風鈴が揺らす音と音楽の境界線(明珍火箸風鈴についての覚書)
数年前に、都内のデパートのインテリア雑貨売り場で聴いた風鈴の音をときどき思い出す。4本の鉄火箸を吊るした独特の形をしていて、事前に知らなければそれが風鈴だという認識もなく通り過ぎていたかもしれない。それはテレビの情報番組でスティービー・ワンダーが絶賛する音として紹介されていた「明珍火箸風鈴」と呼ばれるものだった。
この風鈴に使われている火箸は、もとは甲冑師として姫路藩主・酒井家などにつかえてきた明珍家が茶室用あるいは家庭用として作ったものである。それが、昭和30年代に入って本来の目的での需要が落ち込んでしまう。そこで廃業の危機を乗り越えようとして制作されたのが、この火箸を使用した風鈴だった。その独特の音色と余韻は人気を集め、平成5年には制作者である明珍宗理氏が兵庫県技能功労賞を受賞し、明珍火箸は兵庫県伝統工芸品に指定された。
それが音楽文化の文脈で広く知られるようになったのは、作曲家の冨田勲の仕事が大きい。彼は、姫路駅のプラットフォームで明珍火箸風鈴の音に聴き惚れ、東京、ロサンゼルス、ロンドンのコンサートで演奏するときに、明珍火箸の生音を取り入れたのだ。これは風鈴の音が、西洋音楽の様式の中で意図的に奏でられる楽器の意味合いを持たされた最初の出来事であり、日露戦争後は西洋音楽と音楽がほとんどイコールで結ばれているような環境で暮らしてきた我々にとっては、風鈴が正式な音として認められたという感覚をもたらすものだったと考えられる。そして、テレビの情報番組で紹介されているのを見て、風鈴が売られている場所へ出向き、西洋音楽の文脈でそこに音楽的なものを感じ取ろうとして耳を澄ませたのは、おそらく私だけではなかったはずだ。
それは確かにいい音だった。しかし聴けば聴くほど、それがただの音のパーツなのか、それだけでひとつの完成された何かなのかがわからなくなってくる音でもあった。その音が楽曲に組み込まれることで音楽になると思っていたのが、風鈴という一つの完結した姿を目の前にしていると、音と音楽の差異が撹乱してくるのだ。
そもそも自分が音楽だと認識しているものだけが音楽なのか。もしそうであったとして、そこに風鈴は含まれるのか。含まれないなら、風鈴はただの日常音なのか。雑音なのか。そういう基本的な問いが浮かんでくる。
風鈴の起源は、物事の吉凶を占う占風鐸という中国の道具である。これが日本に仏教などと一緒に渡来し、厄除けとして使用されてきたと言われている。今でも厄除けの用途で使われているところもあるが、一般的な認識としての風鈴は夏の風物詩であり、その音に涼を感じることに趣があるとする日本古来の美意識によって受け継がれてきたものである。この「趣」と、西洋音楽のプロフェッショナルたちが感じ取った「音楽的な何か」は別のものだ。しかし対立はしない。音そのものの響きに美を感じる感覚的経験と、移ろいやすいものに幽玄の美を見る情緒は共生する。これは受け手のバックグラウンドに依存するが、本質的には日本の文化における風鈴の在り方によって成り立っている部分が大きいように思う。
風鈴の音色は、オーケストラで演奏されたり、映画やドラマの効果音として使用される場合には、明確な意味を与えられている。しかし、軒先に吊るされているときの意味は曖昧である。そこに風情を感じる人もいれば、煩いと感じる人もいる。他の音に紛れて認識しない人もいる。そして同じ人が、時と場合によって違った受け取り方をする。風鈴の音は一義的には捉えられない。これは音楽を奏でるものとしては頼りなくもあるが、ときには強さでもある。なぜならそれは自動化されることを免れ、日常と非日常の差異を揺らす力を維持し、異なる文脈の音を同時に奏でうるからである。
あるときにはただの雑音として、ときには音楽的な何かとして、あるいはなにか別の予感として、それは不意に鳴る。
あのときの風鈴は手元にない。もともと音楽好きの友人へのプレゼントとして買いに行ったもので、自分用には予算が足りなくて買えなかった。でも、その音の記憶は残っている。派手な音ではなかったけれど、すでにあった空気の層に浸透するように馴染みながらも埋没せず、消える瞬間の最後までよく響いていた。
(参考文献)
妹尾理恵監修『日本の音楽家を知るシリーズ 冨田勲』、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス、2017年
明珍本舗. http://myochinhonpo.jp/ (参照 2020年8月5日)
江戸風鈴. 篠原風鈴本舗.
https://www.edofurin.com/pages/3270623/page_201910031542(参照 2020年8月5日)
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今年は行きたかった場所へ行けなかった夏だったけれど、夏の終わりは、やっぱりいつもどおりにちゃんと切ないです。