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学校に来れて幸せ。脳腫瘍を抱えた桜ちゃんの話。①

私学校これて幸せ。

みんなと給食食べれて幸せ。

彼女は本当に幸せそうに笑って言った。


桜ちゃん(偽名)と私が出会ったのは

彼女が小学校二年生のときだった。

桜ちゃんと他3名の

情緒学級の子どもたちの担任になった。

桜ちゃんは2歳ごろに

脳に腫瘍が見つかり

手術をして取り除いては再発。

というのを繰り返していて

保育園や幼稚園は行っていない。

入学前に必ず受ける就学時健診というものも

受けていなかったせいで

学校に情報がなく

入学直前になって

小学生になりそうな年齢の子が

車椅子に乗っているのを見かけるという

話になって

慌てて教育委員会が動いたらしい。

本来車椅子の全介助の子なんて

病弱児学級というところに入るのだけど

うちの学校にはそれがなくて

教育委員会としては

時期的に間に合わないとのことで

とりあえず、知的学級でいきましょう。

となった経緯がある。


一年生の頃は

別の年配の先生が担任しておられたが

教頭先生になられるとのことで

別の担任が必要になり

私がやることになった。



彼女は脳腫瘍のせいか

薬のせいか

運動機能の問題と知的な問題があった。

平坦な道なら自力で車椅子をこぐことも

できたけど、長くは続かなかった。

お医者さんから

骨折の危険があるので

学校で車椅子を降りることは

しないでくださいと言われていた。

トイレはどうするのですか?

とお母さんに聞いたら

家で変えるのでそのままでいいです。

と言われてびっくりした。


お母さんはピンクや緑の髪が似合う

若くて穏やかな人だった。

お父さんは桜ちゃんが生まれたころには

もういなくて

あの人が今桜がこうなってると知ったら

どうするやろうかと

おばあちゃんがポツリと言ったことがある。

私はそれ以上詳しくは聞けなかった。

お母さんは生活のために

働かなくてはならない。

仕事を二つかけもちしていて忙しかった。

いつも送り迎えに来てくれるのは

おばあちゃん。

学校が家から近かったのが幸い

おばあちゃんはもう70近かったけど

とっても元気で明るくて

私はまだ休ませてもらえへんのや。

とよくシワをさらに深くして

笑って話をしてくれた。


桜ちゃんの学校生活は

また次回。





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