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先生のしんどさは、価値観のズレにもある。

もやもやしたものを抱えて帰ってきた。

会ってよかった。

話してよかった。

と彼らは思えただろうか。

ただ一緒に食べて飲んで

話を聞いた。

もっとエンパワーする言葉や

アドバイスをしたかったんだな。

私は。

あの先生たちが

元気になれるようなことがしたいと思った。



2人は少し年下の先生だった。

1人は校内の研究長をやってる女の先生。

二児のの母でもある。

彼女にはエネルギーがあった。

「私、午前中5時間で、午後全部探求っていうのをやりたいんです。」

私の身近に

わりと似通った考え方を

持った人がいたことに驚いた。

何度も飲みに行ってたのに

そこまでの話はしてなかった。


彼女は研究長として

まずは先生方に歩み寄ることから始めた。

1学期大変でしたよね。

ざっくばらんに話しましょう。

そして夏に何か一つでも本を読みましょう。

そこから何かに取り組んでみませんか。

そこから主体性って大事ですよね。

主体性を主に取り組みをしましょうよ。

とかいうふうに。



そして、迎えた二学期。

蓋を開けてみると、

新聞記事を与えて文章を書かせてみました。

まずは先生の話を聞くということが課題ですね。

・・・・・?

言葉にならないほど

愕然としたとのこと。


自分が思う主体性というものに

取り組んだ学年は自分の学年ぐらいだった。

あれだけ時間をとって話したはずなのに。

と彼女は言ってた。


ショックだけども、それが普通だなと思う。


子どもたちというのは

厳しく言って抑えつけて

先生の言うとおりに

動くようにしておくこと。

先生はこわいと思わせておくことがよい。

みたいな感覚の先輩方がいる。

そして、そんな考えの若者も結構いますよと

彼女は言ってた。



そういう人たちのズレを

修正していくことから

始めなくてはならないのが

公立学校というところだ。


ただ、これが何より難しい。

大人というものは

子どもよりはるかに

柔軟性というものを持ち合わせていない。



私はそう思って

そこにエネルギーを費やすことよりも

私は自分の目の前の子どもたちだけでも

よい教育をと思ってやってきた。

でも、私も経験を重ねた頃に

学年だけでもと思って

広げたことはある。

でも、これだってズレを修正するまでには

至らなかった。



でもそれを

学校でやろうとする彼女は

素晴らしいと思った。

研究長は楽しいと言ってた。

これじゃダメなんだということが

わかっただけでも収穫だと言う。

2、3年計画だと思っていましたが

もっとかかりそうですねと。

うん。

定年までにできれば拍手喝采だよ。



私もずっと考えてきた。

どうやったら学校は変わるか。

だけど、無理なんだなぁ〜って

同じ思いを持つ友人と結論を同じくした。

そしてその友人も今は別の場所で

子どもたちと関わっている。



彼女は今年6年生の担任。

彼らに体育参観のとき学校に関わる動きを

させてやりたいと提案したらしい。

すると周りの先生から帰ってきた言葉は

でも、邪魔されるのも困るしね。

だったらしい。



それでも彼女は

次どうしましょうかねと

前向きだった。

2児の母であり6年生の担任をしつつ

研究長をして

こういう方々と向き合っていることは

すごいと思う。 



でも、そんな人は稀。

給料は変わろうとしない人たちより安く

労働時間は変わろうとしない人たちより多い

評価されずに批判されるだけの世界で

あきらめるか

潰れてしまうのだ。




先生がどうあれ

子どもたちはみんな学校にいく。

子どもたちのことを

本当に大事にできる先生が

どうか自己犠牲の上に生きるのではなく

自分を大事にして

元気に明るく

子どもたちの前に立っていてほしいと思う。

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