば私がサッカーを心の底から大切と感じるようになったのは、この頃だったのかもしれない。

平日をなんとかやり過ごして迎えた週末、スタジアムに足を運ぶ。入場し階段を登った先に現れる青々としたピッチ。どこまでも広がる青空。ぐるっと見渡すと、心のおもりがすっと軽くなる気がした。
試合中、ピッチの上で勝利を追い求めて闘い続ける選手たちの姿を見ていると、冷え込んでしまいそうだった心の中が熱くなった。
90分間闘い抜いた先に待っている結果がどうであれ、この瞬間に全力を注ぐ選手たちの姿を見て、私もいまを全力で生きようと思えた。
「あと○日頑張れば試合だ!」
毎日を生き抜く原動力、心の栄養になっていたのは、間違いなくサッカーだった。

「あんなこともあったな」と懐かしい気持ちになりながらこのnoteを綴ることができるのは、あの時サッカーに力をもらったからに他ならない。
スポーツの力を感じる瞬間は人それぞれだと思うが、サッカーが元気と希望をもたらしてくれた過去こそ、私が感じるスポーツが持つ力だ。


同じ想いを持つ仲間との出会い


大切な仲間たちと出会えたことも、スポーツの力だと思っている。
サッカーを通じて、本当にたくさんの仲間と出会った。

スタジアムに行ったときは「いつもの場所で」観戦する。だいたい毎試合同じ人が同じ場所に座っているので、自然と顔見知りになる。会話をするようになり、やがてサッカー観戦仲間になった。私より年齢が上の方が多いが、チームの勝利を願って声援を送り続けることに年齢など関係ない。私にとって大切な方たちだと思っている。

大学生になり入ったサークルで、同世代のサッカーが好きな友達ができた。どんな話をしていても結局サッカーの話に行きついてしまうような、心からサッカーを愛する人たちだ。
好きなチームを追いかけてホームアウェイ全試合に参戦する人。ゴール裏でコールリーダーを務める人。ACLやワールドカップで海外遠征をする人。

夜行バスに乗ってアウェイ遠征に行き、朝早くに到着した京都駅で朝マックを食べたり。ユニフォームを着て遊園地に行ったこともあった。大学生だからこそできることを、ここで出会った仲間と経験することができた。

時に突拍子もない行動力を発揮する個性的で楽しい仲間に出会い、思い出深い大学4年間を過ごせたこと。そして、社会人になったいまも途切れず交流を続けることができる大切な仲間ができたのは、サッカーが繋いでくれた縁があったからで。これもまたスポーツが持つ力のひとつだと感じている。


サッカーがある限り、スポーツがあり限り


まだ私の年齢で人生を語ることなどできないが、生きてきた中で経験した苦しい思いはサッカーがあったから緩和されて、大切な出会いはサッカーが導いてくれた。
だからきっと、私のそばにサッカーがある限り、この先の人生でいいことが起きるのではないか??根拠は全くないが、そう思っている。
たくさんの力をサッカーからもらった私は、これからもきっと、サッカーとスポーツを愛し続けていくだろう。

ずっと思っていたことだが、スポーツが、サッカーが、誰かにとって力になるようなきっかけを生み出したい。(確か現所属の会社の面接でも話した気がする)私に何ができるかなど未知だが、これからの人生の中でできることを探して生み出していければ。そう思っている。


Twitter ID:@smr1118


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