![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/172342731/rectangle_large_type_2_2d0667d907e8a7ba9e1db689485fae6f.jpg?width=1200)
小中高生の自殺、過去最多のニュースをうけて。
527人。
去年1年間で自ら命をたった、小中高生の数です。
ニュースを読んで、胸が締め付けられました。
考えるだけで胸がぎゅっと苦しくなる感じがします。
ここで書かなくちゃならない気がしました。
子どもの死に直面したことがあります。
彼女は私の生徒でした。
彼女は重い病を抱えていて
学校を休むこともよくありました。
けれども彼女は学校に来ると
「学校に来れて幸せ」
「みんなと給食食べれて嬉しい」
満面笑みでよくそう言ってました。
彼女は痛いとか苦しいとかいうことは
一度もなかったです。
ただ静かに病院のベットで
みんなに見守られながら
息をひきとりました。
彼女がまだ生きていたかった日。
その一日に。
もう生きていたくないと
人生を自ら閉じる子がいるということ。
友人の弟はそうでした。
友人の教え子もそうでした。
ある子はリストカットをしました。
ある子は親から暴力を受けていました。
ある子はいじめられていました。
私はそういう子たちとも関わってきました。
その子たちはみんな生きています。
命を断つ原因なんてわからないです。
10年そこそこしかいきてないうちに
全てに絶望してしまう。
それがどんなものか想像するのも苦しい。
だけどもしかしたら
ほんの少しのことで
生きていられたかもしれないなとも思います。
527人という数は過去最多だそうです。
原因や動機は、不明なものが多いものの、本人が残したものや遺族からの聞き取りなどをもとに、調査が行われているとのこと。
「家庭問題」と「学校問題」が上位にあげれていました。
子どもが生きる世界はその二つです。
家庭か学校か。
核家族化が進み
コミュニティが縮小していく中で
そこにしか生きる場所がないことが
問題なんじゃないかと思いました。
おじいちゃんがいれば
近所のおばちゃんがいれば
隣のおっちゃんがいれば
駄菓子屋のおばちゃんがいれば
八百屋のおにいさんがいれば
お寺のおしょうさんがいれば
もしかしたら
あの子の人生は
まだ続いていたかもしれない。
527人。
それは今日もどこかで1人か2人が
命を絶っているということを示しています。
10代は人生に絶望するには早すぎる。
せっかく奇跡的に生まれてきたのだから
どうかもう少し生きて
美しくて豊かな世界があることを
感じてもらえないか。
そのために私がやることは
やっぱり居場所をつくるということ。
家庭でも学校でもない場所。
評価したりされたりしないで
ありのままでいてよい場所。
指示したりされたりしないで
みんな対等で認め合える場所。
学校や家庭で
そういうことが保障されないと
学校や友だちが求める姿になれなくて
家庭や親が求める姿になれなくて
そういう自分を否定して
結果的に
527という数字になるんじゃないでしょうか。
教員を経験してきて思うのは
今の学校では評価から逃れることは
かなり難しいということ。
学校が評価する限り
そこに一定の価値を置く限り
友だち同士で評価しあう文化が芽生え
家庭でも躾という名の虐待が起こる。
教育というのは
とてつもなく人生に
社会に影響を与えるものだと思っています。
どうかほんの少しでも
今日という一日が
生きてきてよかったと思える一日でありますように。
そのために私ができるほんの少しを
今日やったんだと思って
休むことにします。
明日もほんの少しを。
明後日もほんの少しを。
ずっとそんなことを
人生が終わるときまで
私はずっとやっていきます。