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2012年 横浜DeNAベイスターズ(6位)

横浜DeNAベイスターズ、日本一おめでとうございます!
3位からの日本一は2010年の千葉ロッテ以来2回目ということでまさに「史上最大の下剋上」の再来となりましたね。
私は特段DeNAやソフトバンクのどちらかに肩入れして応援したわけではありませんが、1998年の前回横浜が日本一になってから10年以上の超暗黒時代を通り抜けて苦節26年。この歴史を知っていると三浦大輔監督の胴上げにも胸が熱くなるというものです。

さて、今回の記事で取り上げるのは横浜ベイスターズがDeNAに買収され横浜DeNAベイスターズとして新たに始動した2012年。横浜DeNAベイスターズ船出の年はどのようなものだったのでしょうか。


~振り返ろう~ 大暗黒時代

横浜暗黒時代は一般的には2002年から2015年までのことを指します。
2002年から親会社がTBSとなったのですが、そこから2015年に至るまで最下位は10回、Aクラスは2005年の1度だけという凄まじい暗黒時代でした。
また90敗を4度達成。2008年から3年連続90敗というもう救いようがない状態でした。
これにはTBSの怠慢とも言える運営、まあ単に言えばやる気がなかったわけです。例を挙げるとキリがないのですが、監督に通告なしで勝手に後任を決めたり、選手に対する非情な言動(08オフの石井琢朗の引退勧告からの広島移籍など)がありフロントへの信頼は0に等しかったでしょう。
こうした背景から流出が相次ぎ2010オフにソフトバンクへFA移籍した内川聖一は「横浜を出る喜び」と話すなどチームとして崩壊していました。
現場では選手が個人プレーに走りがちになってしまい、2010オフにトレードで楽天から加入した渡辺直人は横浜の選手が野球の練習中にサッカーをしているのを見て「周りが野球をやっている時にサッカーをやる選手がいるが、あれはおかしい。楽天だったらぶちのめされている」と発言(ごもっともである)。
とにかく雰囲気は完全に死んでおり、チームは負けまくる。
観客席は閑散。正直今の人気球団としてのDeNAからは想像もつかないくらい全然別のチームとなっていました。

ちなみにスタメン発表の段階でこれです。
巨人や阪神といった人気球団相手だとビジターのほうが客入りが良かったらしい。

DeNA買収・中畑監督誕生

とはいえこの悲惨な現状、当然買収を狙う企業はありました。
2010年には住宅メーカーのLIXILが買収を検討。しかしその買収案の条件には横浜からの本拠地移転があり本拠地移転はしたくないベイスターズ側はこれを拒否。LIXIL買収案は破談となりました。

翌年の2011年今度はIT系の企業であるDeNAが買収を検討。
この買収案はTBSが保有しているベイスターズ株の大半をDeNAに譲渡することで大筋合意されました。
12月のNPBオーナー会議にてDeNAの買収が承認。ここに「横浜DeNAベイスターズ」が誕生しました。

新しい球団旗

オーナーはDeNAの取締役会長の春田真。球団社長には35歳と若手の池田純が就任。池田は大洋時代からのファンだったそうで志願しての就任でした。
GMには巨人OBである高田繁が就任しました。
さて監督人事ですがこれが非常に難航。最終的には横浜OBでもある工藤公康が有力視されていましたがコーチ陣選定などで対立。破談になりました。
その結果白羽の矢が立ったのが高田と同じ巨人OBの中畑清。
中畑といえばアテネ五輪で長嶋茂雄に代わって指揮を執ったり、現役時代は「絶好調男」として常に明るい人でした。
ちなみに工藤が破談になったのは12月6日。中畑清監督の就任会見は9日とかなりキツキツの日程で事は進んでいました。

就任会見の様子
左から池田球団社長、中畑新監督、高田GM
DeNAの新しいユニフォーム
ホームユニには縦縞が復活しビジユニは濃紺ベースに水色のロゴ
というデザイン。

戦力の確認

2011オフには主砲村田修一が巨人にFA移籍。人的補償では藤井秀悟を獲得しましたがチームの中心選手である村田を失ったことは大きいでしょう。
また村田と共に20HRを放ったT.スレッジも日本ハムへ戻ってしまいます。
一方その巨人を自由契約となったアレックス・ラミレスを獲得。統一球後は(ラミレス比で)成績を落としていたラミレスでしたがその持ち前の明るさで暗いチームを盛り上げることも期待されていました。
また2008年途中にトレード放出した鶴岡一成や同じくトレード放出されている小池正晃がFAでそれぞれ入団。
またダブついている捕手は武山真吾を西武に放出して後藤武敏を獲得しました。
外国人では広島からジオ・アルバラードを獲得したのに加えオスカー・サラサーも獲得しました。

高卒やけくそドラフト?

しかしこの年波紋を呼んだのが高卒やけくそドラフトと言われる出来事でした。

なんと指名した選手全員が高卒(7位の松井は高卒社会人)という類を見ない尖った指名。2015年のソフトバンクも全員高卒指名をやってましたがあれは戦力がある程度あったからであってこのように戦力が乏しい横浜がやるというぶっ飛んだドラフトを敢行。
実はこのドラフト開催時はTBSが実権を握っていてTBSベイスターズからすれば最後のドラフトでした。このため「後継のDeNAに嫌がらせしたのでは?」と言われていますが、個人的にはそんなことはないと思ってます。

野手陣

一応統一球2年目なので打低なのはご了承を。
ただ長打力の供給を担うのが38歳のラミレスと39歳の中村紀洋と考えると厳しいでしょう。退団した村田、スレッジの穴は結構大きかったのです。
若い選手を見てみると21歳の筒香嘉智が初の二桁HR、2年目の荒波翔はセンターとしてゴールデングラブ賞を獲得するなど一定の活躍は見せました。
また横浜は相川以降だと捕手の打力面が良くないのもあります。
巨人からFA移籍した鶴岡も打率1割台ですし、黒羽根や髙城も同じく1割台。
この頃の横浜はベテラン捕手か経験の少ない捕手の両極端の状態にあったと思います。

投手陣

暗黒横浜といえば投手陣が壊滅的だった印象があると思います。
案の定この年は39歳となる三浦大輔と27歳でDeNAとしての開幕戦を託された高崎健太郎しか規定到達者がおらず、100イニング以上を投げた先発は上記の2人に加え国吉佑樹の3人のみと先発に大きな課題を抱えていました。
村田の人的補償で加入した藤井は7勝、広島から加入したジオはわずか1勝とDeNAの先発陣を救うまではいかず、QS率や先発防御率はリーグ最下位でした。
一方救援陣は結構頑張っていたように思えます。
日本ハムから移籍の林昌範・菊地和正は結構良い成績を残せてますし、若手の藤江均・加賀繁・山口俊といったK%20%超えの選手もいて奮闘していたようにも思えます。
しかし総じてみると防御率はリーグ最下位。投手整備にはまだまだ時間がかかりそうな状態が続きそうでした。

新生DeNA船出の年

敵地京セラドームで迎えた阪神との開幕戦、開幕投手は高崎でした。
初戦は5-5の引き分けに終わりましたがDeNAとしての初カードとなる阪神戦は1勝1敗1分の五分で終えました。
しかしチームはやっぱりそこから低迷。4月に2度の6連敗を喫してしまいました。連敗中の6日には広島・前田健太にノーノーを献上してしまうなど打撃でも投手陣でも厳しい状態となったDeNAは最終的に46勝85敗13分の借金39でシーズンを終えました。
対戦成績で見ると他セ・リーグ5球団に全てで負け越し。特に優勝した巨人には4勝17敗、2位の中日には7勝14敗と大幅負け越し。
中畑監督自身は巨人一筋だっただけに原巨人には負けないという意志で戦っていたそうですがそんなに一筋縄ではいかないものですね。

開幕投手・高崎健太郎

石井琢朗引退

10月8日、横浜スタジアムでの広島戦で石井琢朗の引退試合が行われました。石井といえばマシンガン打線の1番バッターとしての印象が強いですが、実は入団時は投手でした。そこから野手に転向してから2000本安打を打つ選手にまでなったのですから凄いことですよね。
そんな石井ですが2008年オフに引退勧告を受けると本人は現役続行を目指しこの勧告を拒否、広島に移籍しました。
広島では4年間プレーして2012年に引退を表明。
引退試合では慣れ親しんだ横浜スタジアムで広島ファンと横浜ファンが一斉に慣れ親しんだ応援歌(応援歌は広島に行っても球団の垣根を超え流用されていた)を歌いました。個人的には結構感動的なシーンだと思うので動画貼っておきます。

まとめ(ちょっとオフの話も)

こうしてDeNAとしての最初のシーズンが終わりました。
成績で見るとあんま変わってるようには見えない状態ですが、中畑監督が「俺がおはようって言ったら、おはようって返せよ!」「ベンチではしっかり試合を見ろ!」といったように暗黒期で腐りかけていた選手たちに意識改革するよう促したり、最初に出てきた池田球団社長も横浜スタジアムに足繁く来場し球場に来るファン層だったりどのようなことをしたら集客力が上がるか考えたり、かつての暗黒期横浜から脱却しようと尽力していたことが分かると思います。
またTBS時代は補強に消極的でしたが、DeNA初年度のオフに中日からトニ・ブランコ、J.ソーサ、E.ソトの3人を一気に入団するなど球団運営にも積極的になっていたことが分かると思います。
まだあと3年はBクラスになりますが、間違いなく暗黒の長い長いトンネルを抜ける日はもうまもなく来るのでした。

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