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農園のひだまり「ヤギの乳搾り」
エッセイ「農園の陽だまり」を 熊本日日新聞に2001年4月から月1回掲載していました。その中から私が好きなものを時々アップします。
今回は2002年2月掲載分です。この時小学生だった子供たちも、今は40歳を超えてしまった。
今回トップに使っているイラストは、新聞掲載の時に洋画家の大森キミ子さんが描いてくださったものをそのまま使っています。
ヤギの乳搾り
子供たちが小さかったころ、家にはヤギがいた。何代か代替わりしながら、子供たちが中学に上がるまで飼っていたような気がする。
1匹目はまだ百姓になりたてのころで、ヤギの可愛がり方も知らずに飼いはじめてしまった。だから乳を搾るのがどうしてもうまくいかず、ヤギの四肢を杭に縛り付け、動けなくして無理矢理に搾った。ヤギにとっては迷惑な話である。
そんなわけで、かなり乱暴な扱い方をされた一代目のヤギ・メグは慢性がすわったというか、ひねくれたというか、すっかり問題ありの性格になってしまった。多分頭も良かったのだろう。私たちのことが気にくわない時は、自分のつながれたひもを人間が通る瞬間にびんっと引っ張り、その張力で私たちを押し倒した。そしてその時、メグの目は確かに「ひひひ」と笑っていた。
しかし、二代目、三代目となると私たちの扱い方もうまくなり、乳搾りの時、杭どころかつなぐことすら必要がなくなってくる。 まー、それが当たり前の飼い方なのだけれど。
それにつれてヤギの気性もおとなしくなったので、当時小学生だった娘の有希が乳絞りの担当となった。有希は朝学校にいく前と夕方、日に2度一升瓶を手に持ち、だぼだぼの長靴をはいて毎日ヤギ小屋に通った。ヤギのおっぱいは牛と違って小さく、有希の小さな片手で十分な大きさだった。左手に持った一升瓶の口を乳の飛んでくる方に向け、右手でおっぱいを包み込みながらリズミカルに指全体で搾っていく。
真っ白い乳がまっすぐに走り出て、瓶は瞬く間にいっぱいになる。上手だった。
多分もう同級生のだれもやっていないだろうこんな仕事を、当時の有希がどんな気持ちでやっていたのか私は知らない。百姓になりたてで、本当にお金のない生活だったけれど、まるで家族の一員のようにヤギの出産を心配し、乳を搾り、そのあり余る乳でミルクご飯とか、ヨーグルトとかを作る生活を楽しんでいたと思う。彼女の夢は「大草原の小さな家」の主人公ローラになることだったのだから。
親にしかられた時など家出と称して、ある時はヤギ小屋でヤギと一緒に、ある時は納屋に積まれた稲わらの中にもぐり込んで、有希はローラになりきって眠っていた。
でも中学生になり部活で帰宅が遅くなり始めるとともに、有希はこの仕事をやれなくなり、その後を二歳年下の弟・青洋がついだ。そして、青洋も同じように部活に時間を取られるようになると、四代目エルモを最後にわが家からヤギがいなくなった。
今東京で仕事をしている有希は、このことを覚えているだろうか。とてもとても忙しい仕事のようで、毎日帰りが遅いようだ。でも幸いなことに、東京のど真ん中でありながら職場の近くには神田川が流れていて、そこにはたくさんのカモやセキレイなどが飛び交っているそうだ。その鳥たちが有希の仕事で疲れた心を癒してくれるといいのだけれど。相変わらず私は、有希が今どんな気持ちで仕事をしているのかを知らない。
子供たちの小さかった時のことを思い出すと、私のちっちゃなおっぱいは赤子に吸われたくてジュウという感じで反応する。キューンではない。キューンは恋して胸が痛いとき。 乳腺が反応するときはジュウと感じるのだ。
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「農園の陽だまり」 熊本日日新聞 2001年4月から月1回掲載