Confidence:根拠のある自信は脆い。根拠のない自信は最強。
自信について扱うチャプターの最後に、自信には2種類あるという話をしたい。
それが根拠のある自信と、根拠のない自信だ。
文字通り、
「○○だから」
「○○に基づいているから」
「○○の研究で明らかになっているから」
といった確固たる理由・分析に基づいたのが根拠のある自信だ。
「なんとなく」
「特に理由がない」
「自分がこうじゃないかな、と思った」
といった客観的な原因・理由がないのが根拠のない自信だ。
あなたはどちらがより強力な自信だと思うだろうか。
ここで99%の人は、
「根拠のある自信の方が強いに決まっているだろう」と言う。
だが、実は根拠のある自信は脆い。
なぜなら根拠というものはいくらでも「上位互換」が現れる可能性があるからだ。
例えば、
「英作文のテストで100点をとったことがあるから英語には自信がある」
という生徒がいたとしよう。
その生徒は、
そのテストよりも難易度が高いテストで満点を取る生徒が現れた瞬間に
「苦手ではないけど、その程度」という評価を受けることになる。
客観的に見て、難しいテストで満点を取った方が「得意」ということになるからだ。
もう一つの例として、
「100mを11秒フラットで走れるから短距離には自信がある」
という学生がいたとしよう。
その学生は、
100mで11秒未満で走れる学生やプロの選手が現れた瞬間に
「苦手ではないけど、その程度」という評価を受けることになる。
客観的に見て、より速いタイムで走った方が「得意」ということになるからだ。
ここから言えることとして、
理由や根拠というのは全て他人・他の要素と比べることができる。
比べることができる以上、いずれ上位互換が登場する可能性はゼロではないのだ。
「日本は世界一安全で治安が良い」という意見だって、
他の国が本気を出して治安維持に努めたら抜かされる可能性はゼロではない。
比べることができる限りは客観的に上回られる可能性があるのだ。
これに対して、「なんかこう思ったから」というのは他の要素と比べることができない。
「自分には歌の才能があります」
「でも、大会で優勝したあの人の方が才能がないですか」
「でも私はそう思っているので」
「プロの歌手の○○さんの方が才能がないですか」
「でも私はそう思っているので」
「世界的な歌手の○○さんの方がやっぱりうまくないですか」
「でも私はそう思っているので」
そう、「自分がなんとなく」というのは無敵なのだ。
なぜなら何とも比べようがないのだから。
こう考えると、自信とは圧倒的な勘違いのことなのだ。
圧倒的な勘違いこそが自信なのであり、
圧倒的に勘違いしているからこそ他の要素に対して動じないのだ。
あなたはこれを読んで「おめでたいな」と冷静になっている場合ではない。
究極、どの分野にも「この人には一生敵わない」という人はいる。
その人がいる以上、その人がいなくならない限りその分野にそれ以外の人は不要なのだ。
そこで「でも私が最強なんで」と勘違いしきっている人は強い。
この境地に至るためには、群がっていては絶対に不可能だ。
「またそんなこと言っちゃって」
「また始まったよ」
「現実を見ろよ」
という言葉のシャワーをこれでもかと浴びせられるからだ。
だが古今東西を通じ、真にその時代を切り開いた人の共通点は
「またそんなこと言っちゃって」
「また始まったよ」
「現実を見ろよ」
という声に一切耳を貸さずにガン無視して、本気で勘違いし続けたことなのだ。
この「雑音を排除する」ということだけでも、孤独になる意味があるというものである。
ましてや「留学します!」と一度言おうものなら
必ず家族の誰かが血相を変えて反対してくるような海外留学なら尚更である。
「人の話を聞かない」というのは、立派な才能である。
…筆者、透佳(スミカ)