Stance: 頑張ったから偉いのではなく、結果を出したから偉いのだ。
頭の中にデカルト座標を思い浮かべてみてください。
誰でも中学校の数学で習ったであろう、
「y軸」「x軸」の2本の線が垂直に交わっている・
真ん中の交わっているところが0(原点)になるあの図です。
そしてy軸(縦軸)には「結果が出ているかいないか」、
x軸(横軸)には「努力しているかいないか」を入れてみましょう。
そうすると、4つのタイプ(象限)に分類できるはずです。
右上(第1象限):努力していて、結果も出ている
左上(第2象限):努力していないが、結果が出ている
左下(第3象限):努力していないし、結果も出ていない
右下(第4象限):努力しているが、結果が出ていない
ここで考えて欲しいのは、一番の優等生と一番の劣等生はどこかという話です。
ここで多くの人は、
「そりゃあちゃんと頑張っていて結果も出ている右上の人が一番偉い」
と思ってしまいます。
ですが私の塾講師としての経験上、本当の優等生はそこではありません。
本当は左上です。
「大して頑張っていないのになぜか結果が出ている」という子が一番尊いのです。
頑張っていないのに結果が出ているということは、
頑張ればもっと結果が出る可能性があります。
伸び代があるのです。
そして率直に申し上げて、大して努力していないのに結果が出るということは
その分野に才能がある証拠です。
どうせ頑張るのなら、才能のある分野で頑張った方が絶対に良いです。
その方が報われやすいからです。
この連載は最小の努力で最高の結果を出すためのものです。
そのためには才能の話から逃げてはいけません。
自分の才能のある分野で頑張れば、努力の量を最小限に抑えられます。
「でも僕には勉強の才能がありません」というのはナシです。
それは気づいていないだけです。
この世に生まれた以上、誰にも最低一つ以上は必ず才能があります。
これまでの学生生活の中で、
「周りの人の半分も頑張っていなかったのに、なぜか周りの倍以上の成果を出せた」
という分野・出来事を思い出してみてください。
誰にでも一つ以上の分野において必ずこの経験があります。
直接的に勉強と繋がっている必要は全くないのです。
「虫や電車の名前を覚えるのは誰よりも得意だった」というのは立派な才能です。
「絵の具を混ぜてオリジナルの綺麗な色を作るのが誰よりも得意だった」というのも才能です。
「勉強のことはすぐに忘れてしまうのに、趣味のことはずっと覚えていられる」というのも才能です。
それを勉強に結びつけて考えればいいだけの話なのです。
キャラクターに勉強を説明させる参考書は今日いくらでもあります。
他の誰にでも真似できない自分ならではの勝ち方を作るのも一つです。
勉強の内容全てをマンガ化・動画化している参考書もいくらでもあります。
全ては考えよう・工夫次第なのです。
あなたにとって一番結果が出せる分野を見つけ出せれば勉強は勝ちです。
必要な努力量が一気に半分以下になります。
そして冒頭の4タイプ・4象限の話に戻りましょう。
一番偉いのは「頑張っていないのに結果が出る」です。
では一番厳しいのはどこか。
「頑張っていないし、結果も出ていない」というのはある意味当然です。
それよりも「頑張っているのに結果が出ない」の方が100倍悲惨です。
ここが一番陥りがちなのです。
間違いなく言えることが2つあります。
1つ目は、今の視点や方法をガラリと変えなければもうずっと変わらないということ。
そしてもう一つ、頑張っているということそれ自体は偉くともなんともないということ。
頑張って偉いのは幼稚園までです。
この事実を面と向かって生徒に言うとぶっ倒れてしまいますから
直接伝える際には何重にもオブラートに包んで伝える必要はありますが、
このメッセージをいかに生徒に伝えるかが塾講師の仕事の一つです。
勝てば官軍、負ければ賊軍なのです。
結果が中々出ないときに大切なことは、今よりもっと頑張ることではありません。
頑張り方を根本的に変えることです。
そうすることで、誰にでも結果が出せる可能性があります。
大切なのは、執着せずに捨てることです。
…筆者、透佳(スミカ)