見出し画像

痛車を作るつもりじゃなかったし

こんにちは、スミと申します。

痛天2024で初めて自分の車を置いて感情が天元突破したので、自分が如何にして痛車と出会い、痛車に憧れ、痛車を造るまでになったのかを備忘録も兼ねて記事にまとめました。
noteをまとめるのは初めてなので、読みづらい文章になっていましたら申し訳ありません。

情報過多な文字数と私の行き過ぎた想いの丈をxに載せるには、あまりに「語り屋」となってしまうので、noteへ綴る事として私の脳内アウトプットとさせてください。
長文にはなりますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

自分と「痛車」について

痛車文化との出会い

改めて自分が痛車を知ったきっかけを遡ってみましたが、明確な出来事やきっかけが思い出せず…
おそらくオタクとしての性が芽生え、ネットを彷徨う内に自然と辿りついたのだと思います。
多分中学の頃には「なんか車に二次元嫁(死語)を貼る文化」ぐらいの認識でいたのかもしれません。

10代を振り返ると当時はそれほど車に興味が無く「なんかスポーツカーはカッコいいな」ぐらいの認識であり、今の様な車キ○ガイになるとは誰が想像したでしょうか。10代の俺よ…お前はアラサーになってもアニメ見てるしコンテンツのライブで感極まって号泣してるぞ(号泣したいのは親)

車に触れ、痛車に憧れた大学時代

クソアニメオタクな高校時代を経て大学に進みましたが、工学系や自動車専門学校でもない地方文系大学に行ったので、入学しても特に車に対して興味を見出すことも無く、運転免許も生活する上での必要資格であるという観点から、車校で苦労しないようにとAT限定で取得しました。(本当車に興味無いなお前な)

そして特に変化の無い大学1年が過ぎ、転機が訪れます。
友人に誘われてガソリンスタンドでバイトを始める事となり、後の人生に大きく影響する「車との出会い」が始まりました。
また、これは自分の矜持でもあるのですが「人生は上手く廻っている」という出来事を体現するかのように様々な人と出会い、ご縁に恵まれました。
※ガソスタバイト時代を話すとキリが無いのでまたの機会に…

大学時代は東海地方にあるカンガルーの形をした県に住んでいたので、当然の如く車社会となっておりスタンドに居れば色んな車が給油しに来ます。
当時の車を全く知らない自分は「車にボディタイプがある」事をそこで初めて知るという…
(最初はセダン、クーペ、ハッチバックの違いすら分からなかったという驚愕の事実)

来店するお客さんの中には、例に漏れず「二次元の女の子をデカデカと貼り付け、派手な改造でひときわ目を惹く車」もやってきます。
そう、痛車です。初めて目にした痛車のキャラは忘れてしまいましたが、周囲の視線を釘付けにするその痛々しさが自分には仏の後光の様に眩しく輝いて映りました。
自分の好きな嫁をカッコいい車に貼り付け、街を駆け抜ける姿を想像するだけで気分はさながら英雄ポロネーズです。

スタンド勤務にも慣れてきて街を走る車へ理解を示せるようになってくると、やはり自分もカッコいい車が欲しくなってきます。
当時自分が乗っていた車はMH21SのワゴンRだったのですが、このお買い物カーがどうにかしてカッコ良くならないかと夜な夜なインターネットの海を彷徨い、立派なカーチューナーになれたことは今でも人生の誇りです()

自分の持論ですが、一度は自分の直感と思うままに車を弄ってみる事もすごく大切なことだと思っています。仮にそのセンスが間違っていなければ20代の内にカスタムビルダーとして大成するかも知れないし、片や赤リップステッカーチューンハンドルカバー()を一通りやった上で己を知る事もまた車人生… 因みに自分は後者です^^

しかし、大学時代にカーチューンを経てなかったら、後に知る「本当の意味での改造車」に触れる機会も無かったかも知れないし、「スタンス」という世界を覗くことも無かったと思うとカーチューンを経験できて良かったなと思います。
※特定の車の改造、カスタムを否定する意図は全くありません。
車に対する全ての改造は個人の自由と思っておりますので、あしからず。

だいぶ話が脱線しましたが、こうしたスポーツカーの渇望、痛車への憧れが日々増していき、ついに自作カッティングでリアガラスを冷蔵庫状態にしたマシンが完成します。それがコイツダァ…1,2,3(ベストハウス)



そしてこの後、耳なし芳一状態に突入します。

「お買い物おばちゃんマシン」が、道行く誰もが振り返る「町の変わり者仕様」に変貌を遂げた瞬間です。

ただ当時は痛車にするにも、それなりのクオリティで完成させたかった事もあり、大学生の財政状況ではとてもじゃないですが業者に頼んでラッピング施工など夢のまた夢でした。
そして大学後半からはバイクにも乗り出したため車の熱量が下がっていた時期もあり、痛車への憧れは沈静化していきました。

オタクくん、いきなりインプレッサを買う

大学を卒業し、就職ともなれば少しは安定した収入源と生活基盤が出来ると期待しますが、現実は財布を圧迫する毎日の食費と家賃光熱費、ガソリン代…憧れのスポーツカーを買うなんて夢のまた夢、そんな日々を…

送ると思っていたのか!??!?(クソデカブロリー)

就職した年の5月にふらっと行った関東の車屋さんで気付いたらハンコを押してました。
しかもフルローンで購入。


この後ワゴンRを手放し大後悔、そしてインプは不動に

でも今となっては最適な判断だと思っています。昨今における絶版スポーツカーが軒並み高騰している中で、それこそ「お金が貯まったらインプを買うんだ^^」なんて悠長なこと言ってたら恐らく20代後半になっても購入していないと思います。
人には強く勧められませんが、正直スポーツカーに乗りたいのなら20代前半に無理してでも、最低限車体を抑えた方が良いと思います。改造は買った後にいくらでも出来ますからね。

そもそも箱とエンジンが無ければ憧れのスタート地点にすら立てない訳で。ただ、当時は慣れない社会人生活と丸目インプの維持だけで精一杯であり、まだ改造や痛車施工を施す余力はありませんでした。

再び痛車熱、もゆ

そんなこんなでインプの維持だけに費やす時間が4年ほど過ぎた2022年、ある痛車イベントへ足を運びます。DayDream2022-final-です。(以下DD)
前段として、自分がスタンス系カスタムに興味を持ちだしたのが2020年であり、その延長として選考型の痛車屋内イベントがあると聞きつけ行ってきたのですが、その壮観な景色に息を呑みました。

時期ほぼ同じくして、アイドルマスター シャイニーカラーズ(以下、シャニマス)にも足を踏み入れており、当時のTwitter上で知っていた-ゆーやさん-の「灯織ちゃん86」や、-るがーさん-の「千雪さんシルビア」を目当てに見学へ行ったのですが、そんな自分の気軽な「思い」はオーナー様の展示から伝わる本気の「想い」に上書きされ、網膜に焼き付きました。

そこでは本当に実在していたのです。
「車」という媒体を通して存在する彼女たちの姿が…

ゆーやさんの灯織ちゃん86
るがーさんの千雪さんシルビア

自分にとってDD2022-final-は社会人生活の中で薄れていた痛車への憧れを取り戻す大きなきっかけになったと振り返ります。

ファインダー越しに観る「改造車」の世界

痛車への憧れを再認識したその年の10月に、また自分にとっての転機がありました。一眼レフカメラの購入です。

2022年ではGW以降、wekを始めとしてドリドレ、レッキン、スタネなど各地の改造車イベントに足を運びました。そこで、もう一つの欲求が沸いてきます。

「ーちゃんとしたカメラで車を撮ってみたい。」

SNSで流れてくるスタンス車両を切り取った「エモい」写真を見る度、いつからか自分もこの手で撮影してみたいと思い始めます。

富山にて行われたレッキンミートで初めて見た-マミミさん-の「飛鳥&蘭子フーガ」のインパクトが「写真に残したい」という欲求をより加速させてくれました。

マミミさんのダークイルミネイトフーガ
この頃はまだスマホカメラで撮影してました。

かつては写真に拘りなど皆無で、寧ろカメラはスマホで十分と思っていました。しかし一眼レフを手にしてからの「ファインダー越しに改造車を覗き、自らの手でシャッターを切る」という行為が、車との向き合い方を今までとは違ったアプローチで教えてくれたと思っています。

現場で痛車を撮る

カメラという新しい趣味の幅が出来た中で、新たな出会いもありました。
「桃華スカイライン」の-りょうぎゅうさん-です。
2022年のfixwellに続き、2023年のフェンダリストにて初めてご挨拶させていただきましたが、エアサスでの見事な着地とスタイリッシュなバイナルに心揺さぶられました。
この時はまさかお話の中で「冬優子アコード」の-ちしょーさん-まで繋がるとは予想もしておらず…

りょうぎゅうさんの桃華ちゃまスカイライン
フェンダリスト2023にて

同年7月に開催されたシャニマスソロパフォーマンスライブ「我儘なまま」の現地駐車場にて陰ながら撮影させていただきました。
そしてこの時、自分の中でやっと目指したいものが合致する瞬間が訪れたのだと思います。「アイマスの現場にて現地バトルマシンを撮影する」という自分の好きなコンテンツ、そして痛車という2つの熱量がカメラを通して自分の中で一つとなり、更に自分もシャニマスで痛車をやってみたいと思い始めました。
もはや、ある意味で異次元ライブです。(意味不明な供述)

ちしょーさんの冬優子アコード
我儘なまま現地にて

その後も続く現場に通う中でシャニマス痛車勢の車に注ぐ情熱と、担当アイドルに対する愛の深さに圧倒され、自分もその勢いに呑まれるまで時間を多くは要しませんでした。
(多分アイマス痛車界隈でシャニが一番熱量あるんじゃないすかねbyあさひ)

そして、憧れは形となり現地バトルマシン完成へ

「シャニマスライブの現地に行くんだ、担当アイドルを貼った車で行くのが当然だろう」
(湾岸ランナーのシャニP)

一気に色々と端折りましたが、自分も担当アイドルを貼った車で現地に行き優勝したくなったので、今こそ過去に抱いてきた「痛車への憧れ」と「何かを形として造り上げたい創造欲」を最大火力で撃ち放った結果、これができました。

スバル インプレッサ 浅倉透仕様
撮影:ぱじさん

透インプレッサ完成まで関わってくださった方々、そして僕にその熱量を分け与えてくれたシャニマス痛車勢の皆さま、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

おかげで長く燻っていた「痛車への憧れ」と「何かを成したいとする気持ち」を最高の形で具現化する事ができました。

そして、「DayDream2022-final-」あの夢の舞台を観に行っていた自分が、今度は夢を叶える舞台に挑戦してみたいと思います。まだ車も煮詰める部分が多いですし、どこまでやれるか分かりませんが、更に自分の想いをかたちにしたいです。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
シャニ6th横浜優勝しましょう!アイマス最高!!




いいなと思ったら応援しよう!