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Future:孤独に没頭して、声をかける側ではなく声をかけられる側になる。

この項目で私が伝えたいことは、

何かに孤独に没頭して、その分野で人に話しかけてもらえるぐらいになろうということだ。

例えば動画編集が好きならそれに孤独に没頭して、

周りの人から「動画編集ならこの人」と声をかけてもらう。

英語が好きならそれに孤独に没頭して、

周りの人から「英語で困ったらこの人」と声をかけてもらう。

プログラミングが好きならそれに孤独に没頭して、

周りの人から「プログラミングはこの人に頼もう」と声をかけてもらう。

人に声をかけてもらうぐらいの特技やスキルは、孤独になって没頭しないと決して生まれない。

動画編集も、一人で没頭したこともないのにいきなりできる人はいない。

英語も、一人で没頭したこともないのにいきなりできる人はいない。

プログラミングも、一人で没頭したこともないのにいきなりできる人はいない。

一人でのまとまった時間・期間が不可欠だ。

こうして孤独に没頭した結果として

人に声をかけてもらえるぐらいの特技やスキルを獲得した人を「プロ」と呼ぶ。

これからの時代は、何かしらの「プロ」でなければ生きていくのは難しい。

特技やスキルがある人に一生「いいなあ」と言い続け、

他の「プロ」が作った会社の歯車として一生安月給でこき使われてご臨終である。

もしそんな人生はまっぴらごめんだと言うのなら、

何か一分野だけでもいいから「この分野において私はプロ」という分野を作らなければならない。

この事実に私が気付かされたのは、海外留学をしている頃だった。

ミシシッピで当時専攻していたスポーツマネジメントのカリキュラムの一環として

受け入れてくれるインターン先を探していた時のことだ。

インターン先の企業にとっては

生徒が「こうしたい」という願望は一旦どうでもよく、

「この人は実際何ができるのか」を厳しく判定する。

それで

「この人はお客さんだな」

「この人はウチで活躍するのはちょっと厳しい」

となれば容赦無く話を断る。

「学生なんだからちょっとは甘く考えてくれてもいいんじゃないの?」

と感じてしまうかもしれないが(私も正直そう思っていた)、

その発想が甘かった。

学生だろうが何だろうが、何かしらの貢献ができなければ絶対に採用しないのがアメリカなのだ。

特技もスキルもない癖にやたら興味だけは深々の「お客さん」には

お金を払ってもらう分にはいいが内部に入ってこられるのは冗談じゃない、という考えなのだ。

ここで私は、

特技やスキルが何一つなければ、一生「お客さん」人生で終わってしまう

ということを痛感した。

一生お金を払い続けて、一生お金を稼ぐことができずに終わってしまう。

それに気付かされて以来、他の分野はどれだけボロボロでもいいから

自分が決めた分野においては絶対に「お客さん」扱いされないような技術を身につけるよう励んだ。

そうやって私も今日まで何とか生きてこれたというわけだ。

これは主にこれから海外留学を志す人へのメッセージになるが、

海外留学以降(海外留学も含む)の人生は

「あなたには何ができるか」というのがシビアに判定される。

そこで「ズバリこれです!」と留学を通じて言えるようになっておくことだ。

現時点で言えないのなら、今から作るしかない。

そして、それは孤独に没頭することでしか得られない。


…筆者、透佳(スミカ)


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