アルバム ”Melancholic Way” ライナーノーツ(其の2)
先日發表した、アルバム “Melancholic Way” のライナーノーツ(其の2)、として各曲についての文章を以下に記す。アルバム全體については、ライナーノーツ(其の1) を參照すること。
メランコリック ウェイ
あれは或る年の春の日であつた。私は遂に氣が附いた。
實家の近所の或る川邉の道は美しい櫻竝木に彩られる。晝は青い空に白い雲浮かび、夜は街燈の霞むなかで。櫻が咲くのは四月に入つてからか、さうだ、もう四月に入つたのだ、と。
大して時間の隔たりがある譯でもないのに、三月と四月とでは空氣感が全然違つてゐる氣がする。其々をどのやうな雰圍氣か説明することは難しいが、三月よりも四月の方が明るく開放的で爽やかなものに感じるのは私だけではないだらう。多分、年度の變はり目であることから新しい生活の始まりを聯想するのだらう。
其の年、私は實家を出て大學の寮に入つた。六畳一間の狭い部屋で、大變不便なものだつた。自分を含めた、寮に暮らす人々のことを、此の世で最も不幸な暮らしを強いられてゐる可哀想な人間の集まりである、と思ふことにした。事實、我々は實家が貧乏であることで共通してゐた。
同じ頃、私はドストエフスキーの「罪と罰」を讀んだ。可哀想な主人公ラスコーリニコフも私と同じやうな狭く汚い部屋に住み、貧困に惱みながら悲惨な暮らしを強いられるなかで犯罪に手を染めることになる。
讀了後の感想などを此處に書くことはしないけれども、其の時には私のなかのラスコーリニコフが目覺めてくるのが解つた。最終的にラスコーリニコフはキリスト教に救はれる。では私の場合には、神(が一體だういふ神樣か、未だにわからないが)の救ひといふものが果たして起こるのか、否か。
寮に住んだ當時を振り返れば、惡いことばかりといふ譯でもなかつたやうに思ふ。其れでも、我々とは逆に優雅な暮らしをしてゐた人たちに對しては、
「ボンボンめ、地獄に堕ちるがいい!」
などと云つたものであつた。副將軍
徳川家が政權を持つてゐた二百數十年間に於ひて、水戸徳川家當主は代々副將軍を務めた家柄である。將軍を継ぐことは殆ど無く、唯一は慶喜公のみである。(慶喜公は一橋家に養子入りののち、徳川將軍家に入つてゐる)
二代目水戸藩主の徳川光圀公は水戸黄門として知られる名君である。江戸で “犬公方” 徳川綱吉 を補佐し、水戸へ戻つてのちには大日本史の編纂を始めた。大日本史は明治時代(曖昧な記憶に依れば)にやうやく完成したといふ、大事業であつた。
九代目水戸藩主の徳川斉昭公も幕末期の名君として知られる。藤田東湖などを登用し、藩政改革を行つた。幕政にも大きく關與し、開國・鎖國について、また將軍後継について大老井伊直弼と對立した。結局、安政の大獄で謹愼處分とされた。(櫻田門外の變に繋がる)
私は水戸市出身者であるから、同郷の人々や歴代水戸藩主に對して贔屓目にみてしまふのは仕方ないことだらう。或ひは、さういふ歴史的事柄に基づく意思決定がされる場合がある。
或る日、氣持ちのよい午後の微睡みのなかで、美しい旋律が私に降りてきた。
「此れは光圀公の御加護に依る託宣であらう」
といつて、“副將軍” の題をつけた。此れが、のちに附けられた物憂い歌詞とは無關係のタイトルの所以である。さう、此の曲は、“詞先”ではなく“曲先”である。仕事
あゝ、面倒くさい。此の世の總て、あらゆることが面倒くさい。
朝に起きるのが面倒くさい。iPhone(以下、アイホンと稱す)のアラームが鳴る。でもぼくの體は、まるで血が通つてゐないみたいに痺れてしまつて、動かしたくても動かない。
さう、本當はぼくだつて元氣に起きたいし、思い切り體を動かして爽やかな風を浴びたいのに、できないのだ。したくない譯ぢやない。
アイホンは鳴りつ放しだ。でも動けないんだから、仕方がない。
なんとか起きることができても、たゞ座つて時間が過ぎるのを待つほかにすることがない。
腹が減る。ぼくは料理ができない。御飯を炊くことも、カップラーメンに湯を注ぐこともできない(湯を沸かすことすらできない)。
あゝ腹が減つた。でもぼくは食事を買ひにゆくことができない。體が動かない。
何故出かけることができないか。出かける爲にはしなくてはならないことが多過ぎる。兎に角面倒くさい。
まずシャワーを浴びなければならない。風呂場へゆき、シャワーの栓を捻り、湯を出し、體にかけなければならない。シャンプーを頭につけて、泡立てゝ、ゴシゴシ洗つて、流さなければならない。頭だけでなく、顔、體全體も洗はなければならない。ぼくは疲れてしまふ。
シャワーが終はつたら、何を着るか、考へなくてはならない。そして、其れを着なければならない。
髪を乾かさなくてはならない。髭を整えなくてはならない。
持ち物を確認しなければならない。そして行き先を、考へなければならない。ぼくは疲れてしまふ。
アイホンの畫面を見る。時間が表示される。もう夕方になつてゐる。
ぼくは布團に歸る。眠れない夜
神經衰弱で心療内科に通院を始めて、約二年になる。職場には黙つてゐるから、多分誰も知らないだらう。でも、危ない時があつた。
二日聯續で寢坊した日の午後、課長さんに呼ばれ、奥の部屋でお話をした。
「もし何か仕事のことで惱みごとがあつて、其れで寢つけないとか、さういふことだつたら、話を聞きますよ」
私は、課長はとても優しい人だな、と思つた。怒られると思つてゐたから。神經衰弱のことを此の上司に黙つてゐるのも、噓をついてゐるみたいで氣が引ける。
「ええと、實は…」
やはり躊躇はれる。
「さうですね。餘り上手に仕事をこなせてゐないので、寢る前などについつい考へごとを…」
殘念乍ら、此れも事實である。
すると、課長さんは
「さうですか。家に歸つたら、仕事のことなんか考へない方が宜いですよ。私も考へないことにしてゐます。考へだしたら、休まらないでせう?」
と云つた。さうだな、と思つた。
其れから、私は寢坊をする頻度を減らすことができた。まだゼロにはならないけれど、課長さんの助言と、病院で處方される藥を増やしたこと、とで。蠅
此の詩を書くにあたり、ぼくの頭の中に在つた光景。
ぼくは廿六になつた。もう宜い歳ぢやないか。其れなのに、此の世に生を受けた形跡・證據とでもいふべき何か、をろくに殘してゐなかつた。いや、無いこともないが、世間は承知してゐないのだから、無いのと同じだ。さうして、過去の挫折を再び囘顧した。其の晩は長い間寢つけなかつた。
ぼくは梶井基次郎「冬の蠅」を讀んだ。作者の、生きることを渇望する氣持ちを感じた。ところがぼく自身はどうだ? 何の希望も無いのに生かされてゐるではないか。ぼくはなるべく早く死ぬるべきなんだと思つた。
或る日、仲良くしてゐた知人が死んだ。死因は不明とのことだ。
彼はとても良い人だつた。映畫が好きで、下戸で、ドラえもんみたいな體形をしてゐて、いつも陽氣に笑ふ明るい人だつた。彼を好いてゐた周圍の人たちも悲しい思ひでいつぱいだつただらう。
そんなことは本人の氣持ちとは無關係に廣がつてゆくのだ。彼だつて、本心では死にたがつてゐたかもしれないぢやないか。もしさうなら、其れは其れ。
さうでなければ、ぼくこそが死ぬるべき人間だつたのに。其れなのにぼくが未だに生かされてゐる所以、其れは“生きた證を殘せてゐないから” ではないか? 其れとも、此れは單なる自惚れか?(此れを要求されるのは、選ばれし人間だけ、だから)
別の或る日、知人の石田氏(假名)に云はれた言葉、ぼくは未だに忘れることができずにゐる。
「君は、君がかつて好きだつた者たちに見限られたんだよ」
さうかもしれない。だが、既に戰線放棄をした石田氏には何も云ふ資格がない筈だ。たゞ未練がましいな。黙つて死ねば宜いんだ。
ぼくは思つた。此の “生きた證” を殘さずには死ねない。其れ迄、ぼくは生きなければならない。生きよう。ライター
デキる男の三種の神器、時計・萬年筆・ライター。時代によつて内容は變はるらしい。今は、ロレックス・モンブラン・ダンヒル、ださうだ。
一時期はハンフリー・ボガートのやうなダンディに憧れ、さういふ物に傾倒したこともあつた。けれども今はさういふ拘りは薄れ、たゞ良い物の、其の “物としての良さ” ゆゑに愛してゐる(傳はつてゐるかしら?)のである。雨
或る日曜日の朝。宅配のお兄さんがインターホンを鳴らし、其れで私は目を覺ました。
急いで起き上がる。パンツ一丁でもお兄さんは氣にしないだらう。でも流石によくないかな。昨日着てゐたTシャツを再び着る。Tシャツ、洗濯しなくては。さういへば、一週間分の洗濯物が溜まつてしまつてゐるなあ。
そんなこと、今はなんでもいい、兎に角早くインターホンに返事をしなくては。折角起きたのに、お兄さんに歸られたら殘念だ。早くインターホンに出よう!
「はーい」
「〇〇急便でーす!」
「はーい」
扉を開けるとお兄さんがゐた。荷物を受け取り、サインをすると、お兄さんはそそくさと歸つてしまつた。此れから届けなければならない荷物が澤山、あるのかな。そして私は、そおつと扉を閉めた。
急に起き上がつた所爲もあつて、私の心臓の鼓動は激しい。とても疲れた。洗濯機を囘さなくては。でも今は其れどころではない。ひとまずベッドに横になろう。
コップ一杯の水を飲み、再びベッドに向かつた私は、なんの氣なく窓の景色を見た。
「今日も雨が降つてゐる」萬華鏡
最近、通ふやうになつた酒場がある。料理が美味いし、酒も不滿はない。店の雰圍氣は、ゴージャス。私は貴族趣味があるのだと改めて氣附かされる。
でも、本當の理由は上記ではない。其處で給仕をしてゐる女學生のモモを氣に入つたのだ。
氣が向けば、モモに酒を飲ませてやる。そしてモモに唄を唄はせる。私は滿足して歸るのである。訣別
愚かしき過去と訣別し、美しい未來を作つてゆかうではありませんか!
其れだけ!優しい人
かつて仲良くしてゐた後輩のひとり、名は額田王(假名)といふ。あかねさす紫の衣を纏ひ、靜かだが根は明るく朗らか。いつも一生懸命で、とにかく宜い奴。たまに酒を飲む仲。呼べば來てくれる雰圍氣あり。
私は額田王を、私が出來る限りの最上級に、可愛がつたつもりだ。そして彼女もまた、其れに應へてくれてゐたと思ふ。
或る日、某友人(此の人も女のひとでしたが)と買ひ物に出かけた際、たまたま可愛いイラストの入つたTシャツがあつた。
「額田王に御土産で買つてあげれば?」
と友人は提案してきた。私が額田王を可愛がつてゐることを知つてゐるらしい。
「いやあ、いきなり私が御土産なんか渡したら、額田王も驚いてしまふでせう。きつと迷惑だよ」
と云つて断つた。我々はさういふ仲ぢやない。多分。でも、渡したら額田王は喜んだかもしれない。
學校を卒業したら、額田王とは全く會ふ機會がなくなつた。今となつては、彼女が何處にゐるのかすら分からない。時々、彼女を思ひ出す。
私の一方的な好意(たゞ氣に入つただけのことだ。理由にならないかね?)に對し、眞面目に應へてくれた。貴女程に優しい人を私は知らない。そして其れを解つてゐるつもりの私である。
以上の逸話は總じてフィクションである。其々を詮索したり、指摘したり、しないこと。
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