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多様性教育に取り組んだ話。学校に多様性は、、、。

学校では

研究授業というものをしなくてはならない。

まずはどの学年が

どの教科で研究授業をするかを決める。


うちの市はもともと

革産業で栄えた地域で

部落解放同盟が作られていた。

その流れから

人権教育を推進していたので

毎年市内の中学校ブロックごとに

研究発表会が行われていた。

担当になった学校は発表をしなくてはならない。


初めて赴任した年がその担当になっていた年だった。

そして学校とか市内のこととか

あまりわかっていなかった私はいつの間にか

人権学習の発表をすることになっていた。


隣のクラスの少し年下の女の先生と何をしようかと

話し合った結果。

性的マイノリティの問題に取り組むことになった。

校長先生に話すと

「前例があまりないし、やめた方がいい。」

と言われた。


じゃあ前例を作ったりましょ!!と逆に勢いのついた

私たちは、当時少なかったけど

組合関係のつてを辿ったり

講演会に出向いたりして情報を集めた。

するといくつかの授業事例みたいなものが出てきて

性的マイノリティーの方々の存在や

思いを知ることを最終ゴールにしようと思った。


そして、いつの間にやらやる気になっていた校長先生から

多様性教育について紹介される。

そして研究の講師として

大阪多様性教育ネットワーク共同代表の沖本和子先生を

招くことになった。


先生から『もちあじ』の授業を紹介してもらった。

みんなそれぞれその人らしさ『もちあじ』がある。

お互いそのことを知り合ってそれを尊重できるようにしていく授業だった。

あぁ、これだーー!!

と思った。

こうしてお互いを認められるようになった基盤の上に

マイノリティーの人について考えるという構成にしなくちゃいけない。

そして全4回の人権学習プログラムを計画実行した。


最後の学習の時には

実際にマイノリティーの方をお招きして

お話を伺うこともできた。


研究授業の日は

子どもたちは私が提示した課題にワシワシと

取り組んでいた。

トイレが女の子と男の子別れていることはどう思う?

制服は女の子がスカートで男の子がズボンについてどう思う?

など。

いろんな考え方を模造紙いっぱいに書いていたのが印象的だった。


校長先生は、いつの間にか

私たちの取り組みを人権の情報誌に載せていた。


ただ、私の心に残ったのは優等生

Kちゃんの感想だった。

「そういうのは病気みたいなものだから

 悪くいうのはかわいそうです。」

みたいなことが書かれたものだった。


授業は計画準備も

丁寧にやったつもりだった。

だけど、彼女にはマイノリティーを

『病気=良くないもの』

と捉えている。

私はそういうことを伝えたかったのではなかった。


生まれつき

髪の色や目の色が黒だったり茶色だったり

メガネの人とそうでない人がいたり

走るのが早い人がいたりそうじゃない人がいたり

勉強ができる人がいたり苦手な人がいたり

それと同じように

性にも多様性があるのだということが伝えたかった。

当時の私の中にそういった認識が

足りなかったのかもしれないと思った。



人権教育とか

道徳教育とか

なぜ必要なのかというと

これは正しくてこれは間違っているということを

いちいち教えていかなくてはならないほどに

多様性というものが認められていないからだと思う。




掃除できない日もあるよね。

集中できない学習もあるよね。

一生懸命なんてできないよ。

理由なんていちいち言葉にならないけど。

わかってくれる人がいたら

少しは学校行ってもいいよ。


不登校って

そんな世界じゃないかなとふと思います。







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