「逃げる」ことで幸せの選択肢は増える
2018年2月17日。
ちょうど一年前の今日。
人生で初めてSOSを出しました。
人生で初めて「逃げる」という決断をしました。
心も体もズタボロになった中で下したあの決断を、忘れられるはずがない。
怒られるために仕事に行っていた
一年前は、メーカーで建設業の仕事をしていました。
とある建設現場で、現場監督をしていたときです。
今でこそ編集者としてパソコンと紙に向き合う毎日ですが、当時は作業服を着てヘルメットをかぶってたんです。
なんか不思議な気分。
現場に来たはいいものの知識も全然なくて、仕事でもたびたび怒られるばかり。
最初は「努力して、現場の仕事をこなせるようになろう」と思えていたのですが、段々とその気持ちも薄れ、何も感じずに働くように。
その理由は、周囲からの叱責がだんだんと罵倒に変わっていったからです。
最初は仕事の出来なさに対して怒られていましたが、段々と僕の性格や目標まで否定されるようになり、最終的には「仕事辞めれば?」と。
現場ではもちろん、事務所の中、さらには行き帰りの車中でもあることないこと言われるようになり、何を言い返せばわからなくなっていたのです。
つまり、家を出てから家に帰るまで、常に怒られてばかり。
何か言えばその何倍もの量で怒られ、はっきりと現場に行くのが嫌になっていました。
だって、行ったら必ず怒られるし。
怒られるために仕事に行くやつなんていませんよね。
起きるのも寝るのも怖くなった
そんな周囲の人たちを黙らせるためには、仕事ができるようになるしかない。
だから、知識をつけるしかない。
そう思い、いくら帰りが遅くなっても勉強するように。
今まで知らなかったことを知れて、それはそれで面白かった。
ですが、「明日までにこれやってこなかったら突き放すからな」とか「これできなかったら10分単位で行動を決めるからな」とか、脅しに近いような勉強だったのです。
仕事で心はズタズタにされて、家に帰っても恐怖を理由に勉強していたので、疲れないはずがなく。
机に突っ伏して寝ていて、いつの間にか朝を迎える日が何日も続いていました。
そんな状況だったので、体も限界に近かった。
仕事のために夜の時間を費やしているのに、仕事に集中できない。完全に悪循環に陥っていたのです。
笑えば怒られる、怒ればもっと怒られる。
だから、笑い方も忘れてしまっていたし、怒り方も忘れてしまっていました。
無気力にただ心が痛むだけの毎日。
最終的には、起きるのも怖くなって、寝るのも怖くなった。
だって、明日が来ちゃうから。また怒られるから。
心が完全に壊れた
もう、とっくに限界が来ていたのですが、とどめを刺す出来事がありました。
僕の様子は本社にも伝わっていたようで、「定期面談」という名目で僕の様子を見に来てくれた日がありました。
今の状況を正直に伝え、今までこらえてた想いが爆発し、部長の前で大泣きしてしまいました。
そんな僕を見て、「なんかあったらいつでも連絡してこいよ!」と電話番号を渡してくれたのです。
その時、とっくに「現場から逃げ出したい」と思っていたのですが、部長のその優しさに後押しされ、現場の上司にも「ここで頑張りたいです」と伝えました。
今にも千切れそうな細い靴紐を、千切れないようにそっと結ぶかの如く。
その日は、その上司も幾分か優しい表情だったので、消えかかっていた火がほんの少し点けられた気分でした。
しかし、次の日。
そのわずかな火はすぐに消えました。残されたわずかな力で結んだ靴紐は、完全に千切れました。
今までにない形相で、すべてを否定されたのです。
もう、何を言われたのか思い出したくないぐらい。
前の日の決意はどこへやら。
完全に僕の気持ちは切れてしまいました。
もう、同じ空気を吸いたくないとまで思ってしまい、全員の仕事が終わるまで僕は何も告げずにずっと事務所の外で掃除をしていました。
2月のクソ寒い時期にずっと外で掃除していて、中に入る気が全く起きなくなった。完全に壊れていたのだと思います。
そして、はっきりと覚えているのが、家に帰って発した一言目。
人生で初めて口にした言葉でした。
「誰か助けてくれ」
生まれて初めて「逃げる」決断をした
もう、心と体は完全に壊れていました。
外で自転車を漕いでいるだけで、涙が止まらなくなる。何もしなくても、涙が出てくる。
だから、ここで働くのは無理だと悟ってしまったのです。
「逃げよう」
自分のためにも、ここから逃げなきゃいけない。
ここに居ては、自分が自分じゃなくなってしまう。
というわけで、勇気を振り絞ってSOSを出すことにしました。
相手は、電話番号を渡してくれた部長です。
「現場で頑張って欲しい」という想いはひしひしと伝わっていたので、電話番号をもらってわずか2日で頼るのは本当に情けなかったのですが、そんなことは言っていられない。
ここで我慢してしまっては、本当に取り返しのつかないことになってしまう。
そう思って、なりふり構わず全てを告げたのです。
「もう無理です。本社に帰らせてください」
工事完了まであと7か月ぐらい残っていて、その現場で僕は何も達成していませんでしたが、それでも逃げるという決断をし、部長は僕の意志を尊重してくれたのです。
あの時、電話番号をもらっていなかったら…。
想像しただけでぞっとします。
よって、僕は誰にも褒められることなく、何も成し遂げていないのに逃げました。
それは、自分を守るため。ただそれだけ。
逃げたら新たな道が見えてきた
実は、今の編集者という職業への道が生まれたのは、その直後でした。
僕が現場で体験したことをありのままで発信し、少しでも社会をいい方向に導いていきたいと考えはじめた矢先、何かが動き始めたのです。
「角田くん、文章書いてくれない?」
当時フリーランスエンジニアをやっていた知人から、イベント招待文の執筆を依頼されたのです。
今でこそ、起業したその友人から色んな仕事をお願いされていますが、当時は「知人」というぐらい特に深い関係ではありませんでした。
それでも、僕が文章力に長けていることを知ってくれていて、依頼をしてくれたのです。
もう、すべてを失った僕にとって、またとないチャンス。
心が痛みすぎて、残っていた有休を全部消費して仕事をサボっていたのですが、がむしゃらに文章を書いていました。
その文章をとても喜んでくれ、また、それがインターネット上に公開される感覚が新鮮で、文章を書くことに喜びを感じた瞬間となりました。
これが、ライターとしてのデビューでした。
その後、文章を書いて想いを伝える喜びに目覚め、キャリアチェンジを画策。
現場監督から編集者という、周囲からすれば異例の転身も、僕の中では確かな手ごたえがあってのもの。
そして、先月からは編集長に就任。
一年前に泣いていた僕は、こんな未来はさすがに想像していませんでした。
「逃げる」ことは選択肢を増やすこと
一年前の今日、確かに僕は今までで一番ダメな決断をしました。
本当に色んな人に迷惑をかけたし、何より中途半端な自分に嫌気がさしていました。
でも、逃げることで、元いた場所を客観的に見ることができましたし、何より「居場所は一つじゃない」ってことに気付けました。
今いる場所では誰にも求められていないかもしれないけど、違う場所には求めてくれる人がいるかもしれない。
そんなことを想えるようになりました。
つまり、逃げることで人生の選択肢は増えるのです。
もっと言うと、幸せになれる選択肢に気付けるのです。
ですが、今辛い状況にいる人にそれを言ってもなかなか信じてもらえないと思います。
実際、一年前の僕は、そんなことを考える余裕なんて全くありませんでした。
だから、ちゃんと道を示してあげたい。
「こっちが逃げ道だよ」と。
「光は探せばたくさんあるから、一緒に探しに行こうよ」
一年前の自分にかけたい言葉は、こんな言葉です。