学問は後付け。あなたのままで素晴らしいという社会に。
ナラティブセラピー
という心理療法があるらしい。
私はこれをやっているのかもしれないと、ふと思いました。
子どもと絵本を作っています。
前半は、彼女の好きなキャラクターがたくさん出てきていたのですが、最近主に登場するのは別のキャラ、丸。
この丸の過去や、裏話という形で闇の部分が語られます。
それは、彼女自身の経験を話しているようなのです。
自分のこととしては、向き合ったり、話したりしにくいことも、物語の人物としてなら、話すことができるようです。
自分と切り離して置くことで、問題を客観視でき、またそれに新しい意味付けわすることができる。
これはすごいなと思いました。
彼女たちは好きなことをやっているようでありながら、ある種のカウンセリングを受けているのかもしれないです。
私も気づかないぐらい、ごく自然に。
そう考えていくと
学問というのは、全部、後からの意味づけなのかもしれないです。
はじめはただ、子どもたちは遊んでいたのでしょう。
それのプロセスに、探求とか、研究とか名前をつけて、見つけた何かを学問とした。
そうして、それに価値づけをして、何も知らない子どもたちに、初めから与えるようにした。
その価値あるもの得たら、価値ある人になると教えた。
そうやって育った大人たちがまた、自分の子どもたちに、学問を習得して、価値ある人になりなさいといった。
学問を習得しないと、価値ある人にならないといった。
学問が合わない子どもたちは、価値のない人だと決めらて。
落ちこぼれとかいわれた。
それでも、スポーツができればまだ良かった。
容姿がよければよかったかもしれない。
そうやって、学問以外で他者に認められるような何かを自分で探さなくてはならなくなった。
見つけられない人は。
とても苦しくなった。
でも、それはなんだかおかしいな。
彼女は言ってました。
元々は、自分らしく生きていた。
その頃は平和だったって。
もう、自分の価値を人に決められる社会は終わりにしたい。
自分探しに行かなくてもいい。
これからは、誰もがあなたのままで素晴らしいという社会に、もっともっとしていきたいです。