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1994年 読売ジャイアンツ(優勝・日本一)
2010年にNPBはプロ野球の歴史を彩った名勝負を監督やコーチ、選手にアンケート調査をしました。そのアンケートの結果、1位に選ばれたのは
「10.8決戦」でした。
今年であの試合から30周年となります。そんな記念すべき試合ですが、今の若いファンからしたら「知らない」っていう人も多いのではないでしょうか。今回の記事ではその10.8決戦を制した1994年の巨人を取り上げたいと思います。
球団創立60周年
1934年に創立された日本で1番歴史のある球団、読売ジャイアンツは1994年で創立60周年と節目の年でした。正力亨オーナーから「記念の年は何が何でも優勝せよ」と長嶋茂雄率いる巨人に命令は下されました。
そうなると93オフ、巨人はいろいろ動きます。
この年のオフから開始したFA制度を利用して中日の主力打者かつ三冠王経験者の落合博満を獲得。また巨人の駒田徳広のFA獲得資金捻出のために横浜を戦力外となったかつてのスーパーカートリオの一角、屋舗要を獲得。
新外国人にはダン・グラッデンとヘクター・コトーを獲得。
大型補強で球団60周年を優勝・日本一で飾ろうとしたのでした。
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とはいえこの時40歳で94年シーズンには41歳とかなりの高齢。
普通に考えたら成績を落とす可能性が高いと思われたが…
野手陣
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野手陣を見ると意外とめちゃくちゃ強い打線ではないように見えます。
実際得点数は516とリーグ4位、HR数の122とリーグ3位とチームとしては平均的な攻撃力だったことが分かります。
チーム内HR王は高卒2年目の松井秀喜。前年57試合で11HRを打った松井ですがこの年は全試合出場を果たし、20HRを放ちました。
FA入団の落合は成績で見ると移籍前年の93年とほぼ同じ成績でめちゃくちゃ突出しているわけではないのですが、チーム内で規定到達でOPS.800台に乗ってる選手が前述の松井とこの落合の2人と考えたら十分補強した意味はあったと思います。
新外国人のグラッデンは主に1番打者起用でOPSチーム内3位の.758で、wRC+はギリ平均以上、もう1人のコトーはチーム2番目の18HRを放ったもののwRC+は90と平均以下。言うほど外国人で大きなアドを取れたというわけでもないんですよね。
投手陣
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平均くらいの打線でしたが、投手陣はかなり強力だったため優勝できたという部分はあると思います。特にこの年は先発3本柱がとにかく強力でした。
桑田真澄は14勝を挙げかつ185奪三振、さらに207.1イニングを投げフル回転。この年のMVPを後に受賞します。
2人目の斎藤雅樹もまた200イニング以上を投げるフル回転ぶりを見せました。特筆すべきはBB%の少なさ。BB%は3.9%、1イニング当たりに出したランナーの数を示すWHIPは1.04とリーグ最高でした。
3人目は槙原寛己。5月には完全試合を達成した(詳細は後述)槙原は185イニング投げ、K%20%超えを果たしています。
選手がチームの勝ちどれほど増やしたかを示す指標WARでこの3人を見てみると、桑田が5.8、斎藤が5.0、槙原が4.9ととても高い値を記録。3人で計15.7と抜けています。先発防御率は3.00とリーグ1位、一方救援防御率が4.38とリーグ最下位なのですが、それをもカバーする投手陣のおかげでチーム防御率は3.40でリーグ1位となっています。
10.8決戦に至るまで
巨人は前半戦は好調でした。開幕ダッシュをしっかり決め首位に立つと4月末から5連勝を記録。そんな好調な巨人ですがそれに拍車をかけるような試合が5月18日にありました。
槙原寛己 完全試合
5月18日の福岡ドームで行われた広島戦、巨人打線は広島先発の川口和久を早い回から捉え2回にして5点をリードすると(2回には槙原自身がタイムリーを打っている)、槙原は好投を続けなんと9回を102球無安打無四球で投げ切り、エラーもなかったためNPBでは16年ぶり15人目となる完全試合を達成。2022年に佐々木朗希(ロッテ)が達成するまで達成者がいなかったため、槙原のこの完全試合は平成唯一のものとなりました。
その後5月下旬からは8連勝、6月は16勝6敗と大きく勝ち越しして夏のシーズンに向かいます。
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失速、そして追い上げる中日
しかし7月は9勝12敗と初めて月間負け越しをすると、8月は11勝15敗、9月は4勝10敗、そして8月下旬から8連敗を喫するなど低調なシーズンを送るようになっていました。
そんな巨人を追い上げていたのが中日でした。中日も8月は巨人同様負け越していましたが、9月18日から怒涛の9連勝を記録。試合数の関係もありますが、同じ時期の巨人が3勝4敗と苦しんでいたのもあり一気に巨人の背中に肉薄するレベルで追い上げます。
9月29日にはついに貯金7で追いつくと10月4日までその状態が続きます。
4日以降の2試合は巨人中日両方1勝1敗で終えました。
両軍残すは1試合しかもそのカードはナゴヤ球場での巨人ー中日直接対決。
この段階において巨人・中日はどちらも69勝60敗。
つまりこの試合に勝ったほうがセ・リーグのは覇者となるという優勝決定戦になったわけです。
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「国民的行事」10.8決戦
長嶋茂雄監督が「国民的行事」と呼んだ試合の盛り上がりは凄まじいものでした。長嶋は巨人ベンチで「俺たちは勝つ!」と連呼。中日先発と予想された今中慎二を攻略したときの映像を何度も選手が繰り返し見せ、イメージを植え付けていました。というのも今中はナゴヤ球場の巨人戦では11連勝中という巨人キラーで優勝するには必ず倒さなければいけない存在でした。
ナゴヤ球場に詰めかけた観客は35000人。
報道陣も総出で取材し、球場はいつもよりも多くの警備員でいっぱいでした。異様とも思える雰囲気の中試合は始まりました。
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初回中日は清水の2塁打で出塁するも村田の捕手牽制でアウト
ただ1死1・2塁のチャンスを作るものの大豊が併殺打でチェンジ。
実はこの場面セカンドの元木が二塁ベース寄りに守っていたのが功を奏しており、当時の実況、吉村功は後に「中日の1回裏の攻撃がすべてのような気がする」著書に書いています。
試合が動いたのは2回。巨人が落合のソロHRと槙原の内野ゴロ間の得点で2点を先制。しかしその裏槙原は4打席連続でヒットを打たれ、グラッデンの失策もあり追いつかれてしまいます。
長嶋監督はここで槙原から斎藤にスイッチ。その後のピンチを抑え斎藤は6回まで投げて5回1失点に抑えます。
3回には松井のプロ初送りバントから落合のタイムリーで1点勝ち越し。
しかしその裏に落合が負傷退場。原辰徳が一塁に入り、岡崎郁が三塁に入りました。4回には村田、コトーにそれぞれソロHRが飛び出し2点を追加。今中を4回でマウンドから降ろしました。
5回には松井のHRでもう1点を追加。中日は6回に彦野のタイムリーで1点を返し3点差で終盤に入ります。
7回裏からは桑田が登板。走者が2人いる状態でHRが出れば同点の場面を抑え3点差を守り切りました。
そして9回。中日小森を空振り三振に抑えゲームセット。6-3というスコアで巨人の優勝が決定しました。マウンドでは胴上げされる長嶋監督の姿がありました。
この非常に重すぎる試合を制した巨人はその後日本シリーズでパ・リーグ5連覇中の西武と対決。4勝2敗で日本シリーズを制し、日本一の称号を手にしたのでした。
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