【 凸凹は凸凹のままで 】
15日目
昨日もボイトレ仲間とそんな話になったのですが、
私たちが長い間ボイトレに関わってきて、そこから教えてもらった大きな事。
それは、声の事というより
私たちはそれぞれに凸凹の存在で
凸凹は凸凹のままでいい、と言うこと。
なんなら、己の凸凹をよりクッキリと!くらい。
私たちはそんな事を受け取りました。
ジグゾーパズルの一つひとつのピースは凸凹ですが、凸凹じゃないとちゃんとハマらない。一つの絵が浮かび上がらない。それと同じような事が私たちの世界だと思うのです。
声を出すことは、自分を見つめる作業
声って、カラダの中から出ますよね。
だから見つめる場所は自分の中なのです。
ついつい私たちは、人と比べたり、人の声に憧れたりもするけど、外には自分の声はなく全部内側。
そうして、自分の内側を見て自分のカラダを鳴らしていくと、次第に本来の自分に戻っていきます。
ひとり一人持っている音は違います。
人はそれぞれ違う、が 感覚でわかってきます。
それぞれの凸凹さがどんどんくっきりしていきます。
バランスなんて悪くていい
所詮、人なんてそんなにバランスのいい人なんてそういないものです。
どこかがスゴければ、どこかがダメだったり。
そのダメな部分が、ホントにダメかと言えば
それがその人のチャームポイントになったりもします。だから凸凹が良いとか悪いとかの話でもなくなる。
だからジタバタせず、パーフェクトなんて目指さず
どうぞそのままで。
より凸凹で生きようゼ!
ちょっと変かもしれないけど、私たちが声からもらった大きな気づきです。
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