戦争について考えた話し。
文章の出だしって難しいなと思いながら久々にnoteを書いている。
何が書きたいかというとタイトルにある通り、「戦争」についてなのだけど、なぜそれを書きたいのかを説明したいと思う。
私は今年の5月からオンラインサロンで地域編集を学んでいる。
主催はRe:s編集長 藤本智士さん。大好きな編集者さんがオンラインサロンを開催されると知り、ついに来た、待ってました!という思いで入校した。
このスクールは藤本さんが先生で私たちはその話を聴くというスタイルではなく、藤本さんも含め互いに「学び合う」事を大切にしていて、スクール生が自主的に企画する週1回のzoomウェビナーは本当に色々な学びがあり、本当に楽しい。
日頃もやもやと感じている事を吐露したり、言葉に出来ない思いをスクール生同士の経験から「それはこういう事かも」とハッと気づかされたり、ある時は藤本さんが携わっているにかほ市いちじくいちのお手伝いをさせてもらったり、とても貴重な経験が出来ています。
そんな学び合う場があるからこそ、日頃自分が思っている「問い」を投げかけたくなり「戦争について」という企画を提案し、スクール生である広島在住の紺ちゃん、戦争によって人はなぜ理不尽に死ななければならないのかを幼い頃に考えた はるかさんを登壇者としてお願いし開催が出来た。
今年は戦後75年、終戦記念日以前からメディアはその事を発信していて、それを見ている時にコロナ禍の今もある意味で戦争は続いているのではないのか?と思い始めた。以前の日常を過ごせなくなっていたのだから、そう思った人は沢山いたんじゃないかな。
我が家には97歳になる祖母がいて、とっても元気で薬も飲んでないし、畑仕事や食器洗いなどの家事もしている。祖母は大正13年生まれで、第二次世界大戦の時は夫である私の祖父は満州の戦地にいた。私が小さい頃、祖父は満州で覚えた言葉を2~3言教えてくれたりしたのと今でも思い出す。
またある時は、戦争中の暮らしがいかに大変だったか、それが原因で子供を一人亡くしている事などをぽつりぽつりと話してくれるのが私の「戦争」だった。
戦争という未知の体験はこれからもしない、したくないと誰もが思っているし、それが日本では当たり前だと思って暮らしているから平和ボケになっていると言われても仕方がないなあと思っていた。
だけど「戦争のはなし」を開催し、紺ちゃんやはるかさんのお話しを聞き、戦争の反対語は「平和」ではない、「平和」の反対語は「戦争」ではない事だと知って、実は「平和」とは一体何なのかを考えてこなかった事が島国育ちで多様性が大事とは言いながら、その実そこまで現実味もなく過ごしていたのだと痛感させられた。これが戦争は続いているという感覚の根源だったのかもしれない。
その後のオフ会(ウェビナー終了後に感想を言い合う会)では互いの思いや考えを自由に発言できる最高の時間であると同時に、気付きも多く、お互いを理解できるのが本当に尊い時間だし、「自分にとっての平和ってなんだろう」という問いが話の中で生まれた事が、本当に嬉しかった。
今の私にとっての「平和」とは「お米を作り続ける事」。
この日常がこれからも続く事を祈りながら、今の時代を作ってくれた人たちへの感謝を忘れずに過ごしていきたい。
あなたにとっての「平和」が見つかりますように。