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2007年 読売ジャイアンツ(優勝)

今年で90周年となる読売ジャイアンツ。リーグ優勝47回、日本一22回という常勝軍団でした。そんな巨人は苦しんだシーズンもありました。
2002年の優勝以来2006年に渡って優勝を逃し、2005年には球団ワーストの80敗を喫するなど(巨人比では)暗黒のシーズンでした。
そんなチームはこの年大型補強で5年ぶりに優勝を掴むことになるのです。この年の巨人を見ていきましょう。

2006オフの大型入れ替え

2年連続Bクラスからの再起を図りたい巨人はまず横浜・門倉健をFAで獲得。しかしそれに伴い人的補償でFAでダイエーから入団した経歴を持つベテラン・工藤公康が移籍しています。
また2003オフに無償トレードでダイエーから移籍した小久保裕紀がFAで古巣ソフトバンクへ出戻り。それに伴い巨人は人的補償で吉武真太郎を獲得しています。さらに2006年日本ハムの3番打者として首位打者、打点王の2冠を獲得する活躍を見せた小笠原道大をFAで獲得。そして鴨志田貴司・長田昌浩という2人の若手有望株投手をトレード放出してオリックスから当時30半ばだった谷佳知を獲得。
また長年チームのレギュラーだった仁志敏久を横浜・小田嶋正邦との交換トレードで放出しています。
ドラフトでは後に2000年代随一のショートとなる坂本勇人を外れ1位で獲得しています。

打撃陣

2007 巨人 打撃陣

まさに圧巻の打線。30HR以上を記録した選手が高橋由伸、小笠原、李承燁、阿部慎之助の4人、谷、D.ホリンズも二桁HR、二岡智宏も20HRを打つという長打力が凄すぎる打線。
打点も80打点以上が高橋由伸、小笠原、二岡、阿部慎之助に至っては101打点ととんでもない打線。この年の得点数、HR数、打点数、打率、長打率、OPSがリーグ1位です。
さらにこの頃は堀内政権の終盤で使われるようになった矢野謙次、鈴木尚広が本格的に台頭。矢野は代打起用がメインながら7HR29打点、鈴木は主に代走として18盗塁ともとより盗塁が少ないチームで走りまくりました。

2007.5.28 vsオリックス戦で小笠原道大が3発の大暴れ
この試合で首位奪還した。

投手陣

2007 巨人 投手陣

2004年以降打線は良いものの、投手崩壊を起こし順位が低迷ということがよくありました。その点この年は投手も優秀でした。
まず高橋尚成、内海哲也、木佐貫洋がそれぞれ二桁勝利。高橋尚成は最優秀防御率、最優秀投手(最高勝率)を、内海は最多奪三振のタイトルを獲得。
希望入団枠の金刃憲人もいきなり7勝をマークするなどローテの一角を担いました。
一方FAで来た門倉はあまりいい成績を残せていません。
個人的にこの年の巨人で最も活躍していたと思うのは上原浩治です。この年プロ入り初の開幕2軍も、序盤の豊田清の不調の影響で前年までの先発から抑え起用に。すると5月2日に初セーブを挙げると8月5日に球団史上初の4試合連続セーブを達成。8月は11セーブと球団新記録・プロ野球記録タイと躍動し最終的には32Sを挙げました。
ただ不調の豊田も終盤には戻ってきましたし、4月に支配下登録された山口鉄也や会田有志、林昌範、西村健太朗といった20代前半の選手たちがブルペンを支えており、若手投手の活躍も光りました。

上原浩治プロ初セーブ 一緒に映るのはD.ホリンズ(右)

帰ってきた常勝巨人

この年の巨人は大型連勝も大型連敗もない割と普通のシーズンを送っていました。7月に小笠原、阿部の不調で大きく負け越し、中日・阪神との優勝争いに巻き込まれる形になりましたが、なんとか抜け出して最終成績は80勝63敗1分で優勝。ただ2位中日とは1.5ゲーム差、3位阪神とは4.5ゲーム差と思ったより差はありません。

さて優勝した巨人ですがこの年からセ・リーグにもCSが導入。
阪神をストレートで下した2位中日が上がってきたのですが、第1戦で事件が。当時中日の先発が山井大介・朝倉健太と予想されており、どちらも右投手だったため原監督は対右オーダーとして左打者の清水隆行・脇谷亮太を起用。ところがどっこい登板したのは「左腕」の小笠原孝。左vs左の相性の悪さも相まって小笠原孝が2失点に抑え2-5と敗戦。
原監督は「新聞(中日スポーツ)を信じたのがいけなかった。」と仮にも新聞社がスポンサーのチームが相手チームのスポンサー(中日スポーツ)を名指しして批判するというすがすがしいほどの親会社批判をしてしまいます。

結局巨人は中日に3連敗を喫しなんとCS敗退。セ・リーグCS元年がまさかの下剋上という形で中日が制しました。なおこの後中日は日本シリーズを制し、日本一になります。

終わらない巨人軍大正義補強

さてCS敗退で下剋上を許した巨人ですが翌年の連覇に向けて容赦ない補強を行います。ヤクルトからは主砲、アレックス・ラミレスを獲得。さらに同じヤクルトを自由契約となったセス・グライシンガーも獲得。ヤクルトからしたら同一リーグに自チームの主砲とエースが引き抜かれるんだからたまったもんじゃないですねこれは。
さらに横浜からクアトロKの一角・クルーンを獲得。プロ野球史上初の160㎞を出す右腕を暗黒横浜から獲得したことで翌年の横浜はとんでもないことになったわけですが「そんなこと知ったこっちゃねえ!」という具合で獲得しましたが、07年は救援リーグ防御率3位の3.85なのもあって獲得したんだと思うと頷けます。

2008年にラミレスが来日したときの様子



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