穏やかさの裏の裏 Unpacking Within #1-1
はじめに
人生には、荷物整理がつきものだ。
人生は旅に例えられる。仕事をし、本を読み、人に出会い、話を聞き、新しいことを知る。大事にしたいことが増える。
バックパックに背負うものがどんどんと膨れ上がる。
そのうちにそのバックパックの重さに窮して、開けることすら躊躇われるときがくる。
けれど、勇気をもってバックパックを開けるとこからしか物事は動かない。
中身を取り出して、畳みなおす。小さくする。
要らないものがあったら捨てる。そうしているうちに、運が良くもっと便利なもの、小さなものに交換できる。
そうしたら、またゆとりができる。そこにはまた新しいワクワクするものを詰められる。
Unpacking Within.
今日もまた、背負った荷物に込められた物語を語り始める。
今回の旅人は、穏やかそうで、街中でふと見かけてもおかしくない、ごく普通の雰囲気を漂わせていた。
彼女が仕事をやめたわけ
「量り取った薬の量が、手に持っただけでわかるようになって。」
「秤に乗せたら思ったような数字が出て。誤差も1割ぐらいで。」
「すごいじゃないですか」
「いやよ、気持ち悪い。」
「気持ち悪いんだ」
「それでもうヒーッてなって仕事やめちゃった。」
昭和と平成の間、夜空に人工の夢が浮かぶころ。「いい大学」「いい会社」「いい結婚」の夢を信じていた人が多い時代。彼女は薬剤師として生計を立てていた。
「ほら、どんだけ景気よくても悪くても、みんな病気するしいつかは年取るでしょ。悪いけど、今なんてみんなしんどいから薬が売れて儲かるのよ。だから薬学部。」
「ちなみに頭良かったら医学部行きたいと思います?」
「思わないわー、だって怖いじゃない」
「確かに。オペ失敗したら人死にますしね」
「責任取れないわー」
時流を読み切り、手に職をつけ、あとは悠々自適に暮らせばいい。なんて素敵な人生計画なのだろうか。
日本のどこかには仕事は必ずあると安心し、余ったお金で趣味をやって、いい人がいたら結婚すればいいし、いなかったらそのまま勤め上げてもいいし。
僕も薬学部行けばよかったか……?いやでも薬の名前覚えるの絶対いやだな……などと益体もないことを考えてしまうぐらいには、いい。
けれどそんな完璧な人生にもひたりひたりと影がにじり寄る。
「だいたい仕事覚えて、処方箋の癖もだいたい覚えて」
「もうそしたら楽勝ですね」
「いーや、飽きちゃった」
「……あー」
退屈。それは人類が農耕を始め、暦に従って生きてから発生した、長く人類が患う病の一つである。
特に冬、田畑が雪に閉ざされ、食べるものも少なく、うっかり旅に出ようならいつ野垂れ死んでもおかしくないとき、人は「やることがない」に遭遇した。あまりにもやる事がないので人は狩猟をし、わらじを編み、火鉢を囲み、歌を歌い、酒を飲み、そして誰に望まれたわけでもないデイリーを回す。
「わざわざ頑張って入ったホワイト企業を、やりがい不足で辞める」という現象も、この退屈の症状の一つである。そしてバブルだろうとそれは変わらないのである。(いや、あるいは退屈だからこそあの熱狂が生まれたのか?)
彼女は処方箋の癖を読むのが好きだった。
患者に言われた通りに薬を出す医者。独自の世界観で、決まりきった薬を出す医者。真正面から分析し、最小限の薬を出す医者。どれが良い医者でどれが悪い医者なのかはさておき、とにかくいろいろいるのだ。
しかし、だいたい薬局に来る患者がもらってくる処方箋は、近場の病院のものと相場が決まっている。だからいずれ処方箋の内容と医者の名前が一致する。それが薬剤師における「板につく」なのかもしれないし、あるいはそれが「飽き」になるのかもしれない。
「キャリアアップして店長?……薬局だから局長?とかになるって選択はしなかったんですね」
「いやよ、責任取れないし、お付きの病院が変わらないと退屈。」
まあ、それだけなら他の薬局に転職するという選択肢もあったはずだ。けれど、転職したとしても退屈をぬぐえない気配があった。それがあらわになったのが、「手で重さが分かる事件」だったのだろう。
……本当に?
努力は自己満足である
彼女はhatisAOに置かれた美術本などを見ながら、「知ればそれで満足なんですよ。5割でいいんです。」と言った。
たとえば世界の美術史について知り、物語を理解するのには興味がある。けれども自分で絵を描いてみようという気は起きない。<<収集心>>っぽい動きだ。
けれど、それだけならば、「手で重さが分かった」だけでは何も恐れることはないはずだ。何か心外なことが起こった反応だ。
ひょんなことから、「記憶をひきついで20才に戻ったらどう生きるか」という話になった。
僕はどう生きるだろうか。とにかくITだけはやらないだろう。システム開発特有のレスポンスの遅さはもうこりごりだ。大学生のうちにサービス作ったりとかしたいし、何よりもっと「人間の魂」的なものに向き合いたい。
彼女はきっと同じ人生を歩むという。
「もう飽きているのに?」
「はい、どうせ私は他の生き方はできないから。」
その瞬間、僕の頭の中でグラフが描かれた。
期待がないというか。状態が収束しているというか。エネルギー的に安定している状態を保ち続けているというか。運命に対するあきらめは、<<運命思考>>的でもある。
決して悪いことではない。極小は必ずしも最小ではない。安定するだけの理由がある。そしてきっとそれを安定と捉えただけの理由がある。
彼女の「それ」は、少なくとも小学生の時からあったらしい。
「小学生の時逆上がりあるじゃない。あれ私なかなかできなくて」
「難しいですよね、僕も苦労したなあ」
「それで、友達の運動得意な子に教えてもらったりもしたのだけど、それでもなかなかできなくて。」
「コツつかむのって難しいですもんね」
「それで思ったんです。ああ、努力って報われないんだな、って。努力が仮に報われるとしたら、それは自己満足なんだな、って。」
「壮大なあきらめだ」
「だからそんな頑張らなくてもいいや、って。5割でいいと思ったんです。それでいろいろ楽しめれば。」
薬学を選んだ理由が透けて見えた。
博学であることが求められるが、職人的でもなく、さりとて需要が消えず、転職や復帰も難しくない。そういう仕事を選んだのだ。
そうすれば、リタイアまで食っていける。なんだったら80,90まで名物先生として生きている人だっている世界だ。ワクワクする未来ではなく、努力にもならない範囲で確実に通せる範囲だ。
……いや、薬学部に入るのそんなに簡単じゃないとは思うのだけど。まあいいか。
とにかく、自己満足のラインは「5割」で、それ以上をやる必要を感じない。
だからこそ、うっかり職人芸を覚えてしまったが故に「気持ち悪く」なったのだろう。
「期待」が重くなったわけ
しかし、職人に「ならなくてもいい」のはわかったが、職人に「なるのが気持ち悪い」というのは少し論理飛躍がある。
「親を超えられないと思うんです。」と彼女は言う。超えられない。何をもって?という疑問はあるが、とにかく超えられない。
責任を取るであるとか、上に立つというのをめんどくさいとも思うし、いざ上に立つと考えがまとまらなくなるという。
そういえば。
「家族って今いらっしゃるんですか?」
「再婚して旦那がいます。」
「ちなみにお子さんは……?」
「いないです」
「できなかった」というニュアンスは含まれていないように聞こえた。自ら子供を作らないという選択をしているように聞こえた。
何かを断つのだ、終わらせるのだ、という風な意思を目から感じたのを覚えている。
そこから出てきた話は、壮絶なものだった。
家業が立ち行かなくなった。
子供のころに家族が自殺した。
大人になってから家族が行き倒れになった。
我が家は、ことごとくうまくいかなかった。
親はその上の世代よりうまくいかなかった。自分も親よりうまくいく気がしない。それでも生きていくしかない。
でも、仮に子供を腹を痛めて産んだのであれば、そんな思いをさせたくない。
だから、継がせるわけにはいかない。閉じていくしかない。
確かにお子さんはいらっしゃらないかもしれない。けれどその目は確かに母の目だった。
産まない事を選択した、自分の血筋を、これ以上苦しめたくはないと物語っていた。
「神棚を捨てました。」
「うん」
「いずれ家を畳むのだから、終の棲家には持っていけないから。」
「そうですね」
「そう思ったら、ただの粗大ごみに見えてきて。だから本当は神主さん呼んだほうがよかったのだろうけど、私たちで柏手一つ打ってから、ごみ収集所に持って行って処分してもらいました。」
彼女は前を向いていた。
その瞳は不安や躊躇いで揺れてはいなかった。
「期待」を捨て、「世界」を広げる
お茶菓子に紛れ込んだ塩レモンせんべいを一欠食べながら、彼女はこう言った。
「5割でいいの。でもせっかくなら色々知りたいの。なんでスミーさんはこれたくさん食べてるのか?って。でも別に味が分かったら満足。」
彼女が塩レモンせんべいに手を伸ばしたのはその一回きりだった。
「そしたら本屋とかお好きなんじゃないですか?」
「最近結構潰れちゃったけどね、若いころはダイアモンド地下街の有隣堂によく通ってたわ」
「あそこ便利で広いですもんね。本選ぶときってどう選んでます?」
「……?特にこだわりないかも」
「ぱーっと見て回って、なんとなく目についた本を買う感じですか?」
「うーん……『選んだ棚の何列目、左から何番目の本を買う』とだけ決めてから、棚を選ぶ感じ?」
「ランダムだ!」
「なんでもよかったのよね、目新しければ」
ああ、ここでも「期待」がない。選書に自信があるわけなければ、求めているものもない。たたただ出会いに開かれているだけだ。<<運命思考>>的だ。
<<運命思考>>か。なるほど一本筋が通る。
彼女の運命は、「一家が繰り広げた物語のエピローグをやりきる」所にある、と捉えて、受け入れている。
だから、エピローグに繋がる所はやりきるし、うっかり繋がらなくならないように堅実に生きる。
そして運命が乱れない程度に遊ぶ。
たとえそれが壮絶なものだったとしても、運命を味方につけて、敵に回さないように慎重に進めている限り、安心して前を向ける。
「私、縁側で猫撫でながら過ごすおばあちゃんになりたくて。」
「いいですね、のどかで」
「今の家に縁側はないし、猫もいないけど、なんだかそういうおばあちゃんになれてきている気がするの。」
諦めたことの方が多い人生だったかもしれない。名もない人生だったかもしれない。
荷物はどれも僕にとっては不思議な形をしていた。
そしてどれもが彼女の宝物となっていた。
2時間かけて、僕は宝物のほこりをちょっと払い、そのまま戻すだけだった。
大丈夫。彼女は自分のバックパックの容量をわかっている人だ。この人ならきっと最後まで。