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2009年 千葉ロッテマリーンズ(5位)

千葉ロッテマリーンズといえば何を思い浮かべるでしょうか。
いろいろありますがやはり「応援が凄い」というイメージがあるのではないでしょうか。実際現地観戦でロッテの試合に行くと統一感が取れた地鳴りのような応援が聞こえ、ビジターでもまるでロッテ側がホームなんじゃないかと思うほどです。

そんなロッテの応援団、現行の応援団は2010年に新しく結成されたものです。では2009年までの応援体制はというとそれが今回登場する「MVP」です。ロッテのみならずプロ野球の応援にかなりの影響を与えた「MVP」ですがこの年限りで解散することになります。一体なぜ「MVP」は解散したのでしょうか?それはこの年限りで同じく退任したボビー・バレンタイン監督に深く関わります。今回は2009年のロッテを見ていきましょう。


バレンタインと球団の軋轢

ボビー・バレンタイン監督といえば1995年にロッテの監督を務めるとその9年後、2004年から2回目のロッテ監督に就任。2005年にはマリンガン打線・そして二桁勝利6人の投打において神レベルのようなバランスのチームを作りあげ、2位ホークスを破り日本シリーズへ、そして日本シリーズではセ覇者の阪神にストレート勝ちし日本一を掴みました。

そんな2008年オフ、球団はバレンタイン監督の契約を来季(2009年)限りで打ち切ることを発表します。
このいきなりの発表、当時のバレンタイン監督と球団フロントとの関係が良好ではなかったことが影響していました。
バレンタイン監督は順当にいけば2009年が契約最終年だったのですが、バレンタイン監督の基本給が5億円と高額でそれがロッテ球団のみならず、ロッテグループの財政を圧迫していたこと、またバレンタイン監督子飼いのスタッフにかかるコストの莫大なものとなっていて当時の球団代表、瀬戸山隆三氏は後にバレンタインが球団のGMを自称してチーム編成を巡って口を挟んだりフロントに無断で選手獲得を行ったりするなど、球団に負担をかける独断的な越権行為を繰り返したことも契約不更新の背景にあったと語ります。

しかしこれに反発したのがMVPでした。自発的に「BOBBY2010」と題して署名活動をしたり精力的な活動でフロント陣へ抗議したのでした。

当時のロッテの戦力

前年のロッテは貯金3を作ると首位と4.5ゲーム差の4位。野手陣は比較的良いのですが、投手陣はチーム防御率4.11とリーグワースト。
また2005年日本一メンバーも20代なのは西岡剛や今江敏晃くらいで、里崎智也が33歳、福浦和也が34歳、サブローが35歳と高齢化も目立っています。
一方この年メジャー帰りの井口資仁の獲得に成功。外国人では野手はベニー・アグバヤニにチェイス・ランビン、バーナムJr、カルロス・ムニスを加えた3人、投手はB.シコースキーの5人体制で始まりました。

井口資仁の入団
左にいるのが瀬戸山隆三球団社長。


しかし引っかかったのはトレードで久保康友を阪神に放出して橋本健太郎を獲得したこと。05年新人王を獲得した久保ですが年々成績は低下、それでの放出はまあわかるのですがその相手が前年10登板の橋本ってどうなんでしょう…?実際バレンタイン監督のブログには、

そして今日(3月3日)聞いたニュースなのですが、フロントが久保投手のトレードを決定しました。久保投手は2005年のルーキー時代から素晴らしいピッチャーとして頑張ってきてくれ、今まで僕たちのためにたくさんの試合に勝ってきて(4年間で30回も勝利投手となりました!)、たくさんの良い球を投げてきて本当に優秀なヤングマンです。新しいチームでこれからも頑張って欲しいです。そして僕たちが新しく迎える選手は、橋本選手というリリーフ投手で、なかなか良い速球が投げられると聞いています。このトレードについてはあまり喋らないようにと言われたのでこれ以上は話しませんが、ファンのみなさんも選手たちも、久保投手の今までの努力へと感謝し、橋本投手を暖かく迎えることと思います。

となかなか意味深なコメント。一体誰が主導で行ったトレードなのでしょうか?謎は深まります。

久保康友

野手陣

全体的に見ると得点数は前年より減少しています。
中軸のサブローが打率3割20HRしたり、復帰1年目の井口がギリ20HRに届かないながらも.281 19HR 65打点と良い成績を残します。
また全体的に高齢化するチームで光となったのは27歳の大松尚逸でしょう。
左の和製大砲と期待された大松はこの年.269 19HR 79打点と絶妙にキリが悪い成績を残すもチーム内打点王になりました。
ただ外国人で打ったのはベニーくらいで、バーナムJr、C.ランビン、C.ムニスは活躍できず、期待外れに終わってしまいました。

投手陣

投手陣に関しては規定投球回到達者が5人いる状態でした。
ただ大きく勝ち越せたのは成瀬善久くらいで、その他は勝ち星を伸ばせませんでした。
この年はWBCが行われており、ロッテで唯一選ばれた渡辺俊介は3勝13敗と10個も負け越ししており、規定に乗らなかったものの小林宏之も二桁敗戦を喫するなどなかなか投手陣には厳しい年でした。
そんな中で若手の台頭で言えば高卒2年目の唐川侑己、高卒3年目の大嶺祐太が多く出場していました。特に唐川のK%は成瀬に次ぐ値を記録、WARも3.4と高い値を記録しています。
救援陣では守護神B.シコースキーが15H,15Sを記録し、川﨑雄介・荻野忠寛・伊藤義弘も救援陣の柱として大車輪の活躍を見せました。
チームで見ると前年より防御率は悪化していました。

揺れるチームとファン

ロッテはバレンタイン監督の今季限りの退団からのショックからか開幕から絶不調でした。4月7日から6連敗、16日の楽天戦では井口のサヨナラ満塁弾で勝利するも4月は9勝13敗、5月も12勝13敗と負け越しており、チームは5位に定着していました。

ロッテ、1イニング15得点の日本新記録!

交流戦期間に入った6月11日の広島戦では日本新記録を達成しています。
この試合6回表終了時点では7-2と大差をつけて勝っていたのですが、6回裏1アウト後に井口がヒットで出塁すると、打線がつながりまくります。3四死球を挟みなんと10連打と打ちまくり1イニングで15得点を挙げる超ビッグイニングとなりました。攻撃時間は48分、結局この試合は23-2とロッテの大勝で終わりました。ちなみにこの試合、途中で2度打席が回ってきた大松がどっちとも凡退しており、これは大松のKYエピソードの1つになっています。

ただ交流戦では9勝12敗3分と8位で終えています。

バレンタイン監督退任発表・過激化するMVP

しかし交流戦明けもチームの状態は上向かず、9日からは7連敗、20日からは6連敗を記録。そしてその連敗中の26日、バレンタイン監督の今季限りでの退任が正式発表されました。
実は退任が正式発表される前からMVPは過激な横断幕を使ってのフロントへの批判が行われていました。
というのもこの頃のフロントはファンを大事にしないような言動が多く、例を挙げると

  • 米田容子氏(球団副代表補佐)によるファン軽視の措置

    • 1塁側の球場外周通路の封鎖によるロッテファンの移動の負担増加

    • マッチカードプログラム廃止

    • 球場に設置されていたバレンタイン神社を予告なしで撤去

    • ビールのコップを予告なしで縮小

    • プレミアムシート(大型テレビ・Wii・ビールサーバーが置かれた観戦席)の導入。球団関係者が「野球に飽きたらゲームをしたり、それぞれの使い方で楽しんでほしい」と発言したため「自分たちの商売を何だと思っているのか」と批判を受けた。

また真偽不明ですが、

  • 重光昭夫オーナー代行の「千葉のつまらないファン」発言

  • 「騒動が続けば千葉から移転する(要約)」という内容が含まれた幹部会議議事録の流出

このようなフロント・運営側のファン軽視の態度、そしてチームの低迷もあってMVPは過激化。そして9月にはチームのBクラスが決定するとMVPの不満はついに爆発します。

ロッテの応援が死んだ日

9月24日からBクラス決定後初めての千葉マリンでのオリックスとの3連戦が始まります。
特に2戦目の25日では球団幹部を名指しして「死刑」と批判するゲートフラッグが掲げられます。この試合自体6-2と勝利してチームは4連勝したのですが、ここでヒーローインタビューにて西岡剛がライトスタンドのMVPに向かってこのように発言します。

「僕たち選手は一生懸命プレーしている。スタンドには将来、野球選手になりたいと願う子供たちもたくさん来ている。そこで許されないような言葉で書かれた横断幕を出したり…。子供たちの夢を壊さないでください。僕自身この成績で言える立場じゃないけど、1人の人間として間違っていると思う」

この発言を受けたMVPはどう受け取ったのかというとその西岡を糾弾し始めたのです。

フロントに加え西岡も批判の対象となり、横断幕も西岡を誹謗中傷するものに変更するなどもはや応援団なのか?と思われるような暴挙をしてしまったのです。
挙句の果てには西岡の応援をボイコット、あろうことか西岡が凡退するとアウトコールを吹き鳴らすなどロッテの応援団としてはあってはならない行動をし始めます。
これにMVPではないロッテファンからは自発的な「ツヨシコール」が起き、対戦相手のオリックスファンすらも「ツヨシコール」を行うという状態になりました。もはやただの迷惑集団となってしまったMVPは鳴り物応援でまくしたて応戦。これに対してMVPに対しての「帰れ」コールが沸き上がるなどライトスタンドは一触即発状態になりました。
とはいえこれまでロッテの応援を先導してきたMVPにファンが従わなくなった、つまりはロッテの応援はこの日死んだのです。

このような行動を理解してくれる人もいるはずもなく球界全体から強烈な非難が巻き起こりMVPを許すまじとMVPリーダーの職場に電凸が行われるなど一大騒動に発展。結局MVPは自分たちが不利であり悪であることを痛感させられこのカードの次の試合以降通常の応援体制に戻りました。
10月6日の楽天戦はバレンタイン監督が千葉マリンで指揮を執るホーム最終戦となりました。MVPの暴走に備え警備員が増員されたそうですが、大きな騒動に発展することなく、5-2で試合終了。
そして翌日のクリネックススタジアム宮城での楽天戦に負けシーズン終了。そしてもはや完全悪となってしまったMVPはこの試合をもって解散。一部メンバーは出入り禁止を受けたそうです。

最終成績は62勝77敗5分の5位。この年優勝した日本ハムにとにかく相性が悪く6勝12敗、楽天にも負け越しており、最下位のオリックスにも9勝14敗と負け越していました。

またこの年限りでベニーが退団し、小宮山悟・高木晃次が引退。
バレンタイン監督下で主砲として活躍したベニー、
小宮山悟は川崎球場時代のロッテに入団し、その高い制球力は精密機械と称され、ロッテではエースとして強いときも弱小だったときも経験していました。個人的に小宮山悟好きで2年前くらいの始球式で投げてたときは「まだまだいけるじゃん!」って思ってました。
高木晃次は阪急からダイエー、ヤクルト、ロッテと2度の戦力外を経験しながらも4球団23年間のプロ野球人生を駆け抜けました。

またこの年のオフには里崎とのツープラトン体制の一角を担っていた橋本将が横浜へFA移籍。また清水直行を横浜に放出して那須野巧と斉藤俊雄を獲得する大型トレードもしており、ロッテという球団からして大きく変わった年でもありました。
バレンタインの後任はヘッドコーチを務めていた走る将軍・西村徳文。
また応援体制も大きく変わり元球団職員で2004年まで応援団員として活動していたジントシオ氏が団長として復帰、応援団もMVPのような私設応援団ではなく球団公設ということで再建されました。

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