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気分の沈む日が無くなる、何をした訳でも無く。
最近気分が沈む日が無くなってきた。
気がついたら、以前ほどには『つまらない』や『めんどくさい』なんて気持ちは、薄れてきた気がする。
それは僕の現状が、ずっと楽しい日常を送れている。浮いた日々を送る裕福な人だからではない。
きっと、簡単に言えば同じ日常を送っているから。ずっと続く、同じ日常に慣れて来たからなんだと思う。子供と、大人と、生きてく上での日常の中の一部はそんなに変わる事が無い。
僕は以前なら、雨の降る日が憂鬱だった。髪がクセっ毛だから、濡れないようにして外を歩いていた。湿度が高いとクルクルになるから、そんな一日は憂鬱だった。
最近、外で雨の音が聞こえても。なにも思わないし感じなくなった。「今日は雨なんだ」と一言添えて、傘を手に持ち、外に出歩くだけで。傘を持つこと以外、晴れた日と何も変わりはしない。
雨で気分が左右される事も無くなった。それは、とてもいい事だったと思う。
ただ、楽しい事にすらも鈍感になった。
娯楽を素直に楽しめなくなった。ほんのりと楽しみは感じられたとしても、以前に比べれば。何をしても、ただの作業のように感じる。
積み木を積み上げる、そんな同じ作業では楽しめなくなってしまった。新しい、楽しさを何処か探す。
娯楽を楽しむ。それよりも、自身の人生の質を見つめるようになった。楽しい事を追求するより、もっと自身の人生が良くなるように、自分の得する方に足を運ぶようになった。
憂鬱にもならなければ、退屈とも思わない。ずっと気持ちは『無』の中に閉じ込められて、安定したまま。あらがう気持ちすら、以前のように芽生えなくなり、静かな日常を過ごしていると感じる。
大人になれたんだと思う。子供の頃に受けた、外部からの純粋無垢で新鮮な刺激には、もう心に刺さらない。さまざまな刺激をたくさん受ける体から、ある程度の刺激には慣れてしまった体に成長した。
必要の無い刺激には目もくれず。冷静に生きてく上で、大切な事や正しい行いを判断・対処することが出来るようになれた筈で。
その方が人生は良くなるのだとは思うし。子供の時に楽しく感じた、人生にとって無駄な事。ゲームや遊びなどに興味が向かず、無駄な時間を過ごす事もなくなった。
ゲームを楽しんだ所で、人生は好転しない。居酒屋で友人とを愚痴や談笑で、明日から快適な生活が送れるわけでも無い。時折、息抜きする程度で十分。
娯楽とは無駄な事であって、自分の沈んだ気持ちに、ピッタリとハマる無駄の形を探す事と同じだと思う。
そもそも気持ちが安定していたなら。気分が沈む事もなければ、娯楽なんて物も必要ないのかも知れない。
ただ、何のために生きているのか。
時折、疑問に思う。
何も感じない、心が動かないとは、つまり正確には、ただ正しい事を行うロボットと何も変わらないのだと思う。
魂の無い、ただ損得だけで判断する肉の塊。
感情が薄れた事に『つまらない』とは思わない。多分それは『つまらない』と感じる感情にも慣れて来たから。
一言で言えば『楽』に近づいたんだ。