華金を喜ばなくなった理由
待って、待って、待ち続けた。
この日の為に私は頑張っていた気がする。
朝からうれしくて、夕方の解放感といったら!!
待ち焦がれる金曜日。記事を書いている今日は金曜日なのに、平常心なん自分。
カレー部長生活になって変わったのは
金曜日を待ち焦がれなくなったことだ。
だるい…朝からだるい。
休みの日は早く起きられるし、時間はあっという間に過ぎていく。なのに、なぜ、平日はすぐに終わらないんだろう。
のろのろと起きると、お天気お姉さんが
「おはようございます!」
と笑いかけてくれた。
この人は辛いことないんだろうか。
毎日楽しくて仕方ないんだろうか。
そう生きられるなら、私に方法を教えて欲しい。
ジャージに着替えて、エプロンをつける。
別に、服が汚れても構わない。エプロンをつけるのは、
先生モードになる為の儀式みたいなものだ。
車に乗ると、今日1日のスケジュールを考える。
確か今日は火曜日。
集会があったはず。
Aちゃんの迎えが早かったはず。
色んな予定を思い出して、予定を立てながら運転するのも習慣だった。
こども達は、予定通りなんて動かない。考えてもムダだけど、決めなければ、進まない。
保育は綿密な計画!
上司がいつも言うのだけど、計画通りにいかないのが、人間相手の仕事の仕方なさってもんじゃないかといつも心の中で訴えていた。
園に来ると、朝の会、会社でいう朝礼みたいなものをこども達とする。
「きょうは
11がつ11にち、かようびです。
おてんきははれです」
曜日の確認を聞いていると、気落ちする。まだ火曜日なのか……。
大好きな休みは、まだまだ遠い。火曜日が一番憂鬱だった。始まりでも、終わりでも、はたまた真ん中でもない。やる気を起こさせるのが難しかった。
朝礼を終えると、遊んで、ごはんを食べて、眠る。同じ日はないのだけど、日常生活は繰り返される。
このままずっと、同じようなことをして、私はこの先どうしていくのかをぼんやり考える日が、増えていた気がした。
ぼんやり、もやもやしていた気持ちが、つもりにつもって
私は保育園を辞めた。
辞めてからの生活で、変わったことがある。
決まった時間に起きなくなった。
決まったことをしなくなった。
やることは自分で考えるようになった。
そして
曜日を考えることがなくなった。
毎日自分で決めて生活するから、休みも仕事も自分次第。曜日に振り回されることがなくなった。
あれだけ待っていた金曜日も、普通の1日になった。
12年続いた保育士生活を離れて
初めて感じたのは
曜日は決められたことであり、
その世界から抜ければ、ただの1日なのだということだ。
華金を待ち焦がれる、楽しみがある生活もいい。
だけど、今うれしいのは
自分で大好きな休みを決められることだ。