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10年以上勤めた教員を辞めたわけ。その一つ。

子どもが成長していくとき

その場所をあたためておくこと。

苦しいときも

喜びのときも

ただそばにいて

そのあたたかい場所であるということ。

そんなことが私はしたかったんだ。



『シーラという子』という本を読んだ。

そこにはシーラと、精神科医の女の先生トリイとの出来事が書いてある。

シーラは被虐他児。

彼女の支援にいろいろと苦労する。

私の心に刻まれていたのは、トリイが特別なことをしていないこと。

ただそばにいた。

シーラが、最後に噴水のそばでキラキラと舞っている姿が

私のイメージの中に刻まれている。

特別なことをしなくても

ただそばにいることで人を幸せにできることがあると学んだ。


5年生を担任した時には

学級は少し荒れていた。

Rは授業の時間になっても、教室に帰ってこなかった。

図書室の隅で縮こまっている。

他の先生は、勝手に図書室に入るからこれから鍵をかけましょうという話になっていたけど。

私は、ただ彼のそばに座った。

彼は何も話さなかった。

私は、ずっとこうしてそばにいられたらいいなと思った。

こんなことがしたかったなと。


大学に入るときに

心理コースを選んだのはそのため。

子どもの心に寄り添う人になりたかった。


卒業して、児童養護施設に入ったのもそのため。

そこならできるんじゃないかと思った。

それはものすごく私とってやりがいを感じる場所だった。

だけど家庭都合でやむなく退職。


その後に、子どものそばにいられる仕事として選んだのが

学校の先生。

だけど、そこは私の理想とする人になれる場所じゃなかったんだ。


私は再び出会った。

登校したくないK君。

彼はみんなのいない教室にやってきた。

2人で彼のすきなことをした。

プログラミング。

私はプログラミングの知識があまりなかったけど

彼が教えてくれた。

彼と過ごす時間はとても豊かだった。

私はまた、こうしていたいなと思った。



10年以上も長くもがいてきたけど

私には違う場所が必要だった。

ようやく私が

やりたかったことができそうだ。


トリイになれる日が近いかもしれない。





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