[玉造温泉街 再生秘話③]何度も求められた人
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前回のお話「覚悟を決めた人」ではノブ社長の大英断をお伝えしました。
※予想以上に長くなってすみません。
さて、今回のお話ですが…いよいよレジェンド周藤さんの紹介です。
▲観光客の動向を見逃さない男 周藤 實さん
今回のお話は三顧の礼です
この言葉は三国志の諸葛亮公明のエピソードで有名ですね。
※三国志大好きです☆
玉造温泉の再生の中心人物といえば周藤實さんです。
大活躍をされる周藤實さんが観光協会で働くことになったエピソードを色々な方にお聞きしたのでまとめて語り部をいたします。
周藤實さんの略歴
昭和22年 玉湯町で生まれます。産湯が玉造温泉、氏神様は玉作湯神社です。(玉造大好き人間の角からすると大変うらやましい)
高校を卒業するまで玉湯におられました。
そして集団就職の波に乗り、名古屋の東レに就職をなされます。
(かなり優秀です)
東レに10年勤務して20代後半の周藤さん。
出世コースに乗ろうかという時でした。
突然、玉湯町へ帰らなくてはならない事情ができたそうです。
(あまり詳しくは語られません)
東レを退職し玉湯町に帰ってきた周藤さんは、ご縁をいただき玉湯町役場に勤める事になります。←周藤さんに目を付けた人すごい!影の功労者です。
そして、役場では持ち前のアイデアを生かし、いろいろな事業を任されます。
大手企業で鍛えられた周藤さんですから、、
そりゃもう、、、
とんでもないアイデアマンだったそうです。
やがて役場内では、難しい仕事=周藤に振る!となっていったそうです。
そして、なんと当時の最年少課長にも抜擢されたそうです。
今でいうところのスーパー公務員ですね。
そのまま役場に勤め上げ、最後は助役(副町長)となって玉湯町と松江市の合併問題をまとめ上げたそうです。
そんなすごい方なんですが
◎性格は穏やかで人前で激怒することはありません。
※怒る時は静かに怒ります。
◎非常に頭の良い方です。
※エクセルで経理ソフトを自作して決算資料も自動計算させる理系頭です。
◎新しいものに対して柔軟です。
※2019年(73歳)のルーティンワークとして毎朝インスタチェックをされてました。
◎強い信念を持つ方です。 一度決めたらブレません。
※口喧嘩もめっぽう強いです
◎勉強家です。役場時代には部署が変わるたびに法律を熟読したそうです。
※観光協会時代は古事記とか出雲国風土記など難しそうな本を読んでおられました。
◎私利私欲がほとんどありません。
※自分のためには ほとんどお金を使ってないんじゃないでしょうか?
◎とても人を良く観察されています
※静かにしている時は、たいがい人を観察されています。
◎人情味あふれる方です。
※ただし、シャイなのであまりそういった姿を見せません
◎酔うと とてもおしゃべりをしてくれます。
※河島英五さんの“時代遅れ”という曲が大好きでそんな生き方をされています。
◎独特な方言でお話されます
※有名なのは「えだねか」⇒いいじゃないか という意
◎ちなみに役場時代はとっても頑固で有名だったそうです。
(方言で「きこ」「きこな す」だそうです)
▲言う事聞かん人= きこな す。 で有名だった周藤さん(笑)
悠々自適な人生…のはずが
還暦をむかえて、玉湯支所(役場)を退職された周藤さん。
「いやー よく働いたけん。これからはグラウンドゴルフでもして悠々自適にのんびり暮らすかの」と思っていたそうです。
ところが…
退職後、半年もすると色々な噂が周藤さんの耳にも入ってきます。
「玉造温泉はお客様がどんどん減っているらしい」
「玉造の旅館が倒産の危機らしい」
「温泉街もさびれてもうダメらしい」
などネガティブな噂ばかりです。
そして、助けを求めて周藤さんの元へと、色々な方がお願いに来られます。
三顧の礼
観光協会の役員も頭を悩ませておりました。
お客様が減って経営も厳しい…このままでは次世代に残せない。
なんとかしないといけない…
観光協会の事務局も今まで良くやってくれてはいました。
しかしこの状況は役場職員の得意とするやり方では解決されないだろう。
観光協会の体制を変えて、民間感覚のスピード感を持った人材に任せたい。
できれば玉造温泉の事を良く知っている…そんな人はいないだろうか…
※当時、観光協会の事務局は役場職員が兼任しておりました。それが決して悪い事ではありません。役場職員も得意なことがあります。例えば資料をしっかりと残して異動しても引き継ぎをスムーズにする。例えば前年の事業をしっかりと遂行する、など得意な事や良いところもたくさんあります。
ただ、温泉街が衰退して危機の状況だったため、求められる適正が違う時代だったのだろう、と角は理解しております。
玉造を良く知る民間感覚を持った事務局長候補・・・
これはもう周藤さんしかおりません。
という事でまず打診に来られたのは市会議員さんでした。
周藤さんに、「温泉街の再生になんとか力を貸してほしい」と頼み込みます。
でも周藤さんは一度決めたらなかなかブレません。←頑固です!
「わしはもう引退したもので、お役にたてる自信がないです」
と謙虚にお断りをされたそうです。
それでもまちの人はあきらめません。
観光協会長、旅館組合長、宣伝委員長、商工会支部長などが動きます。
個人でお会いしたり、会席を開いたりと、何度も丁寧に熱心にお願いをしたそうです。
皆さんの想いを感じ取った周藤さん。ついに心を動かされました。
「老体のわしでよければ精一杯、なんとか5年がんばります」
と最後は笑顔で快諾をされました。
とても謙虚な言い方をされておりますが、周藤さんは相当な覚悟を決めておられたそうです。
というのも、当時の温泉街はさびれて、お店は廃業、いよいよ旅館も、、、という状況です。
いまさら自分がお役にたてるのだろうか…
60歳を超えた自分が時代についていけるのだろうか…
不安しかない新しい挑戦です。
それでも
やるからには、本気で、死ぬ気で、10年間は温泉街に尽くすことにしよう。
そう決意して快諾されたそうです。
そして2007年4月
1年のブランクを経て、松江観光協会玉造温泉支部の事務局長に就任いたしました。
さて、、、なにから手を付けるかの。。。
2か月後に角が観光協会に入り、いよいよ奇跡の10年が始まります。
つづく
だんだんと人が集まってきました☆
さて次回は、まちデコの設立総会で、ある方が決意を語り鳥肌が立ったエピソードです
第4話 会社設立集会で鳥肌が立った出来事はコチラから
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