きっかけを"与える"ことの責任感
ここ最近、きっかけを”与える”機会が増えているような気がしています。
わかりやすいのが、会社のインターン生への働きかけ。
企業の社長や社員に学生が取材をし、記事を書くというインターンなのですが、学生の反応が本当に嬉しいものばかり。
「めっちゃ刺激もらえました!」「ライターって面白いですね!」
このインターンをやって良かったと思ってほしいし、それこそがまさに学生たちへきっかけを与えることなのでしょう。
また、僕に対して友人から色んな相談を受けるようになりました。
その相談に対する僕の回答一つひとつが、友人にとってのきっかけとなるのでしょうか。
「そういう立場になってきたのかなあ」と若干の違和感を覚えつつも、僕を少しは頼りにしてくれていることを実感できて、とても嬉しく思います。
しかし、同時に大きな責任感を伴っていることに気づいてしまいました。
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「私は、色んな人にきっかけを与えられる人になりたいです」
今まで話を聞いてきた多くの人がこう言っていました。素晴らしいことだと思うし、僕もこうなりたいと本気で思っています。
自分が歩んできた道を惜しげもなく伝え、誰かのヒントになる。
こうして世界にいい循環が生まれるのではないでしょうか。
でも、そのきっかけは自分が思っている以上に大きなものなのです。
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振り返ってみてください。
あなたにも、人生の転機となる出来事があったでしょう。
「あれがなければ今の自分はない」
そう思う出来事は、どんな人にもあると思います。
では、その瞬間はそれが転機だと認識していましたか?
答えは、ほとんどの人がNoでしょう。
その瞬間の喜怒哀楽を後で振り返って、自分自身の行動が深化したからこそ、その出来事が転機に変わっていったのです。
だから、今きっかけを与えたと思っても、きっかけとなるのは随分先のことかもしれません。
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インターンの例をあげます。
今、学生は社長さんなどへ取材をして、記事を書く経験をしています。
学生の反応が予想以上にすごくて、僕も嬉しくなりながら毎回引率しています。
取材もしかり、このインターンをやること自体、学生にとって貴重な経験の連続なのでしょう。
最初は、ただインターンをうまく回すだけ、ただ機会を与えるだけに必死になっていましたが、これが始まって1か月がたったので、少しずつ落ち着いて考えられるように。
今の自分の立場を客観視して、まず最初にこの言葉が出てきたのです。
「中途半端できねえわ」
これは、きっかけを"与える"人としての言葉です。
上で転機について述べましたが、転機というものはすぐには気づけません。後になって気づくもの。
つまり、学生たちにとっては今この瞬間が、後に転機となって返ってくるかもしれないのです。
また、僕に相談してくれる人にとっても、僕と会うことが転機なのかもしれません。
そんな可能性を含んでいるのだから、きっかけを”与える”ことは大きな責任を伴うのだと気づきました。
また、「角田さんと会えたおかげで、前に進めました」とか、「角田さんの言葉を聞いて、頑張ろうと思えました」と言ってもらえるよう、僕もまだまだ精進しなくてはなりません。
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きっかけを"与える"ということは、きびだんごをホイと渡すような簡単なことじゃなく、その人の人生を左右しかねない大事な瞬間。
そのために、今の僕が意識していることを書いて締めたいと思います。
・絶対に否定しない
・未来を一緒に描く
・僕の想いも乗せる
この3つを大事にして、これからも多くの人と接していきます。
より多くの人のきっかけとなれるように。