日記【2025/01/13】改め、成人式の思い出に浸る回
今日は成人の日らしい。ろくすっぽカレンダーなど見ないので「そういえばそうだった」と前日にようやく気づいた。
TLでも新成人のフォロワーさんが振袖写真をツイートしており、若いなぁ、おめでとうと思いつついいねをつけていた。担当や推しのぬいと写真を撮っている人もいて、いいなぁ〜!と思った。自分もやればよかった!
せっかくなので自分も数年前の振袖写真を発掘してきて見出しにした。ついこの間だった気がするのだが、もう随分前である。今や四捨五入すると十の位が繰り上がってしまうし、次の誕生日でしっかり20代後半だ。時の流れが早すぎて怖い。
成人式といえば、去年成人した彼氏の式の写真をもらってホーム画面にしていたことが記憶に新しいのだが(本当にキモい彼女である。陳謝)、この際なので自分の思い出にも浸ってみる。Twitterでも言っていたので内容は被る。もう見たぞという人は別に読まなくて構わないし、大した内容でもないので見ていない人も別に読まなくていい。
成人式、まず着付けの段階で失神したことを覚えている。「締めますよ〜」と言われた際に、珍装でよく胸潰しをしているし平気だと油断していたのが悪い。急に気分が悪くなってその後しばらく休んでいた。それと、着付けとヘアメイクのどっちが先だったかは覚えていないが、当時も今も大好きな若王子楽さんにちなんで髪はアップ、メイクにも青を使ってもらえるようお願いしたこともいい思い出だ。そのときに雑談で「わたしってパーソナルカラー何ですかね?」「イエベですね!」ってやりとりもした。イエベで青なんてほとんど似合わないはずなのに、上手く似合わせてくれたお姉さんの力量に感謝した。
成人式そのものの思い出はそんなにないが、当時大学で仲が良かった子と一緒に行ったような記憶がある。入場口で動物園の優待券をもらって、ちょうど行きたかったから嬉しいな〜!と話していたような。結局その券も使わずに期限切れになってしまったし、そもそも一度も行っていないので、できたら今年中には行けたら嬉しいなと思っている。
終わったあとは偶然出会った友人と写真を撮ったり、元彼の姿を見て嫌すぎて下駄で走って逃げたりした。
成人式後は中学の同窓会で、バイキングを楽しみつつ当時の担任の話を聞いたり、抽選会でリンツのチョコを当てたりした。楽しい会だったかと言われると微妙だが、そういう思い出としては心に残っている。会自体の思い出よりは、とんでもない悪ガキだった男子が見違えるような誠実好青年になっていたことや、すごく硬派っぽかった男子が気になっていた女の子にアプローチしてうまくいかなかった話をしていて「彼もそういう浮いた話をするようになったんだな」と当時との変わりように驚いたことの方が印象深い。
同窓会といえば、なのだが、実はわたしはハンドルネーム名義とは別で本名名義のInstagramアカウントを持っており、そちらでは当たり障りのないご飯や水族館の写真しか上げていない。これは同窓会の少し前に作って中学の同級生をフォローし、いかにも「オタクを辞めました」というオーラを出しておいて当日面倒なオタク弄りをされるのを避けようという目的で作ったものである。実際に同窓会当日は中学当時もしつこく絡んできていたオタク男子に鬼滅の刃の海賊版スマホケースを自慢されたことと昔のオタク友達とちょっと話す程度で他に面倒臭い絡みは発生せず、例のInstagramアカウントを作った目的は果たせたのであるが、そんなことより「ちょっと話した昔のオタク友達」の発言がなかなかに衝撃的であった。
「大学の友達が夢女子でさ、推しの誕生日会してお祝いしたりしてるんだよ。やばいし大変だよね、夢女子って」
とのことである。
推しの誕生日会というのはさほどやばくて大変であろうか。夢女子ではないオタクも普通にグッズを並べてケーキを食べたり絵を描いたりするものではないのか。無論オタクではない人から見たら変な行動かもしれないが、オタクであったはずの彼女から見てさほど変と思われるものではないはずだ。
そもそも二十歳当時の自分は、既に誕生日会どころか珍装をして推しの衣装を身に纏い、同人活動で推しのあることないこと書き殴って自費で本にしたりするようなオタクであった。そしてその珍装や同人の趣味はまだ続けているし、当時はそこそこにテキストでの情報があるソシャゲキャラクターを取り扱っていたが、今やボイスのみで1時間あるかないかのドラマCDの登場人物の生い立ちを勝手にでっち上げて書いて刷っているような有様である。その友人基準で言うと「やばくて大変」どころか未知の領域もいいところである。宇宙人かもしれない。
しかし自分の周りには当然のように同人誌即売会にサークル側で出るオタクや当然のように珍装をするオタクがごまんとおり、その程度では変だとは感じない。たまに「好きだからって自分で話を考えて本まで出してるのは世間的には異常だからな」と話のネタにこそすれ、ぶっちゃけ周囲に溢れすぎて本気で異常だとは思っていない。でもこのようなことを実際に言われると世間では圧倒的に少数派であることを自覚せざるを得なくなってしまう。無論全く悪いことではないのだが、実際はオタクが当然としていることなんて奇行もいいとこであるし、中学当時しっかりオタクだったはずの彼女がそう言ったのだから、今の自分のいる場所はかなり深みであるのだなぁとしみじみ思った。
自分の思い出話はここまでだが、おまけ程度に毎年Twitterで勃発する「成人式、行くべきか行かないべきか」論争について自分の意見を書いておく。
自分は有無を言わさず人生のイベントとして参加する前提として家族で扱われていたので特に疑問を抱かずに参加したのだが、仮にそうでなくても多分行っていたと思う。かといって他の人が行くべきかと言われると「どっちでもええんちゃう」という意見である。行きたきゃいけばいい。でも迷っているなら行ってもいいんじゃないか、行きたくないなら行かなくていい、程度のものだ。
理由としては、まず「行っておけばよかった」と後で思うくらいなら参加しておいた方がよい、(自分は全くそんなことはなかったが)万一成人式の最中に面白いことが起こった場合に損をしたように感じると思うので。大抵の場合は何も起こらないが、行かなかったらそうであることを知ることすらできない。シュレディンガーの面白成人式である。どうせなら未知の行事が「そんなもん」と知るだけのために行くのもいいんじゃないだろうか。
もう一つは人生であんなに派手で綺麗な服を着て出歩くことはそう多くないためである。珍装をやっていて派手なものは着慣れているが、それでも人生のうちで公にそういう格好ができて賛否もなく微笑ましく見られる行事というのは特別に感じる。男性でもキメた髪型やかっこいいスーツで仕事の重圧を感じることなく出歩くのは良い気分なのではないか(知らんけど)。逆にそんなに晴れ着に興味がないのであれば迷ってまで行くことはないと思う。
成人式論争へのわたしの意見はそんな感じ。
今回はこの辺で。来年までこの日記が続いているかわからないが、今回成人式の思い出ネタを消費してしまったので来年は使えないなあと思っている。