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白い夜

 「五目ごはん」の入ったプラスチック袋を、切れ目どおりに引きちぎって中をのぞくと、甘じょっぱい匂いが直線的に鼻の奥を突いた。記憶の中にある炊きたての五目ごはんの、あのふんわりと朗らかに広がっていく匂いとは違っていた。石化した半透明の米は、細かく砕いた氷砂糖のようで、中に埋まっているはずのスプーンを探して袋を揺すると、やけに大きな摩擦音がした。米というよりは砂利の入った袋を揺すっているようだった。乾いて縮んだ具材は原型をとどめておらず、油揚げ以外は判別がつかなかった。油揚げは、ソファーからはみ出た中綿のようだった。

 付属のスプーンを取り出し、注水線まで水を注いで袋のチャックを閉めた。それから寝袋の上に寝っころがって、腕時計を見た。アルファ米は熱湯だと十五分で復元するが、常温の水だと六十分かかる。

 新品のテントの薄い天井を見ながら、どうしてこんなところで、こんなことをしているのだろうと考えた。そこはアイスランドで、私は初めて来たその土地で、アウトドアの経験もないのに一人でキャンプをしていた。ホテルに泊まる金がなかったわけでもなく、冒険がしたかったわけでもなかった。アイスランドの治安はよく、女が一人でキャンプをするのは想像するよりは難しくない。国立公園のキャンプ場は設備が整っていて、水洗トイレも温水シャワーもある。そういうことをすべて事前に調べ、キャンプ道具はすべて日本で買ってきたのだから、突発的な行動ではない。でもやっぱり自分がなにをしているのか、よくわからなかった。わかっているのは、テントと一緒にお湯を沸かすためのストーブを買わなかった理由くらいだった。私は一人で火をおこすのが怖くて、水でも作れると書いてあったアルファ米を日本から持ち込んだのだ。

 一時間後の「五目ごはん」は温かくもなく冷たくもなく、食事が出来上がったという手応えはなにもなかった。袋の口を開くと、水を吸ってそれらしい形に膨らんだごはんが、具材で薄茶色に染まっていた。
 半信半疑のまま、持ち手の短いスプーンですくって口に入れた。もう一度袋に書いてある作り方を見直した。「チャックを閉めて待つ」、それで終わりだった。つまりこれで完成形なのだ。米はぱさついていて、味はぼやけており、なにを食べているのかわからなかった。

 私はただ手と口を動かした。ときどき乾燥したままの米を噛んで奥歯が痛んだが、気にせずに食べた。全部食べようと思った。もったいないとか、食べられるだけ恵まれているとか、そんなことを思ったわけではなかった。よくわからなくても、なんの味がしなくても、なんの意味が見出せなくても、私は自分が食べろというものを食べた。

 一人で火をおこす勇気はまだどこにも見当たらなかったけれど、一人でテントを背負って一晩中歩くことはできると思った。ランタンは買わなかった。アイスランドの七月は陽が沈まない。

 3年前に行ったアイスランドのことは、ちゃんと書きたいと思いながら、ずっと書きあぐねていて、来年もう一回行くしかないかな、なんて思ったりしています。つまり、また行きたいだけなのだけど。

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すみぐる
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました! そこにある光と、そこにある影が、ただそのままに書けていますように。