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「自分じゃないもの」はやめにしよう。


そもそも人は、自分以外のものにはなれない。
でも、多くの人は、想像力によって「自分じゃないもの」になりすましています。
それをやめればいいだけなんです。

『学校に行きたくない君へ』より

この文章にググっと引き込まれました。

私自身も振り返ってみると

「自分じゃないもの」だった期間が長かったように思います。


過疎地の学校に通っていた小学生時代は

同級生は私を入れて11人。

女の子は6人でした。

その中で生きていくには

Sちゃんの機嫌を損ねてはならなかったのです。


文房具を買ってもらって

学校に持ってきたSちゃん。

「みんなあっち向いてて」と言われます。

みんな一斉に反対側を向いて

彼女が新しい文房具を並べ終わるのを待ちます。

その間に頭の中で必死にリアクションを考えるのです。

「いーでー。」と言われて振り返ったとき

そこに並べられているものがどんなものかは関係ありません。

「かわいいーーーー!」と全力で言うのです。

もしも言わなかったら

次の日から地獄の日々だからです。


2年生ぐらいからなんとなく

私たちの中には

そういう構造ができていました。

高学年になるにつれて

いじめの対象は固定化されていき

Sちゃんは泥団子を食べるよう命令する。

プールの着替の時にはわざとタオルをはだけさせて笑い物にする。

いつも私の中には苦々しい思いを抱えていました。

毎日のように早く中学校に行きたいと思っていました。

でも6年生の卒業式練習が終わった時

6人全員が泣いていました。

無論、Sちゃんが泣くからです。


この構造から抜け出そうとしたことはあります。

幼馴染だったAちゃんと裏切ろうって。

でも、私たちには勇気がなく、不安だけがあった。

Aちゃんと具体的な方法を見出せないまま

中学校に行きました。


Sちゃんから距離を置くことができた離れた中学校では

ちゃんと友達もできて楽しかったです。

でもどこまで「自分自身」だったのかは

わかりません。

人には合わせて生きなれけばならないということが

根底にあったからです。


そして、たまたま見たyoutubeの成田先生の言葉に

また痺れました。

子育てに置いては、社会性をどうなくしていくかを考えたい。

成田先生の教育論からは目が離せないです。


子どもたちには

大人からなんと言われようとも

いつも自分自身であって欲しいと思います。







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