横須賀に才能が集ったらいいなあ、と思っている話

まえがき

スミーという人間の属性を切り取ると、この二年間で実にわけがわからない生き物になった。

普段システム開発しながら、ストレングスファインダーをつかってあれこれ発信し、なぜか紅茶を至る所から買っては人に淹れ、紅茶を淹れるために横浜に越してきたと思ったらなぜか横須賀に通い続け、ついには横須賀コーヒーフェスのボランティアに(コーヒー普段飲まないようにしてる紅茶党の人間のくせに)参加している。

不思議な立ち位置だ。
紅茶が好きなくせして茶器は買い集めないし、シングルオリジンは攻めないし、「なんか、みんな、いろいろ香ってみたら面白いよ」ぐらいにしか思ってない。でも好き。
ストレングスファインダーが好きなくせして、別に資質がどうとかいう話をしない。Twitterで書くことといえば「休みなー」「肩の力抜きなー」「振り返りなー」ぐらいだ。でも、それをやるためにストレングスファインダーが使えると思っているから、使う。
そして、横須賀は好きだし、毎週のように通っているが、今すぐ横須賀に住む気はないし、「横浜の方にいる」ことにメリットを感じてすらいる。

「それがライフワークなんですね」と言われれば、そうだ。
でも、「やりたいことなんですね」と言われると、そうではない。
それじゃあ、やらされているのかっていうと、そういうわけでもない。
ただ、僕の中にある予感を頼りに、「いい方向」を手繰り寄せようとしたらこんなことになってしまっている。

2024年1月28日。アストロ英語会という名称で意識が宇宙にぶっ飛んだ日。
「予感の話を言っても、まあ押し付けなきゃいいんじゃない?」という感触を得たので、書いてみようと思う。

これは与太話の寄せ集めだ。きっと外していることもたくさんある。
面倒くさがって論理を飛躍させている箇所もある。
だから「何いってんだこいつ」と思うことは無視してもらって構わない。押し付けるつもりはないし、そんな人とでも友達でいたい。

それでもまあ、政治的・宗教的・医学的主張があるわけでもなく、裏目はひどいことにはならないだろうと思っている。興味があったら自分でもやってみたり、自分で調べてみたり、僕に「おいもっとこの話しろ」と言ってくれたりしたらうれしい。

僕が具体的にお届けすることは、最後にまとめたので、「お前なにすんじゃい」ということだけ気になる人は、目次からすっと飛んでください。


僕がぼんやりと考えていたこと

世界が魔法理解しえないもので満ちるとき

AIが実用範囲まで発展した。
簡単で、退屈で、ちょっと調べればわかることを調べる、という仕事は、少なくとも発注する必要がなくなった。
それによって凡人以上に天才が加速し、日進月歩で技術が進展するようになった。

SNSが発展した。
世界の不条理はすぐに地球の反対側まで届くようになった。
『正義』の目をありとあらゆるところに向けられるようになり、それに対してまた別の『正義』の目が見張っている状態になった。

僕らの世界には70億人と、何億ものデバイスが蠢いているのがデフォルトになった。もはや一人ひとり細かく追うのは困難である。
これらを物理学的に表現するなら、物質同士の運動を語る古典ニュートン力学ではなく、マクロな振る舞いを観察する熱力学の視点が必要になるだろう。

油断すると周囲は完璧を求めてくる。少なくとも、都会の中で会社のオフィスでPCに向かっていたり、スマホの画面を覗き込んでいると、そんな気分になってしまう。
それは熱力学的な「世界という物体の振る舞い」が、より正しさを求めるように動いているからに他ならない。

しかし世界は加速する。どこかで理解が追いつかないことが必ず出てくる。どんなに努力しても、だ。だから完璧に正しい、なんて不可能だ。

だから人はどこかで思考を放棄する。「よくわかんないけど、◯◯さんが言っているなら世界はそうなんだろう」ということにする。
これはもう仕方のない現象だ。これを僕は「魔法で満ちる」と表現している。
まあ、露骨にデジタルネイチャーの話を意識しているのだけど、グローバル化も同じ話だよね、と思っている。

こうなってしまうともう、「かけられた魔法ガチャ」でSSRを引かないと人生終わり、という話になってしまう。それは、怖いな、と僕は思う。

……だから何?という話をするために、もう一つの命題の話を先にしよう。

メンテナンスの崩壊

日本の人口は減っている。そして、地球環境のことを考えるなら、40年後人類が暮らしていけるならきっと世界人口も減り始めている。
それはきっとバランスのよい減り方ではなく、極端に減る地域とそうでない地域があるだろう。ほら、愛し合うことすらリスクだと思う層だっているわけで。

人間は薄くまばらに生きていられるような生き物ではない。……いや、これは違うか。そもそも生物は薄くまばらに種を保てるようなものではなく、なぜか人間が現実的なコストで地球を動き回れるだけだ。
世界人口が減れば、とうぜん必要な土地も少なくなるし、メンテナンスできる土地も狭くなる。そこら中に熊が出る。

だからきっと、今ある都市圏を中心に人々が住み、その間は何が起きるかわかったもんじゃない世界がじきにやってくる。
まるでドラクエのように、町と町の間に魔物や盗賊が現れる世界。
人々はなるべく都市ですべてを済ませる。出かけるということはよほどのことがない限りしない、だってYoutubeでいいから。
移動するときもスマホの充電を気にしながら、何も起こらないように祈り、万が一があったらAIの手を借りてなんとかしながら移動する。

崩壊する国家観、点在するコミュニティ

そもそも、「国」という認識だってもはや人によってあべこべだ。
どっちが正しいとかいう議論をするつもりはないんだけど、ちょっと普段調べないような単語で見てみたら、同じニュースから全然違う情報を読み取っている人々がいる。
果たして僕と彼は同じ国・同じ時代を生きているといえるのだろうか?
これもまた「かけられた魔法」ガチャであるとも言える。
だからきっと、「もうお前らと同じ国にいたくない、好きな都市に引きこもる」という選択が当たり前になっていく。

そもそもロビン・ダンバーによれば、人間が同時に関われる人数は多くて150人程度だ。億なんて。なんだよそれ。そんな多様性、理解できなくて、当然だ。

だからきっと、そこそこ便利な都市に寄り集まって、150人の仲間と、わざわざ別のコミュニティから来た酔狂なお客様とで仲良くする、みたいな世界ができるだろう。というか、そうでなければ人間社会は永続困難だと思っている。もしかしたらそうならずに世界が破滅するかもしれないし、技術発展で色々な前提が崩壊するかもしれないけど、ね。

そんな世界で僕はどう生きるか

さて、これ以上妄想を広げても詮無きことなので、翻って僕の話をしよう。

僕と帰る場所

きっと、穏当でまあまあ正しい答えはもうAIではじき出せるようになる。というかなって欲しいと思うから、そっちの未来にベットする。
そうなったときに、人はもはや個性があることと、物理的かつ柔軟に干渉ができることしか価値がなくなる。
インターネットに頼るなら、よほどの魔法使いに頼るわけじゃないならAIできっと十分だ。
僕はシステム開発ではきっと魔法使いになれないし、物理的な干渉もできない。柔軟な干渉は、まあしているんだが、正直フィードバックが遅すぎてしんどい。
だから、インターネットだけで生きる道は僕にとってあぶない。

しかし、僕には帰るべき実家がない。
いや、物理的には存在するのだが、帰りたいと思うような土地ではない。
さりとて、都会も息苦しい。
かといって知らない田舎で暮らすのも寂しいものだ。
だから僕には、実家のような安心感のある、帰れる場所が必要だった。

僕と横須賀

少なくとも6月時点の僕には、「逃げ場所」こそ数あれど「帰る場所」がなかった。
それが、よくわからないけど横須賀に縁ができていって、落ち着くために横須賀に通うのが自然な行動になった。
hatis、No.13、めい鍼灸院、MagYoko。あとのぼり雲。その他横須賀のおいしいご飯と楽しい場所。
きっと彼らのおかげで、横須賀を「帰る場所」にさせてもらえたのだと思う。ありがたい。
なんとなく寂しい人にとって、きっと横須賀は、少なくとも県立大学から佐野・衣笠へと抜けていくあのルートはいい場所だ、と思う。

だからこの魅力をもっと発信したいし、もし横須賀があれば救われる人がいるのであれば、救われていったらいいと思う。
もちろんそれで人が増えればその分、お世話になった色々なところが繁盛して、もっと楽しいことがきっとできる。そしたら僕がたのしい。
色々な人と出会って、話をして、もし僕が力になれることがあるなら、嬉しい。
では、僕に何ができるのだろう。

僕にある手札

僕はシステム開発の要点はだいたいわかっている。要件定義とか企画とかは流石にちょっと経験が浅いが、なんとなく人の仕事を観て真似するぐらいならできる。
その延長線上で、だいたいのパソコン仕事は、AIにちょっと聞けばできる。

僕は紅茶がまあまあ美味しく淹れられる。味そのものへの対価ではなく、イベントへの対価ではあるが、1杯700円でも買っていただけるだけのものでは、ある。

僕はストレングスファインダーがまあまあ理解できている。お悩み事があるなら、コーチングをして一緒に道を探せる。
その延長線上で、だいたいの人の話が聞くだけなら聞ける。

あと何故かそれなりにCanvaが使える。

……で、なんだというんだ?受け身で何が起こるんだ?
もちろん看板を出し続けることに意味はあるから、やる。ただそれはそれとして、僕の看板にも横須賀にも、そしてお客さんにもシナジーがあることは、なんだろう。

お客様からよく頂く言葉は「安心感」とか「気づき」とかだ。それはよいことだと思う。

ではこれをちゃんと届けていくにはどうすればいいか?
それはもう、人と会い続けて、なるべく周りの人が「別の人とも繋がれる」状態を保てるよう、知恵を貸すぐらいしかないだろう。
それができる「地元」的な場所を作り続けて、維持できるようにしていくしかないだろう。
まあそうやって人と人とがつながれば悩みも自然と生まれて、僕の出番もある。

横須賀に150人

「地元」を作るなら、人が集って話ができる場所と機会が必要だ。
本当は場所が作れたら一番いいのだが、僕の手札だとあまりにも迂遠だし、せっかく僕の好きなお店がたくさんあるので、そこを使いたい。
そこを使えるように機会を作り続けるのが、僕のとり得る役割になる。

そのために紅茶を淹れる。

そして折角なら、紅茶をきっかけに横須賀を知って、定着してほしい。そのために色々な人の人となりを知って、おすすめのお店を教えていきたい。きっとそこでの出会いはいいきっかけになる。
それこそコーチングをきっかけに知り合った人も横須賀に呼んでいきたい。どんな人と会わせるといいかはなんとなく見える。その情報をもとに、中山やすきとかいう原子力発電所みたいな人間に引き合わせれば、何かしら必ず起こる。

自分の居場所がないと悩んでいる人にとって、横須賀はいい具合にタスクが余っている土地だ。退屈している人をどんどん呼んでいきたい。(どうせたくさんのタスクが発生する)
そしてそのために、横須賀の外に出向く上では、横浜に近いことは大きなメリットになる。
(東京より遠い場所は、高橋さんに任せられるととてもいいと思う。高橋さんが自由に動けて、来たい時に横須賀に来て楽しめるように、横須賀の番をしておく、というのも一つのテーマだったりする。)

そして身内でお金を使いあっても、紅茶を外から仕入れてる以上、どこかで回収しなければならない。
それがシステム開発だったり、もろもろの仕組み化だ。

そうやって人が集って、各店舗に意図しない形でコミュニティがぼこぼこ生まれて、僕はそこをこう、県立大学から衣笠に向けて歩くだけでだいたい面白い話全部聞けるようになると、とても嬉しい。

これがワークするラインとして、ダンバー数である150人を掲げてみた。才能と表現したのはかなりストレングスファインダー寄りの表現で、「なんかしらやれることがある」ぐらいの意味合いだ。
遠い未来の数字だから、とりあえず意味のあるデカい数字にしておこうと思って。
具体的にはいろんな店舗、そしてそこの常連さんの属性の活きるイベントを企画して、自分でやったり人にやらせたりする。そうしたらイベント固有の繋がりが生まれる。
可能なら継続してできるようにサポートする。告知とかも手伝う。そうすると繋がりが「コミュニティ」として動き始める。
イベントの常連はだいたい5人~10人。5人ぐらいだとちょうど「身内」という規模感になるので、30本企画が進行するようになれば150人達成だ。各企画のイベントは年1本でもいい。やりたい。

ついでにそうやってイベントが常時蠢いていれば、みんな何かしらのスキルが身につく。そうしたら仕事にしてみたり、エデン横浜とかでイベントやってみたりすれば、もっと面白い出会いがあると思う。
エデン横浜から人を横須賀に連れてきて、イベンターとして育成して再輸出する、とかで還元できると面白いと思う。

「県立大学から衣笠のあたり、だいたいよくわかんないことやってるけど、怖くはなさそうだし、行ってみようか」

これが届くといいと思う。

これは「やりたいこと」なんていう生易しい表現を使いたくない。
僕の生存戦略だ。

まとめ

長い目で見て、こんなことします。

  • 横須賀で30種類ぐらいの小さなイベントが常時蠢いている感じを作ります

    • そのために事務仕事とか告知とか頑張るので、なんかあったら言ってください

    • 特に中山やすきに焚き付けられた皆さんは声かけてください、楽しくやれるように、楽しくないことを一緒になんとか倒していきましょう

  • 都会がしんどかったり、さびしかったり、退屈だったりする人は一度横須賀に遊びに来てください

    • 特にエデン横浜とか、コーチングとかで知り合った人はぜひ

      • 面白いイベントは横須賀だけで独占するのはもったいないので、エデン横浜にも誘います

  • よかったらお気に入りのお店に通ってください。そして知り合ったお客さんとお話しましょう。僕もちょくちょく顔出すのでよろしくお願いします

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