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1999年 福岡ダイエーホークス(優勝・日本一)
今でこそ常勝軍団となった福岡ソフトバンクホークスですが、その前身、福岡ダイエーホークスの初期は暗黒時代の中でした。1989年に福岡移転後も9年連続Bクラスと低迷していましたが、1998年に実に21年ぶりにAクラスになるとこの年はついに優勝さらに日本一を達成します。
するとこの年以降、ホークスは完全に暗黒期を抜け出し、99年以降24シーズンでBクラスは僅か3回という強いホークスの時代が来ます。
ホークス暗黒脱出そして常勝軍団の礎となった1999年を見ていきましょう。
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長い長い低迷を抜けて
ホークスは1995年から王貞治が監督を務めており、今年で5年目。前年は21年ぶりのAクラスとなる3位になっただけに低迷から抜けきることが求められます。
この頃になると近年のドラフトで獲得した選手が力をつけてきていました。当時のダイエーのドラフト戦略は根本陸夫球団社長のもとあの手この手を使って有望株を獲得しており、福岡移転後の89年以降では、以下の通りです。
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これは凄いですね。後のダイハード打線ですとかソフトバンク改称後もチームを支える選手が多いですね。さらに高卒大卒社会人とまんべんなく指名できていて良いですよね。橋本や下柳は選手としてのピークを迎える前にホークスから移籍していますが、それにしても上手い指名ですよね。
もちろん球団社長が根本さんなんでいろいろグレーなことをしてたりするんですがこれだけの選手を揃えることができたのは凄いの一言です。
ちなみに98年のドラフトでは1位で吉本亮(九州学院高)を指名、逆指名を1つ使って松修康(東北福祉大)を獲得しました。
野手陣
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ここまで壮大な前振りをしましたが99年ダイエーの得点数はリーグ4位、打率もリーグ4位とそこまで打ってるわけでもないのでこれは4年後のダイハード打線のプロトタイプとして見ると面白いですよ
この年は2桁HRが7選手、チーム内HR王は松中の23HR、次いで小久保の22HRです。規定到達での打率3割も城島以外いないので、イメージだと全体的に低打率ながらHRを打つみたいなバッターが多いです。実際この年
のパ・リーグ打率ランキング(規定到達者のみ)は最下位は井口(.224)、次に低いのは浜名(.225)、3番目に低いのは小久保(.234)とそこまで打が強みでもないのは分かります。
あと秋山幸二はこの年37歳になっていましたがそれでも2割台中盤、12HR打ってて比較的若いチームで活躍していますね。
投手陣
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先発投手では4選手が二桁勝利を達成。36歳の大ベテランとなった工藤公康は防御率2.38で最優秀防御率、196奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得し、MVPにも選ばれました。30歳の若田部、そしてそれぞれ2年目の永井、星野は10勝しています。今でこそホームランテラスがついてHRも出やすくなった福岡ドーム(みずほPayPayドーム)ですが2014年まではあのようなものがなく、12球団でも屈指のHRが入りにくい球場でもあり、割と投手有利な傾向にはありました。
救援陣で驚くべき記録を出したのは2年目の篠原貴行。
なんと救援として登板しながら勝利を重ね、救援なのに14連勝、そして最高勝率のタイトルまで獲得してしまうというとんでもない勝ち運投手ぶりを発揮しました。1敗はオリックス戦で今季で引退する山本和範がその引退試合で放ったHRによって被弾し、ついてしまったものなのですが、この年16勝した西武のルーキー松坂大輔と最多勝争いをした救援でした。
また新外国人のロニー・ペトラザは48登板で防御率1.98と安定した投球を見せ、27Sを記録しており、さらにチームで50イニング以上投げた投手のうち唯一の被本塁打0でした。
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藤井はこの年最多ホールド投手を獲得。
あまり鉄壁勝ちパとして語られないが、この年の4人の頼もしさはとても素晴らしいものだった。
いざゆけ無敵の若鷹軍団
4月5月はほぼ勝率5割の戦いでした。しかし4月30日、根本陸夫球団社長が心筋梗塞で72歳で死去。あまりにも急な球団社長の死がありながらチームは時が進むにつれ調子を上げていきます。
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西武・ダイエーのフロントで誰もが想像もしないような方法で次々に有力選手を獲得。
球界の寝業師の異名をとった。
6月2日から引き分けを挟み7連勝、1つ負けを挟み次の日から5連勝と月間16勝を記録。6月には河野亮を放出して中日から鳥越裕介を獲得するトレードが成立。後のダイハード打線のスタメンの1人がまた揃っていきます。7月22日のオリックス戦でサヨナラ負けを喫するものの前半戦首位ターンを決めます。8月19日のオリックス戦では柴原が3ランで今季8度目のサヨナラ勝ち。8月20日の日本ハム戦では秋山・小久保に1イニングに2本のグランドスラムが飛び出し13-0で快勝。9月8日に勝ってM15が再点灯すると、迎えた9月25日の日本ハム戦で井口が決勝HRを放ち5-4で優勝を決めました。ホークスが前回優勝したのは1973年、26年ぶりの優勝となりました。
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根本の遺影を掲げている選手もいるのが分かる。
日本シリーズでは星野仙一率いる中日と対決。
初戦は中日先発の野口茂樹から小久保のHR、新外国人M.ニエベスが2点タイムリーを打ち3-0とすると先発の工藤も中日打線を13奪三振に抑え完封勝ちで初戦を取りました。
2戦目は先発の若田部が乱調で2-8と敗戦。
3戦目は4回に城島の2ランで先制すると、6回には中日久慈照嘉の打球がライトへ伸びていく…と思いきや秋山がフェンスを駆け上りダイレクトキャッチ、ランナーは戻り切れずタッチアウトとして中日反撃の糸を切ると、永井ー篠原ーペトラザの必勝リレーで締め5-0で勝利。
↓秋山、久慈の打球を好捕する(37歳で重度の腰痛持っててこれは凄すぎる)
4戦目、中日は前年オフにFAでダイエーを退団した武田一浩が先発、大絵0は星野でした。その武田から3回に小久保が2点タイムリーで得点すると6回にもHRを放ち、星野も7回を投げあとは篠原ペトラザが締め3-0で3勝と日本一に王手をかけました。
5戦目は工藤…かと思いきや3年目でシーズン3勝の佐久本昌広が先発。中日は初戦でKOされた野口が再登板しました。初回に1点を取られるも3回ダイエー打線が爆発します。1アウト1,2塁のチャンスを作ると野口、福留孝介の連続エラーで1-1の同点に。その後城島に2点タイムリー、松中に3点タイムリーが飛び出しこの回一気に6得点とビッグイニングを作ります。
投手陣は佐久本が3回途中で降板した後は藤井(翌年10月に肺がんで亡くなるためこれが1軍での最終登板だった。)ー吉田修司と繋ぎ2点リードであとは篠原ペトラザの継投で6-4で勝利。前身の南海ホークスが1964年に日本一を達成してから35年、ダイエーホークスはついに日本一に輝いたのです。
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