原チャリで行こうぜ!道北編 vol.1 〜通学用スクーターで北海道に向かってしまった件
「原チャリで行こうぜ!」とは?
「原チャリで行こうぜ!」とは、原チャリで買い物に行くノリで、苫小牧行きのフェリーに乗ってしまった話を書き綴った、以前公開されていたホームページ(HP)に由来する。
ブログもスマホもない時代、インターネットもやっと普及してきた頃、携帯電話はあるものの、ガラケー全盛の時代。
ケータイと言えば、音声通話とメールのみであった。
もちろん、画像をケータイで送信できるようになる前の時代である。
ポケベルが流行った時代、PHSが流行った時代よりは先進的?であった。
しかし、現代と異なり、昭和ほどではないが、まだまだゆっくり時が流れる頃であった。
恐らく、時の流れがゆっくりしていた最後の時代だったと思う。
そんな牧歌的な時代に、おれはHTMLをガリガリ組んで、自作のHPを立ち上げた。
そのHPの中に、こんなページがあった。
「原チャリで行こうぜ!」
このタイトルには、原チャリで走って、どこまでも行こうぜっていう思いが込められていた。
2000年、9月、通学用の中古のHonda Dio 50cc(1994年型)の2ストバイクにテントと寝袋をくくりつけ、おれは北を目指した。
Honda Dio 50cc(50ccのスクーター、2サイクル、免許があれば簡単に運転できる)で、2000年9月道東、2001年7月道北の2回、SUZUKI TS50(50ccのフルサイズオフロード車、ギヤ車、2サイクル、かなりマニアックで運転は難しい)で2002年9月東日本縦断〜道南〜道央〜道東と50ccバイクで3回を旅をした。
そのHP「原チャリで行こうぜ!」から、”2001年道北編”を少しずつ、加筆修正して紹介したいと思う。
”2000年道東編”に関しては、Kindle出版に向けて、現在全力執筆中。
はじめに
2000年9月、初めて北海道を原チャリで走った。
そして、道央、道東を走り、日本最東端である納沙布岬に到達した。
初めての日本の端っこ制覇であった。
東の端を制したら、西南北の端っこも制したくなった。
2001年3月には、最西端である与那国島を制覇した。
どうしても、最北端を拝みたくなった。
それも愛車のHonda Dio 50ccで。
今回の旅の最大の目的は、50ccのDioと一緒に最北端の地に立つことである。
夏休み1週間という短い時間をどのように使うかが、今回の旅のポイントとなる。
本当に到達できるであろうか?
準備1日目:2001年7月26日(木)
いざ、ツーリング準備開始
今日は東京の会社から電車で市川市のマンションに帰宅後、ツーリングの準備を始めた。
まずは、ツーリングに必要な物資を少しずつ買い揃えることにした。
去年の初北海道ツーリングの装備品をベースに。
22:09
西友本八幡店、透明ケース126円。
前回は通学用の原チャリそのままのノリで旅に出たが、今回は入念にパンク修理材も装備することにした。
冷静に考えると、去年、パンクしたら、即アウト、ツーリング中止という、状況だった。
22:38
サンオー、瞬間パンク修理材、ゴムひも、マップケース、1845円。
物資も少し購入できたことだし、明日に備えて、おやすみなさい。
準備2日目:2001年7月27日(金)
やはり、旅のスタートは、実家のある神奈川県の寒川町からということで。
東京からスタート地の寒川町に移動
18:00
仕事後、速攻で東海道線に乗り込み、東京から実家へ。
2時間弱電車に揺られ、無事に寒川駅に。
寒川駅からは徒歩で実家に向かった。
到着すると、母ちゃん、姉ちゃんが笑顔で迎えてくれた。
その後、まずは、夕飯食べた。
お腹が一杯になったところで、バイクをチェックする。
よし、問題ないようだ。
市川市へ向けて出発
22:00
寒川の実家スタート。
積算計1882km。
スタート前にDioと一緒に写真を撮った。
母ちゃん、姉ちゃんに見送られてスタート。
「2回目だけど、気をつけて走りなさい」と母ちゃんからアドバイス。
「そして、楽しんできなさい!」と母ちゃん。
「北海道、いーなぁ、おいしいものを一派ある食べてきてね」と姉ちゃん。
「そんな、のんびりのゆるい旅じゃないんだけど、まっ、いーか。」
夏なのに、夜は少し寒かったので、長いズボン、Tシャツの上にウインドブレーカーという格好。
夏特有の湿気が半端ない。
2度目の原チャリ北海道ツーリングだが、スタート前は、やはり少々緊張気味である。
緊張したた面持ちで、エンジンをかけると一発始動。
軽快ないい感じな音をである。
「さあ、Dioよ、一緒に北海道走ろうぜ!」
左ウインカーを出し、母ちゃん、姉ちゃんに見送られながら、スタートする。
国道1号線を走り、国道15号を抜け、国道4号、国道6号、国道14号と走り抜ける。
この五つの国道は主要国道であり、相当の交通量である。
その中を50ccバイクで走る。
明らかに危険である。
ご存知のように、50ccの原付バイクは30km/hという制限がある。
真面目に30km/hで走り続けると、後続車両に多大な迷惑をかけてしまう。
一方、30km/hを超えると、コワモテのパンダ色の車両に叱られてしまう。
原チャリは、常にこのジレンマと戦う宿命である。
とにかく、他の車に轢かれないように、迷惑をかけないように、そして、白黒の車両の公務員の方々にもご迷惑をかけないように、細心の注意をもって、道路の端をゆっくり安全運転で走行させていただくことになる。
精一杯、周りのスピード(法定道路だったので、周りの車は60km/h〜80km/hのぐらい?の猛スピードでの走行)と協調する努力と、原チャリの制限速度(30km/h)の妥協点を探りながらの走行であった。
ただ、協調といっても、ロードレースの弱虫ペダルにあるような紳士的な協定ではない。
あくまで、こちらが最大限に譲歩して、周りの交通に迷惑をかけないという、考えようによっては果てしなく無駄な努力である。
スピードメータとにらめっこしながら、自主規制の速度を一瞬たりとも超えないように努力した。
Dioのスピードメータの赤ランプのピカピカと光っている。
「赤ランプ、眩しいぜ」
少しずつ、千葉県に近づいてきた。
しかし、かなり眠い。
走りながら、気が遠くなってきた。
フラフラしてきたのである。
それもそのはず、東京の会社を18時に出て、神奈川県まで、電車で移動して、その後はさらに、徒歩で、実家のある寒川町まで戻り、原チャリに乗り換え、千葉県市川市まで走ってきたのである。
なかなかの頭の悪さ?いや、むしろ元気良さ、若さである。
明日は、北海道へ向けてのスタート、ハイ、気合い入れて行きましょう!
1:00
やっとのことで、本八幡のマンションに到着。
時計は24時を余裕で超えてしまった。
メータは、1960kmを示している。
幸いにも我が愛車のDio 50ccは絶好調である。
エンジン音がそれを物語っている。
まさに「明日からめっちゃ走ろうぜぃ」って言っているようである。
あとは、おれが爆睡するだけである。
明日は、いや、今日は、いよいよ、北海道に向けて走り出す。
本当は、荷物リストをチェックしたり、やらないといけないことがあるのだが、あまりに疲れ過ぎて、玄関のドアを開け、服を着替え、ベッド入った瞬間、記憶を失った。
一瞬で深い眠りに。
おやすみなさい!
次回、いよいよ、大洗港から北海道の苫小牧行のフェリーに乗り込みます。
お楽しみに。
※ このストーリーは、ほぼノンフィクションです。一部走行に関する描写に関して、物語展開上のフィクションを含む場合があります。実際の道路状況に合わせて、交通ルールを守り、安全運転を心がけましょう。また、現代と時代背景が異なるため、一部現代の感覚など異なる箇所があるかもしれません。ご了承いただけると幸いです。
※トップの写真は、ツーリングマップル北海道2001に掲載された写真です。カメラマンの小原さんから特別な許可を得て使用しております。
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