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1999年 中日ドラゴンズ(優勝)

日本で3番目に長い歴史を持つ中日ドラゴンズ。中日というと今は長く低迷していますが、90年代以降は強豪球団として知られており特に2000年代の落合政権はその隆盛期でしょう。
ただ今回の記事ではそれより前の星野仙一監督期の中日について取り上げます。
2期目の星野中日が初優勝した1999年の話です。


90年代後半の中日

94年に10.8決戦に敗れ優勝を逃してしまった中日。その翌年は5位に沈んだことで高木守道監督が退任。その次に監督になったのは星野仙一でした。
もともと87年から91年まで監督をしていた星野の2期目は超強力打線といわれる「強竜打線」で2位になります。
しかしこのタイミングで狭いナゴヤ球場から広いナゴヤドームに移転。
この結果移転初年度の中日はホームランバッターが軒並み前年より成績を落とし最下位に転落してしまいました。
しかし星野監督という人は1期目でもそうだったのですが弱いチームを勝たせるというところに長けていました。ここでいろいろ手を打ちます。
まずはチームの主砲・大豊泰昭と強打の捕手・矢野輝弘を阪神に放出して久慈照嘉・関川浩一を獲得する大型トレードを敢行。
また97年ドラ1の川上憲伸が1年目から新人王を獲得する活躍を見せ、宣銅烈の成功にあやかって韓国球界から李鐘範とサムソン・リーを獲得。両者ともに活躍しマシンガン打線の横浜には及ばなかったものの2位で98年シーズンを終えました。

世紀の神ドラフト・福留,岩瀬両取り

星野監督を囲むようにいるのが岩瀬(左)と福留(右)
小笠原孝や蔵本英智といった後の黄金期を築く渋い選手を獲得できたのも大きい。

98年の中日はドラフトで逆指名枠を2枚使って福留孝介・岩瀬仁紀を獲得しました。福留といえば1995年度のドラフトで高校生ながら7球団の競合で近鉄が指名権獲得をするも「中日・巨人以外の指名された場合は日本生命に進む」と入団拒否。日本生命に進んでから3年中日入りを熱望していた福留は晴れて中日入りを果たしたのでした。
岩瀬は地元のNTT東海から逆指名2位で中日入団。星野監督の「地元の逸材を見逃したら許さない」というスカウト方針や岩瀬自身中日入りを熱望していたこともあってか中日とは相思相愛の形で入団しました。

またFA補強ではダイエーをFA宣言していた武田一浩を獲得。中日先発陣に厚みを持たせました。

野手陣

リーグ内で見るとだいだい中位くらいの打線でした。
1人1人見ていくと逆指名1位の福留はショートとして規定到達。打撃成績もよく、打力不足に悩んでいたショートの穴を見事に埋める活躍を見せています。
また主砲のレオ・ゴメス、山﨑武司も大活躍。
ナゴヤドーム初年度でも30HRを放ったゴメスは36HR、109打点と依然活躍しており、打率も3割近く選球眼も良く出塁率が高い良助っ人でした。
山﨑は打率は低いながらも28HRを放ちました。1-9で唯一規定打席到達していないのはシーズン終盤に怪我離脱したこともありましたが、優勝を大きく手繰り寄せるサヨナラ3ランを放ったりと印象的な活躍を見せました。

また前年トレード移籍で中日2年目の関川は打率.330、チーム内最多安打となる172安打と巧打者ぶりを見せるとベストナインを獲得しています。

投手陣

この年はなんといっても野口茂樹でしょう。
203.2投球回はリーグトップ。最多勝には1勝及ばなかったものの19勝を挙げる活躍を見せこの年のMVPに選ばれました。
34歳の山本昌はイニングこそ野口と比べ少ないとはいえ質的貢献は高かったです。
その一方で川上が前年から調子を落としてしまいます。FA移籍の武田は9勝10敗 防御率3.50と若干の負け越し。
とはいえ先発陣はリーグトップでした。
ちなみにこの年の中日、野口の他にもう1人二桁勝利を挙げた選手がいます。逆指名2位で入団した岩瀬です。
岩瀬は救援でいきなり65登板と大車輪の活躍を見せたうえ、防御率も1点台。最優秀防御率をいきなり獲得する働きを見せました。
また抑えの宣銅烈は28Sを挙げていますがなんとこの年限りで引退することになります。

ここから少し余談です。福留もそうなのですが98年ドラフトというのはNPB史においても大当たりとして知られていまして、当時の甲子園のスターだった松坂大輔(西武ドラ1)の名前から「松坂世代ドラフト」と呼ばれています。
そのため新人王争いも激しく福留も岩瀬も良い活躍をしたのに新人王を獲得できなかったんですよね。ちなみに新人王は20勝を挙げた上原浩治(巨人)でした。

これでもほんの一部分。
実際この上記の選手以外にも名選手の入団があったのがこの年だった。

星野中日復権Vへ!

そんな1999年の中日はいきなり最高の形で開幕することになります。
4月2日の広島3連戦から横浜3連戦、対阪神1試合からのヤクルト3連戦と巨人戦1試合の11試合で全て勝利し開幕11連勝を記録しました。
11連勝目となる16日の巨人戦では福留がプロ初HRを放ちました。

いきなり他球団を突き放した中日ですがその後は落ち着いてしまい、5月は月間負け越し。8日の広島戦では佐々岡真司にノーノーを食らいます。
勢いを落とした中日は6月に入ると阪神・広島と優勝争いをすることになります。

しかし7月に入ると調子を取り戻し始めます。2日のヤクルト戦の勝利を皮切りに8連勝を記録。8連勝目の13日の広島戦では立浪のサヨナラ打で決したのですが、これにより広島は13連敗。これにより広島は完全に優勝戦線から脱落しました。
8月は13勝10敗、この頃には中日の貯金は20を超え、2位巨人には大差をつけて首位を独走しており、25日には優勝マジックが点灯。しかし9月に入るとだんだんと巨人に差を詰められ始めます。巨人といえば5年前には10.8で、2年前には中日ではありませんが、10ゲーム以上をまくって優勝した「メークドラマ」をしている球団です。少しはその経験がよぎりますが21日の広島戦からまた連勝が始まります。

山﨑武司、Xホームラン

9月26日、ナゴヤドームでの阪神戦では初回に中日が先制するも追いつかれ、再び中日が均衡を破るも9回に新庄・大豊と連打を浴び抑えの宣銅烈を投入するもM.ジョンソンに3ランを打たれ2-4と逆転されました。

2点ビハインドの9回裏、阪神は福原忍が登板。しかしドラマはここから始まりました。1アウトからゴメス・立浪の連打でランナーを塁上に2人置き、HRが出れば大逆転サヨナラの場面でバッターは山﨑武司。
1ボールとなった2球目を振り抜いた山﨑の打球はレフトスタンドへ着弾。サヨナラHRを放った山﨑は喜びのあまりXの字のように体を大きく伸ばして仁王立ち、腕を振り回しながらベンチの星野監督に向かって「おっさんボケ~!俺を出しとけば、ちゃんと打つんじゃ!」と叫びました。
これによってM5が点灯した中日、一方で阪神は11連敗。一時は中日についていた広島・阪神はどちらも大型連敗をして散っていきました。

山﨑武司がサヨナラ3ランを放つ
これほどまでの確信弾、ない気がする

9月30日の神宮でのヤクルト戦、3回に山本が古田敦也に3ランを打たれるなど4失点するも、4回に久慈・井上のタイムリー二塁打で2点を返し、6回にも久慈のタイムリー、7回に暴投で同点とすると、8回にまたもや井上のタイムリーで5-4とついに逆転。その後は危なげない継投で勝利を挙げ、中日の優勝も決まりました。最後は8連勝で一気に優勝を掴みました。

その後は日本シリーズでパ・リーグ優勝のダイエーとのカードになったわけですが、山﨑の怪我や関川・井上の打撃不振、福留の守乱、MVP投手の野口の不調でペースをダイエーに握られ1勝4敗で敗退することになりました。

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