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結婚をして、責任を抱えたくはなかった。

「結婚をして、子供を産んで、あたたかな生活を送ってみたい。」当たり前。当たり前みたいな価値観を、当たり前のように目の前の女性がそうした呟きを溢してた。それに、同意でも得ようとしているかのようだった。

店内の天井からは薄暗い照明が差して、目の前の人物の表情を分からせるぐらいには照らしていたはずだけど。僕はその表情をあえて見ないようにしていた。今は定められてもない未来を、お互い同じ境地へ導こうとして、もがいていたようだ。誰が聞いても彼女のそこまで高くない理想に否定なんてしないだろう。否定されるべきなのは、僕の方なのだろうかと考えさせられていた。

付き合ってからまもなく3年は経つだろうけど、時間だけが過ぎていたよう。どこか結婚なんてタイミングが今ではないと、感じ続けてたままの僕と。じきに熱も冷めてきて、マンネリ化なんてとうにしていそうだった関係に、終止符でも打ってしまいたそうな彼女の意思を汲み取りながらも。僕は、結婚へとは勢いまかせに踏み込むことができずにいた。

現状維持。そうしている方が、よっぽど今の僕にとって一番居心地のいい環境のような気がしてやまないまま。そうこうしている間柄に、何一つの責任をも感じなかったくらい。僕の落ち着きどころが、とても今、この場所のような安心感があって。本心としては孤独が苦手でも、責任は背負ってしまえるほど強くもなく、誰かと一緒には生活したいとも思えないでいて。

"自分は愛されてる"って、手に取るように分かっていたからか、余裕みたいなものが図太くあったのかもしれない。たとえ、そんな余裕なんかあったとしても、刻一刻と少しずつ失われていっていた気はしていたが。でも迫られるような意思表示を向けられてから、無意識に視界の端の方で置き去りにしていたスマホの方に手を伸ばすように、こんな瞬間を、その場しのぎでやり過ごせないか探してた。

"何も、今じゃなくたっていいだろう"そう思いながら、彼女の表情が少しでも変わってしまうことに過敏に恐れてた僕は、表情を見ないようにしていた。そうしながら僕は、まだ、その当たり前から逃げ続けていたかった。

暑苦しい時期に、手に取ったスマホが少し手汗で汗ばんでいたのをやけに覚えてる。スクリーンに続々と表示されてく興味のない情報の網羅をスクロールしていきながら。このゆっくりと流れていくように感じる空気感さえ、同じようにスクロールして、自分が見ていたい表情だけを見続けてたいと思ってた。

***

ようやく用事が済んでから、家にへと帰宅していた途中。最近は夜になったら、めっきり外も寒いくらいになってきたと思う。帰路の途中に、遠くの方から見えてくる自分の住処が、少しずつ肥大化するにつれて、自分の中にある安心感も大きくなってくる。

家に着いたら、右手にあったはずのスイッチを探す作業。手探りに壁を伝って、ようやくつけた部屋の明かりは、部屋の中央に配置したソファを確認させてくれた。それから向かいに置いてあったテレビを、大して見ないのにいつもBGMのように流して。そうすることによって、この部屋の静音が醸し出してる虚無感を、掻き消してくれる気がするから。僕は、そのような準備を整え終えて、ソファへとようやく体重を預けられ脱力するようにしていた。

それからは何も考えないようにしていたくなる。何も考えない時間を、1日の断片のどこかに求めていたくなる。だけど考えないようにしていても、モヤモヤと無駄なことを考えてたりして。そうやって、ふと昔に居たあの薄暗い店内で味わった空気を、妙に思い出してしまっていたくらい。あの時の会話を、安直な気持ちから蘇らせていて。解消することのない過去の記憶を掘り返しては、不思議と、自分は自分で蔑む方向にへと考えさせてたりする。

あの後にしても、僕は結論がなにも出せずにいた。それは今になったからも同じようなもので、結局お互いが腑に落ちるだろう返答は出せないと思ってる。未だ、空白のような孤独は苦手なままでありながら、どこか対人と過ごす、そのような責任を背負える強さなんかもやっぱり持ち合わせておらず。一つ言えそうだったのは、当たり前のような生活なんかを、未だ僕は求められていなさそうなんだろう。

こうして何もせずにただ考えるだけ考えていて、横たわっているだけなのだから眠くもなってくる。こうやって、もう眠りにつこうとする瞼が、納得はしてない私生活からも目を背けようとしているみたいにしてきて。無駄に体に染み込んでた余韻が、無駄なはずの記憶を思い出させるだけ思い出させて浸らせようとしてたから。そんな余韻も取り除きたいために、体を起こすようにして。起こした体を使いキッチンに向かわせた。

キッチンに備え付けた冷蔵庫からは何か取り出そうとしたけど、あいにく開けられた冷蔵庫の中身は空っぽであって。帰りに何か適当なものを買って帰れば良かったと多少の後悔してから。ここから近くのコンビニまでの、5分くらいの距離を想像しめんどくささを掻き立たせてた。

でも、そのような面倒くさい気持ちがあっても、本当に生活に必要なことであれば、そのためには嫌でも動いてはしまえる。玄関へと向かって、適当な靴を履いて、足を運ばすように。最近はこんな短い距離を歩く為だけには、家の鍵を閉める動作さえ怠りたくなっていた。

捕られて困るものがある訳でもない空っぽな家だという認識から、無防備なままにさらして、一人で外出した。

この5分程度の距離を、やけに長く感じられている中。なんだかそれだけで人生を長く味わえていた気にもなろうとしていた自分。じわじわと近づいてくる、遠近法を感じたコンビニの看板までの距離との取り合いをじっくり味わって。それからほどなく長くもない5分なんか十分に体感し。

透き通ったガラスの向こう側から差し込んだ光を、害虫のように、無情に追いかける様子。今日も空いてしまう胃袋は満たすためだけの食料と、晩酌のためのビールで詰められるだろう。

そうした時間、そんな瞬間が特に、なぜか無性の孤独に包まれていたような気がしていた。何一つ不自由がないはずの生活は、生きる必要性ついて考えさせるのだろうか。

でも、それにも勝っていたくらい。当たり前の家庭なんていう、満たされ過ぎるからこそ味わうだろう、責任感みたいな重圧に比べれば。耐えられる気がしていた。

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