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2004年 オリックス・ブルーウェーブ(6位)

2004年といえばプロ野球にとっては大きな転換点でした。
近鉄の身売り問題を発端となりオリックスが近鉄を吸収合併。
そのうえ経営陣の1リーグ10球団構想に反対した選手会が行ったNPB初のストライキ決行など明確にこの年以前・以後ではプロ野球の形態が大幅に変わったと言えるでしょう。

以前2004年の近鉄の記事について書きましたが、今回スポットライトを当てるのはその近鉄を吸収合併したオリックス・ブルーウェーブについて。
当時のオリックスは2年連続最下位。あまり語られませんが青波末期は暗黒オリックス最初にして最大の暗黒時代
オリックス・ブルーウェーブとしての最終年を振り返っていきましょう。


超泥沼のオリックス

96年に2連覇・日本一を果たしたオリックスは99年までAクラスをでした。
しかし00年に88年以来12年ぶりにBクラスに転落すると、そのオフに球界一の選手・イチローがMLB挑戦。
01年は4位と2年連続Bクラスになるともう1人の中心選手、田口壮もMLB挑戦。さらには貴重な長打力を供給したJ.アリアス、ビティエロが退団。
仰木彬監督も退任します。
02年からは石毛宏典が監督就任するも、極度の貧打で最下位転落。
最優秀防御率を獲得した金田政彦が4勝しかできないほどでした。
03年は以前記事を出したのでそちらで見ていただきたいのですが、4月下旬に石毛監督が解任。後任のレオン・リー監督代行は攻撃力全振りでチームを作りますがその弊害で132失策(平成以降では最悪)を記録し、投手陣も927失点(歴代ワースト)の大投手崩壊を起こしました。

伊原オリックス始動

レオン監督退任後に監督を務めたのは前年まで2年間西武を率いていた伊原春樹でした。伊原は就任1年目の02年西武を優勝に導いており、その功績を評価してのものだと思います。
伊原体制のコーチ陣は投手コーチに西武時代の同僚・八木沢壮六が、打撃コーチには球団OBかつ大学同期の河村健一郎、外野守備走塁コーチには西武時代に関わりがある佐々木誠、内野守備走塁コーチでも西武の同僚・鈴木康友とゴリゴリに周りを伊原に関係ある人物で構成。
伊原を支えるべくフロントも動きます。
03年オフのオリックスの最大の動きはダイエー村松有人の獲得でしょう。
史上最強打線ともいわれるダイハード打線の核弾頭を務めた村松は天然芝のホーム球場を望み当時天然芝だったYahoo!BBスタジアムが本拠地のオリックスに移籍しました。(当然他にも理由はあると思うが)

村松有人
優勝チームから最下位チームへのFAというと22年の伏見寅威みたいですね。

他では阪神との間で斉藤秀光+谷中真二⇔葛城育郎+牧野塁のトレードが成立。同じく阪神を自由契約となったT.ムーアも獲得しました。
ドラフトでは自由獲得枠を使い、ヤマハの歌藤達夫を指名。
全体的に見ると即戦力投手を多く指名した印象です。

野手陣

ぱっと見ると良い打線なんですが、実はリーグ得点数は最下位。
HR数も前年174から112と62HRダウン。
前年は20HR以上打った選手が、J.オーティズ(33HR)、R.ブラウン(28HR)、山﨑武司(24HR)、谷佳知(21HR)の4人でしたが、04年はオーティズ(24HR)のみ。山﨑に至ってはわずか4HRと寂しい成績に。

FA移籍した村松はOPSや盗塁は下げましたが未だ健在。チーム内最多安打でもあり、高い出塁率でチームに貢献。3月28日には古巣ダイエーから満塁HRを放つなどHR数ではこの年がキャリアハイでした。
守備絡みの話で言うとエラーは前年から40個減りました。
依然オーティズの内野守備は18失策と厳しかったもののチーム全体としては減らせたので良いでしょう。去年が異常すぎただけです。

平野恵一
前年に出場機会を掴むとセカンドのレギュラーに定着。
堅実な守備とバッティングで初の規定打席に到達
08年に阪神へトレードも13年に帰ってきた。

投手陣

投手陣はそんなに去年と変わりませんでした。
防御率5.65(前年5.95)、807失点(100点以上減ってる!)はリーグ最下位。
一応前年はいなかった規定投球回到達者がいて(川越英隆,本柳和也)奮闘はしましたがそれぞれ7勝,6勝と大きく勝ち星を伸ばせず。
阪神から移籍したムーアは防御率6.24、6勝止まり(後半戦に怪我もした)。谷中もK-BBでマイナスを出すなど大きな戦力になったとは言い難いです。
また左先発三本柱として期待された具臺晟は首脳陣と対立したり、金田は怪我がちと年間通して戦える選手がいなかったのも痛いでしょう。

救援陣は前年多く投げた新人の加藤大輔が肘の故障でシーズンのほとんどをリハビリに費やし(もともと去年後半から打たれ始めていた。)、勝ちパだった大久保勝信も去年引き続きリハビリで1年投げられないことになっていました。
自由獲得枠で加入した歌藤は57登板とフル回転ですが、防御率5点台、FIPも100以上でWAR-0.3と期待された成績とは程遠い結果に。
そんな中守護神として輝いたのが山口和男でした。
怪我の影響で速球派から変化球のキレで勝負し始めた山口はこの年17Sを挙げ復活を果たしました。
とはいえ先発陣同様救援陣の成績も悪く、去年もそうですが加藤や大久保といったクラスのリリーフがいれば少し変わったのかなと翌年のKKOを見て思います。

歌藤達夫
07年に日本ハムへトレード。

ブルーウェーブ・ラストイヤー

ダイエーとの開幕戦は落とすも、あとの2連戦は打線が11得点づつ取り2連勝。カード勝ち越しします。
オリックスは去年同様二桁得点されるが二桁得点するというビッグベースボールスタイルで(なお犠打が1番多い)、4月だけで4度の2桁得点での勝利も、5度の2桁失点での敗戦という感じでした。

山﨑武司、伊原監督と対立

4月27日の西武戦、この試合からはナゴヤドームでの戦いになります。
当時は交流戦もなかったので普段とは違うリーグの本拠地球場で戦うことはかなり珍しかったのですが、ここで事件が起きます。山﨑武司と伊原監督の対立です。
初戦は4番指名打者として3打数2安打と活躍した山﨑。監督も山﨑が地元出身選手であることは知っていたので先発出場を約束。02年オフに中日をトレード放出されて以来のナゴヤドームなので特段気合が入っていました。
しかし翌日の試合で指名打者として先発出場したのは前日の試合中に怪我をしたはずの谷佳知。山﨑は関係者を招待してのこの仕打ちにショックを受け、試合開始前に帰宅するという造反行為でしかない行動を取ります。
さらにオリックス中村勝広GMに伊原の解任要求をしたりバットを監督室に投げつけたりやりたい放題の山﨑。結局職場放棄として翌日登録抹消されると、その後は1軍2軍を行き来する生活に。9月はチームを離れ実家に戻り、そのままシーズンを終えました。

伊原監督(左)と山﨑武司(右)
ちなみに今は和解していてお話とかもしているそう。
「山﨑といえば」で最初にオリックスって言う奴0人説()

5月以降も負け越しが続きます。6月16日には西武に20-8と大勝するも9日から13日のロッテ・ダイエー3連戦では4試合で51失点と完全投壊。
20日にはロッテを抜きついに最下位転落。
オールスターでは村松・谷が選出されました。

オールスター明け18日からは2度の5連敗。
そもそもこの年のオリックスは4連勝が最長で3連勝すら1回というとんでもない状態でした。
8月にはアテネ五輪が開催。オリックスからは村松と谷が選出(定期)
村松と谷がいない期間、3日から今季最長の7連敗を記録。
さらにその村松と谷がどっちも怪我して帰ってきたことにより、チームは勝てずに結局3年連続最下位で青波最終年が終わることになります。
前年同様ダイエーに対し4勝23敗と完全にカモられ、勝ち越せたのはロッテだけでした。

暗黒青波唯一の希望こと谷佳知。
存在的には最近の暗黒オリックスの吉田正尚みたいなものだと思う。

近鉄と吸収合併 青波ラストゲーム

6月12日、新聞で衝撃のスクープが報道されます。
大阪近鉄バファローズがオリックス・ブルーウェーブに吸収合併され、来季以降はオリックス・バファローズとして活動するということでした。
詳しいことは2004近鉄の記事に書いてあるのですが、この頃の近鉄は赤字続き、ネーミングライツの売却で球団維持を画策するも叶わず、そこで同じ関西球団のオリックスとの合併に踏み切ったのでした。
とはいえチームカラーも真逆なこの2球団の合併はショッキングな出来事で吸収合併する側とはいえオリックスも91年から続いていたブルーウェーブの歴史がこの年限りで終わるというどちらのファンにとっても悲しい出来事ではあることは変わりません。

ブルーウェーブ最後の試合は本拠地Yahoo!BBスタジアムでの近鉄戦。
1点を先制された場面で相川良太が2ランを放ち、(岩隈の投手3冠の夢を打ち砕くと)4回には同点から竜太郎の3ラン、相川2発目のソロで主導権を握るとそのまま後続の投手が抑え、最後は山口が3者凡退でゲームセット。
試合後ブルーウェーブからも吉井や大島といった近鉄ゆかりの選手が近鉄・梨田監督の胴上げに参加したことも名シーンとして知られています。

オリックス・バファローズへ

こうしてオリックスと近鉄が合併して新球団オリックス・バファローズができる運びになりました。

選手の移籍は分配ドラフトによって決められました。
分配ドラフトの詳しい手法は近日アップされる2005楽天の記事を見てほしいのですが、簡単に言うとオリックス+近鉄の選手たちをオリックスと新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが取り合いするようなものです。
結果から言うとオリックスに有利なものでした。
これに関してはオリックスのほうが「吸収」合併してるのでそうなるのも仕方なかったのかもしれませんが。
オリックスはこの分配ドラフトで坂口智隆や大西宏明といった近鉄のプロスペクト選手を獲得できています。

また新生オリックスの監督を務めるのは当時70歳の仰木彬。00年の監督退任以来5年ぶりの現場復帰となります。

こうして新たな船出を迎えたオリックス。球団消滅した近鉄と共に悲しみ乗り越え突き進む2005年を迎えることとなります。

仰木彬監督
70歳超えて監督をするのはNPB初。
現在でも仰木と野村克也しかいない。

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