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Reason: 結果を出さずに権利を主張すると、ゴミのように扱われる。

一つ前の項目で、人間の序列の話をしました。

「でも、私は別に社会的地位が上である必要はありません」

「別に庶民で私は大丈夫です」

と思う人がいるかもしれません。

ですがここでまず言いたいのは、社会的地位はできるだけ高い方が良いということです。

全く同じことを言っても、扱われ方が違うからです。

例えば、「毎日お酒を飲むことは健康に良い」と東大卒の人が言ったとします。

実際にそうであるかは別問題として、

東大卒の人が言うといかにも正しいように聞こえてしまうのが人間です。

「あの人が言うならあり得るかもしれないな」と尊敬の眼差しで見られます。

それに対して、全く同じことを高卒のオヤジが言ったとします。

実際にそうであるかは別問題として、

高卒の人が言うといかにも間違っているように聞こえてしまうのが人間です。

「そんなんだからお前はダメになったんだろ」と呆れ返られてしまう始末です。

「誰が言ったかよりも、何を言ったかが大事」というのは真っ赤なウソです。

人は発言の中身で判断しているのではありません。

それよりも、誰がその発言をしているかで判断するのです。

全く同じ発言でも、誰が言うかによって180度違う解釈をされます。

これは人生全てにおいて同じです。

同じコンビニで同じブランドの水を買ったとしても、

「あぁ、あの人はああいうところでも節約していてすごい」と思われるのが前者で

「あぁ、あの人はこれしか買えるものがないんだろうなあ」と思われるのが後者です。

同じファストフード店で同じハンバーガーを買ったとしても、

「あぁ、あの人は庶民の気持ちが分かるすごい人だ」と思われるのが前者で

「あぁ、あの人はファストフードぐらいしか食べられない人なんだろうなあ」と思われるのが後者です。

もちろん、露骨にこんなことを口に出して言う人はいません。

バカに向かって「あなたはバカですね」と言ったら、刃傷沙汰になります。

だから黙ってスッと距離を置くのです。

このように、頭が良い人は何をしても勝手に過大評価されて、

頭が悪い人は何をやっても勝手に過小評価されます。

頭の良い人が知的な話をすると「流石だなあ」と思われますが、

頭の悪い人が知的な話をすると「本当はバカのくせに」と思われます。

頭の良い人がバカな話をすると「でも本当は頭が良いんだよね、面白い人」と思われますが

頭の悪い人がバカな話をすると「真正のバカ」と思われます。

あなたはこれを読んで「そんなことない!」と血圧を上げている場合ではありません。

どうせ話すなら、頭の悪い人よりも頭の良い人と話したいというのが人間の本能です。

バカと友達になるよりも、利口と友達になりたいのが人間です。

利口とバカどちらかを話し相手に選べと言われて、わざわざ後者を選ぶ人はいません。

その集団の中で一番頭の良い人についていくのが人間です。

これは学校生活でも同じです。

学年成績トップの人が「宿題を減らしましょう!」と言うと、

他の生徒からは「あの人が言うなら間違いない」と周囲の指示を集めます。

対して、学年成績ビリの人が「宿題を減らしましょう」と言っても

他の生徒からは「はいはい」「まずは勉強してね」と相手にされません。

まるで幼稚園児のように扱われてしまうのです。

ちなみに社会人になると、これはもっと露骨になります。

大人の世界では、真正のバカは「そこにいないもの」として空気のように扱われます。

その辺に落ちているゴミと同じような扱いを受けるのです。

気分を害さないように適当にあしらって帰ってもらって、

その後一生同じ空間で呼吸しないようにと思われます。

話を聞くどころか、ここまで来ると存在を認められなくなるのです。

一度の人生、ここまで落ちぶれると惨めです。

そして一回このステージに落ちると、這い上がることはほぼ不可能です。

もちろん、社会的地位の頂点である必要は必ずしもありません。

ですが、可能な限り一定以上・ボーダーラインを越えておいた方が人生はお得なのです。

自分のために社会的地位を獲得するのではありません。

ある程度社会的地位を確保していないと、関わる人全員にとって迷惑になってしまうのです。


…筆者、透佳(スミカ)

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